その260 キルトログ、ダボイ村紋章を手に入れる ジュノ上層の民家前にエルヴァーンの少年が立っている。通りぎわにおはようと声をかけたら、 「もしかして、ダボイに行くんじゃない?」 そう言われた。
「ダボイに行くなら、このダボイ村紋章が必要だよ――おいら、こいつをクァールの肉と交換したいんだ」 クァールの肉なら束で持っている。シーフの鍛錬をするときに食すのである。この肉はたいへん滋養に富んでいるのだが、言うまでもなく一般の人間は、直に食べるとあたってしまう。生肉を直接口にするのは、胃袋が頑丈なガルカだけの特権となっている。 「こんなもの何に使うかって……?」 少年は肉片の入った袋をかき抱いて、私を差し招く。 「実はうちの姉ちゃん、変になっちゃって……」 邸内はうす暗い。外は快晴だというのに、窓とカーテンを締め切っているようだ。燭台のぼんやりとした明かりが、椅子に腰をかけたエルヴァーンの淑女を照らしている。彼女の頭は、下手な針金細工のように直角に曲がっている。少年が袋を持ち込むと、彼女はにったりと笑った。唇の間から唾が糸を引き、醜い犬歯が覗く。 ぞっとした。 「クァールの肉だ! 真っ赤な血が滴る肉を持って来い!!」 淑女らしいとも思えぬ野太い声で、彼女は喚いた。 「急げ! グズグズしているとお前を食ってしまうぞ!」 眼球が黄色く濁っていた。人間の顔ではない。可哀想に少年はぶるぶると震えながら、姉――あるいは、かつて姉だったもの――を、何とか落ち着かせようとしている。だが彼女は聞く耳を持たず、爪のするどく伸びた手をさし伸ばし、肉をかっさらい、げらげらと高笑いをしながら、奥の部屋へ駆け込んでしまった。続いて生肉を噛みちぎる湿った音が響く。 こいつは冒涜だ、と私は思った。生肉食の風習のため、時にガルカは野蛮に見られることがあるが、食事にも自ずからマナーというものがある。我々は人間なのだ。あのように血に飢えた食べ方をするのは、けだものか野卑な獣人といったところだろう。 では、なぜエルヴァーンの淑女がそうなってしまったのか。 少年が泣きながら事情を語り始めた。 ボーディン少年の姉アーディアは、気立てのよい娘だった。彼女がおかしくなったのは、友人のアリスタとピクニックに出かけてからだという。帰るなり頭がいたいと寝込んでしまい、うんうん唸っていた。そして目が覚めるとあんなふうになっていたのだ。 アーディアはちかぢか結婚することになっていた。婚約者アルブレヒトはすっかり悲観してしまい、女神聖堂に足しげく通っている。ボーディン少年は、ダボイ村紋章が魔除けになると聞いて、それを手に入れた。だが姉の症状は一向に改善しない。彼は表に立ち、ダボイに出かけそうな冒険者に見当をつけて、おかしくなった姉が要求して止まない、クァール肉との交換を願い出るしかなかったのだ。 「うう……姉ちゃん……姉ちゃん……」 必ず何とかしてやる、と約束して家を出た。私はこれからダボイに向かう。当地で何か、解決の手がかりが掴めるとよいのだが……。 (04.05.17)
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