その228 キルトログ、ジュノ大使館に出かける ジュノ大使館の紹介状を手に、私は天文泉に戻った。Leeshaが守護戦士のミスラと談笑している。神子さまは可愛らしかったですね、と彼女が言うから、私は気のない返事をした。 「どうしたんですか?」 「大使館員はことわったよ」 Leeshaは怪訝な顔で私を見る。私のいつもの愛国者ぶりにしては、冷淡なように思えたのだろう。 私は自嘲気味に笑った。 「結局は同じこと……さあ、ジュノへ行きましょう」 ジュノ大使館は、大公国最上層のル・ルデの庭内にある。戦死者を弔う記念碑を囲むように、三国の大使館が並ぶ。逆三角形の白地のエンブレム、赤い十字がこの国の旗だ。私は中へ入って行った。 カウンターの向こうで、まだ若いミスラ嬢が、にこにこと清楚な笑顔を見せている。 「ようこそ大使館へ。何かお困りのことでも……何だ、Kiltrogか」 鈴のような声は営業用だったらしい。私だと知ると急にトーンが低くなった。このパク・ジャタルフィとは初対面だが、おそらくジュノ政府から連絡が届いているのだろう。ガルカの新人が行くから宜しく、とか何とか。 この秘書らしき女性に、大使に会えないかどうか尋ねてみた。 「留守なのよ」 紹介状をぴっちりと折り曲げながら、ミスラが言う。彼女はそれを四つ折にして、隠しの奥へと無造作に突っ込んだ。 「せっかく着任したのに、タイミングが悪かったわね。大使は出かけてるの。……デルクフの塔って知ってる」 ああ、と答えた。クフィムの雪原にそびえ立つ、サーメット質の巨大建造物である。 「ある調査があってね。もうすぐ戻ってくるとは思うけれど」 大使館の大扉が勢いよく開き、生あたたかい風が吹き込んできた。振り返ると、白銀の甲冑を着けた、ヒュームの騎士が立っている。 「大使はおられぬのか?」 ウォルフガングである。若くして大公親衛隊隊長に就任したが、出世を鼻にかけている、と評判の悪い人物だ(その115参照)。特徴のない顔立ちで、年齢的な素直さは感じないし、かといって威厳もない。尊大さはあまり顔に出ていないが、私を値踏みする視線は素早い。他人との距離を迅速に計算する男なのだろう。 単なる冒険者と判断してか、彼は私を無視することに決めたようだ。つかつかとカウンターに歩み寄って、受付嬢を見下ろした。 したたかなパク・ジャタルフィは、そんなことでは動じない。声色が営業用に戻った。 「ウォルフガング殿、何かご用事でしょうか?」 「大使殿はどこへ行かれた?」 「デルクフの塔に」 「あんなところで何を?」 「調査ですわ」 「何の」 「何でしょうね」 ウォルフガングは露骨に眉をしかめて見せた。 「公務にたずさわる身なのだから、大使にも、不可解な行動は謹んで貰いたいものですな……そうでなくとも、貴国の上層部は……」 大使の公務を「不可解」と切り捨て、来訪の意図は話そうとしない。挙句がウィンダス批判である。評判が悪い男だけのことはある。 うんざりしてここを出ようと思った。しかし、今一度扉が手前に開いて、もう一人の男が入ってきたので、叶わなかった。来訪者はすらっとした長身のエルヴァーンである。 「失礼します。大使はいらっしゃいませんか」 中性的な艶のある声で、小さな声でもよく通った。ウォルフガングの顔色が青くなった。入ってきたのは、彼の幼馴染みの町医者モンブローである。二人は不仲であるとの噂があるが、実情はウォルフガングの方が、一方的にモンブローに冷たいらしかった(何が理由かはわからないが)。 「ウォルフガング、久しぶりだね」 幼馴染の顔色を彼は無視した。きょろきょろと館内を見回す。 「大使は?」 「いらっしゃいませんわ」 「モンブロー、何の用だ!」 「大使は持病を抱えていらっしゃる。検診に来たんだよ」 モンブローは軽装だった。純白のベストに、丈の長い、ぴっちりとしたズボン。鞄も薬箱も下げていないが、かえってその気軽らしい様子から、彼の中で、往診が自然に日常化していることが窺えるのだった。 大使は何処に行ったのか、とモンブローは聞かなかった。彼の患者はいない。聞く必要がなかったからだろう。 「友人として忠告しておくぞ、モンブロー」 ウォルフガングは、幼馴染みに人指し指をつきつけた。 「市井の者が、他国の大使と積極的に関わるのは、感心しないぞ。いらぬ誤解を招くことになる」 「病気に国境はないって、前に言わなかったかい……身分もさ」 モンブローは肩をすくめた。 「医療は単純なんだ。ただ、医者と患者がいるだけなんだから」 「ふん、相変わらず甘ちゃんだな」 「そうかい」 医者の方が一枚上手なのは、傍から見ていても明らかだった。相手を諭すような、冷静なモンブローの受け答えが、余計にウォルフガングを苛立たせるのだ。その悪循環に気づかないほど、彼らは馬鹿ではないだろう。出世して、幼馴染みに冷たくあたるウォルフガングも、冷静かつ温厚そうなモンブローも。 靴音たかく、ウォルフガングは扉から出て行ってしまった。 「何の用だったのでしょうね?」 パク・ジャタルフィが囁く。さあ、と答えた。私が知るわけがない。 「大使がいらっしゃらないなら、仕方がないですね」 モンブローが組んでいた腕をほどいて言った。 「よろしくお伝え下さい。お大事にと。それでは、さようなら」 大使はクフィムへ出張しているのだ。あの骨まで凍るような極寒の島に。何の持病か知らないが、健康には悪いだろうな、と私は同情した。病気によっては寒さがひどく辛いものだ。骨折の古傷とか、リウマチとか。 「就任早々わるいけど、デルクフの塔へ行ってくれない?」 ミスラが私の顔を覗き込んだ。実力を値踏みしているふうである。 「大使館員に任命されたくらいだから、腕は確かだと思うけどさ……」 お褒めを頂いて光栄だ。 「仲間を連れていった方が安全よ。念のためね。大丈夫だとは思うけど」 私は試されている。地方部署の者は、中央から派遣されてきた人材には冷淡なものだ。断わることは許されない。信頼を得るために、私は何としてでも、大使のもとへたどり着かねばならぬ。やれやれ! 自ら志願した職でもないのに、はやくも面倒な仕事が持ち上がってしまった。 (04.02.08) |
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