その258

キルトログ、オズトロヤ城に忍び込む(2)

「フィック! フィック!」 

 私の後ろから、女の声が響いてきた。フェレーナの声だった。彼女が単身ここに? 私が足を止めると、彼女は私を追い越して、ゴブリンに駆け寄り、上半身を優しく抱き起こした。

「フィック……しっかりして、フィック! ああ……どうしてこんなことに……」

「う……フェレーナ……姉ちゃん……」

 ひどい傷を受けているらしかった。いったい誰が彼をこんな目に合わせたのだろう。ヤグードだろうか――あるいは?

 私の思考を少しでも感じ取ったのだろうか、フィックは弱々しく首を振った。
「……誰も悪くない……姉ちゃん……」
「うん」
「……誰も悪くない……憎んじゃ、だめ……」

 フィックの生命の火が、完全に消えようとしている。傍から見ていても明らかだった。しかしフェレーナは、彼の魂を少しでも繋ぎとめておこうと、間断なく彼に話しかけるのだった。

「そうね、憎しみからは何も生まれないんだったわね。ああ、フィック。こうしていると、あなたの想いが伝わってくるわ……。私たちみんなが、あなたの想いを分け合えたなら、きっと、もう争いなんて無くなって、みんなが幸せになれるのに……」 

 そんな気丈な声も、徐々に涙声へと変わっていく。

「……姉ちゃん、泣かないで」
「ええ、大丈夫。私は大丈夫」
「よかった」

 フィックは、もうほとんど動かなくなっていた。フェレーナの手が、やさしくマスクを撫でる。その上から、ぽたりぽたりと涙の雫が落ちる。

「もう何も、話さなくていい。こうしているだけで、あなたの想いが伝わってくるの。いつも、あなたから感じていた暖かさ――お疲れさま、フィック。どうか、安らかに眠りなさい」

「……姉ちゃん……」
「なに?」
「……ありが……と……」

 心優しきゴブリンは、逝った。


 不思議なことだが、彼の生命の火が消えた瞬間、身体から光が吹き上がって、渦となり、天にのぼっていくように見えた。
 亡骸の側を離れて、フェレーナは私に目を向けた。

「フィックはいつも、人間と獣人はわかりあえるはず、と言っていました」

 私は黙っていた。答える資格はないように思えた。

「あなたはこれからも、きっと獣人たちのことを憎むのでしょう。でも忘れないで。獣人の中にも、フィックのような者がいることを。そして、早く気がついて。目の前のことばかりでなく、自分が知らず知らずのうちに乗っている、大きな、得体の知れない流れのことに――」

 フェレーナは、ふらふらと立ち去ってしまった。


魔晶石
 
 ベドーと同じように、霧の立ち込めた大広間が、私たちを出迎えた。
 
 オズトロヤの魔晶石は、オレンジ色に鈍く輝いていた。黒い泥に覆われ、まだらになっているのは、ベドーと変わらない。Librossが面白い発見をした。この泥土は、サーメット質のアーチから、どろどろと滴り落ちているものなのだ。それが小さな川を作って、魔晶石の根本まで流れ込んでいるのである。

 黒い小川を踏んでみた。水気が薄く、ぴちゃりと液体が弾けることはない。しっとりと湿っているくらいで、ブーツの裏に張り付いてもこない。この泥土は何なのだろう。魔晶石が働く上で、何らかの役割を果たしているのだろうか?

滴り落ちる液体

 魔晶石のかけらを拾い上げた。それはたちまち光輝き、心の準備の及ばないうちに、思念が流入し始める。

 これは、ミンダルシアの記憶だ。ウィンダス、タルタル族とヤグード族の物語。

 ――ご覧頂こう。

(04.05.09)
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