その216

キルトログ、恋の歌碑を探す(3)

「こんな古い歌を、どうしようっていうんだ」

 私はひとつの誤りを犯した。おかみの言葉を鵜呑みにしたのが間違いだった。彼女や、歌碑の前で出会った男の口ぶりからして、あの歌は相当有名であるに違いない。少なくとも吟遊詩人ならば知らぬ者がないほどに。では、それを書き写して、わざわざメルデールに見せる意味がどこにあろう。戦士の私がど素人の市民に、戦術指南書を渡されるようなものだ。ましてや私とメルデールは知己ですらない。「友人同士の冗談」としては片付けられまい。

 若き詩人の顔に朱がさしていた。
「君は俺を馬鹿にしているのか……今さら」

 ぎいと扉が開いて、誰かが店に入ってきた。
「お若いの、何を怒っているんだ?」

 先日砂浜で会ったあの男だった。酒場は喧騒に包まれていた。なのに、さして大声でないにもかかわらず、男の声はよく通った。紛れも無い低音でありながら、中性的な響きがあった。不思議なもので、深い情感を感じさせるのだが、怒りなのか親愛なのか、あるいは憐憫の情なのか、判然としなかった。もしかしたら、そのどれでもないのかもしれなかった。

「こういう場所では楽しくやらないとな。お客さんにも迷惑だろう」

「あんたには関係ないだろう」 
 
 メルデールは苛立っていた。その声はのっぺりとしていて、奥行きがなく、私は軽い失望を覚えた。「まあそう言わずに」と、フードの男は意に介さず、羊皮紙を一瞥した。
「ふむ、これについて話していたのか……いい歌だろう……」

「こんな歌、もう誰も見向きもしないさ!」

「失礼だが、君はこの歌に真正面から向き合ったことがあるか。ただ古いからといって、一蹴しているだけじゃないのか」

「……」 

「もしそうなら、一度歌ってみるといい。騙されたと思って」

 今度会う時には、好きになっていてくれることを祈るよ。男はそう言い捨ててから、私に向き直った。やあ、また会いましたね。ご歓飲中を失礼しました、と慇懃に頭を下げて、酒場から姿を消した。


 私はおかみと話した。今度は、バルクルム砂丘の歌碑をご存じ?と来たものだ。私が肩をすくめると、おかみは、ブブリム半島の恋歌の、返礼となる歌を記した石碑が、バルクルム砂丘にあると言った。マウラ=セルビナ間の連絡船のせいで、双方の土地を往来するのに大した苦労はないが、彼ら恋人たちの時代はどうだったのだろう。絶望的に遠かったのだろうか。私が昔、バストゥークやサンドリアに対して抱いていた感覚と同じように?

 カウンターのエルヴァーンと、吟遊詩人という職種について議論した。そのとき彼は、歩いたあとに詩が残る、とまで言われた、伝説の詩人について言及した。彼はまだ壮健の年だったが、誰も久しく姿を見ていないという。

「さっぱり理解できんよ」と彼は肩をすくめた。
「その人物くらいなら、店でも開いて、悠々自適に生活できる筈なのにな。生涯現役というわけかね」

 その感覚は、冒険者に近いところがある。私の人生は冒険とともにある。おそらく死ぬときも剣と斧が枕だろう。吟遊詩人も例外ではない。彼らは得物をぶらさげ、平和主義者であることを捨ててでも、美しいもの、楽しいものを歌にして伝えようとする。その覚悟は相当なものだ。

 私には、彼らの気持ちが、少しだけ判ったような気がした。


(03.12.26)
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