その55

キルトログ、ラテーヌの空に虹を仰ぐ

 ヒュームの世界では、出かけた先で頻繁に雨天に巡り合せる人物を、雨男または雨女と呼んでいる。

 出張先と居住地を区別する理由が希薄だし、まさか空の下に出ると必ず雨が降ってくるわけでもあるまいから、本人の存在が要因となっているとは考えづらい。遠出をした場所で何かが起こるとしよう。「それはその人と場所との相性が悪かったのであり、結果として雨が降り、雷が鳴るのだ」という説明ならまだしも理解できる。この考えに照らすなら、私は『ラテーヌの雨ガルカ』かもしれない。とにかく境界を越えるたびに必ず分厚い積乱雲と豪雨の歓迎を受けるのである。

 ラテーヌでは頻繁に雨が降る。降っては唐突に止む。そうすれば雲は瞬時に失せ、蒼天が広がり、牧歌的な静けさが周囲を和ませる。何時間かするとまた雨が落ちてくる。その繰り返しだ。ヴァナ・ディールでは天気予報士というのが各国にいて、リンクシェルを通じて情報を交換しあったりしているが、ラテーヌに関しては「晴れのち雨」一辺倒でも何の問題もあるまい。私なら聞かれたらそう答えておく。もっとも同じ高地高原であっても、コンシュタットの方は土ぼこりが舞うばかりで、ずっと雨が少ないのだが……。

 迷うような部分が希薄なため、本道さえ辿れば、ラテーヌは簡単に通り抜けることができる(無事歩けたらの話だが!)。だが以前述べたように、この地の広大さはタロンギの比ではない。わき道にそれればそれるだけ面白いものを見つけることができそうである。

 私は羊が草を食む段差を見つけて下りていった。


レテーヌにところどころある裂け目 ラテーヌの大地の亀裂

 ところどころ見える白いのは、たんぽぽの親せきと思われる植物の綿毛であり、とけ残った雪のように谷間を彩っている。多い場所になると林と呼びたいほど密集しているが、一つ一つの背丈は私とさして変わらぬほどある。これが風に乗って散り、新しい綿毛を生やすさまは、まぎれもないラテーヌの風物詩の一つといえるだろう。


 本道に戻ったら、見たことのあるガルカ氏が敵を狩っていた。いぜん夏祭りのさい、私の手記を見ていると言ってくれた御仁である。お互いに会釈をしたり手を振ったり、激励の声をかけあったりする。こういうのは下手をするとえんえんと続き、切りにするのが難しい。雨がまた落ちてきたのと同時に私はその場を去り、虹がかかったときのことを考え、どこが一番眺望が良いだろうかと地図を広げながら走る。早めに顔を上げてよかった。というのは、先日見たばかりのバタリング・ラムが、眼前に迫っていたからだ。土砂降りのなか大羊が右往左往する。知らぬこととはいえ、この間よりも至近距離に近づいたことに気づき、雨粒の冷たさもあってぞっと寒気を覚えたのだった。


 雨が止んだ。空がたちまち明るくなる。そのときホラの岩のすきまから、五色の橋のたもとが部分的に覗けた。

 私は北へ向かって駆けた。地図ではとにかくそちら側に開けた場所がある。ここからではこの不思議なモニュメントが邪魔をしてよく見えない。時間をかけ過ぎたら虹なんぞははかなく消えてしまう。はたして東の空を見上げると、夕闇が迫ったせいもあってか、既にそこにあったものは何の跡形もなかった。こういう時こそ自分の鈍足が恨めしい。

 どうしても虹を見たい一心で、そこに留まり続けた。幸いにしてモンスターが周辺から襲ってくるような場所ではない。そのかわり根気を保つのが難しかった。夜がふけ、うしみつ刻が過ぎ、周囲がしらじらと明ける頃には、誰が見ているわけでもないのにもはや意地になっていた。「昼間に雨が降り、からりと晴れる」という条件のもと、現れるか現れないかまるでわからないものを、ただ待ち続ける。私自身は昼に必ず一度は晴れると決めてかかっていたが、翌日はずっと雨に濡れ続けたように記憶している。やはり私は『ラテーヌの雨ガルカ』なのである。

 苦労はいつか報われるものだ。2日目、とうとう私は東の空に鮮やかな虹のアーチを目撃した。


ラテーヌ虹 ラテーヌの虹の橋

 感激というよりも、疲れが先に立って、やっと帰れるという印象が強かった。それでもこの場所で粘り続けたかいのある美しさであった。


 私は単身南下し、バルクルム砂丘に出た。誰にいとまも告げず、そのままセルビナで船に飛び乗った。さらばエルヴァーンの王国よ、と口の中でつぶやく。私は私を待つ場所へ帰るとしよう。一皮むけたあかつきには、堂々と胸を張ってその門を潜り、今度こそ歴史の面影をぞんぶんに味わうことにしよう。

(02.09.09)
Copyright (C) 2002 SQUARE CO., LTD. All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送