その180 キルトログ、ボヤーダ樹を探索する(1)
我々は草原に出た。この言葉は誇張ではない。丈の低い草床が広がり、地面のところどころからひょろ長い木が飛び出している。私の経験に照らし合わせるならここは紛うかたなき草原である。何か違いがあるとすれば、まるで閉じ込められたかのように空が薄暗いことだった。果たして時刻は夜中だった。だがたとえ正午に来たとしてもやはりここは一定の暗さを保っただろう。というのは、我々の頭上に広がっているのは、空ではないからだった。足元の草は植物本来の水分以上に湿ってはいない。考えてもみよ。先刻ジ・タは大雨だったではないか。 我々はやはり木のうろの中にいるのだった。そのことに気づいて私は声をあげそうになった。木のうろの中に草原があるのだ! 私は祖国の神木のことを思った。誰かが「星の大樹など序の口」と言ったではないか。ということは、発言者氏はきっと、このボヤーダ樹を念頭に置いていたに違いない。 確かにこの規模は星の大樹を越えるものだ。私は感心したのだが、ボヤーダ樹の本当の凄さは、まだこれから本格的に味わうことになるのだった。
ところでこれほど一面に緑が広がっているのは、私には奇妙に思えた。植物は太陽光を受けて光合成をする。光合成には葉緑素が必要である。葉が緑色なのは、それが葉緑素の色素だからだ。生き物――とりわけ植物のように、身動きのとれない生物――は、生きていくのに無駄な事をしない。緑がこれほど全面に広がった理由は、まずそれが生存に有利だからで、他の理由はちょっと考えられない。しかし木のうろの中は満足に太陽の光も射さないのである。 私はこれが、一見独立した草花のようでいて、ボヤーダ樹の生命力に依存しているのではないか、と考えた。寄生生物的な何らかの性質を持つのではないかと思ったのだ。ただしボヤーダ樹が現在それ自身の生命力を持っているかは不明である。文献などを調べているととうに朽ちているようにも思える。だとしたらなおのこと緑に被われている理由がつかない。私に生物学の確かな知識があれば、もう少し真相に近づけるかもしれないものを。とりあえず今のところは、世の中には不思議なことがあるものだ、と感嘆する以外に手はないのだった。 Ragnarokが、とりあえずの目的地はトンボ広場まで、と言った。私は地図を持っていない。だからトンボ広場が何処にあるのか判らないが、RagnarokやLibrossの側を離れなければそこにたどり着くことが出来るだろう。 草原を越えていくとさらに驚くべきものが現れた。眼前にそびえ立つのは紛れも無い大木だった。星の大樹と肩を並べるほどの規模である。それが深緑色の光を反射しながら巨体をさらしている。光源となるのは、大木の頭上に開いている大きなうろの穴から差し込む日光と、点在する背の高いきのこの、カサに宿った淡い光だ。それはどこかウィンダスの魔光草を思わせる。おそらく光苔がカサの表面に宿っているのだろう。 例えば壁穴から差し込む光が一輪の野草を育てる場合があるが、それを極端にスケールアップしたのが、この大樹のようだ。理屈は多分そうである。しかし実際こんなものを眼前にすると圧倒されるばかりだ。しっかりと根を張った大木のたもとには水が溜まっていて、小川のようにぬかるみ、踏み込むとじゃぶじゃぶと音を立てる。この二の足を濡らす水も、先の例で言えば、野草に降りかかるささやかな雨水に過ぎないわけだ。どうやらボヤーダ樹という小宇宙の果てしなさは、我々の想像力を遥かに越えるものらしい。
ところでこんな場所にも生き物がいる。「陸」にはマンドラゴラが、「川」には蟹が徘徊している。Librossの弁によると奴らは、他のエリアの種とは異なり、大変に好戦的であり、人間には率先して襲い掛かってくるという。ボヤーダ樹自体の空間が閉じているから、縄張り意識が非常に強いのだろう。そういう性質を知らないと、蟹だからと安心していて、川に踏み込んでからあっさりと死ぬ羽目になる。奴らを避ける一番有効な方法は、スニークを使うことだ。魔法で足音を消していけば、それが消えている間は決して気取られることがない。 幸いにして我々の中にはスニークを唱えられる者が数人いた。ただしだからと言って危険が完全に無くなるわけではなかった。 姿を消すインビジや、足音を消すスニークなどの魔法は、重ねがけが効かない。しかも一回の呪文の効果が持続する時間はまちまちである(場合によっては1分とたたないうちに効果がなくなる)。効力が切れそうになると本人には肌感覚でわかるのだが、一度切れてしまってからでないと、次のインビジやスニークがかけられない。正確に言うなら、重ねてかけたぶんの魔法は無効になってしまう。従って、かけ直すときにはどうしても――可能な限り迅速にかけ継いだとしても――隙が生まれる。その間は敵から距離をとっていたい。スニークが切れた時に蟹が傍らにいたら襲われてしまうのだ。だから状況判断をよくし、術者との連携を高めないといけない。戦士だからとただ魔法をかけて貰うのでなくて、切り替えがスムーズに行われるように神経を使わなくてはいけないのだ。 私は勿論だが、こうした技術にはEuclidも慣れていないようだった。川に突っ立って話をしていると突然がん、と音がして、蟹がEuclidの鎧を殴り始めた。魔法の切り替えの隙を衝かれたのだ。途端にバトルが開始され、仲間たちが蟹を水辺から引き離した。そうした工夫にもかかわらず近くの蟹が救援にかけつけた。ただでさえ頑丈な相手である。私も何か出来ないかと斧を振るってみたがまるで命中しない。たとえ当たっても甲羅に与えるのはひっかき傷程度のダメージである。パーティのレベルがまちまちなのが災いして、仲間たちは――「我々」とは言うまい――苦戦した。何とか一匹を眠らせてから始末をつけることが出来たが、我々は恐ろしい恐ろしいと言いながら水辺を離れた。改めて自分はとんでもないところに来ているのだな、と感じた。戦士なのに戦闘では役に立たぬとは片腹痛い。せいぜい足を引っ張らないようにしなければならない。 Librossの先導で我々は路地へと逃げ込んだ。木の根が檻のように密集して行く手を阻んでいる。その前に一対のマンドラゴラが門番然として立っている。きいきいと小鳥のような声で鳴くのが愛らしい。Leeshaが近寄ってその頭を撫でた。おそらく封印された場所なのだろう。幸い我々の目的地はこの先ではない。我々はしばらくここへ座り込んで戦闘の傷を癒した。何といってもまだ探索の旅は始まったばかりなのだ。
(03.10.12)
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