その278

キルトログ、時計塔の整備士を救う

 階段を駆け上がって、辺りを見回し、私は一人の少女を探した。コレットである。署名は市民を対象に行われる。子供が相手ではなぜいけないのか。私は無意識のうちに、その可能性を排除してしまっていた。近所の悪ガキどもならともかく、ガルムートを兄と呼んで慕う彼女が、署名の申し出に否と言うはずがあろうか。

 少女は喜んで書類にペンを走らせた。「お兄ちゃんのためなら!」だそうだ。私のしていることは、彼女の署名と同じ重さを持っているのだ。

 出来ればもう一人、協力的な子供がいれば、と思っていたら、意外にもすぐ見つかった。例の、姉が何かに憑依されてしまったというボーディン少年が、どうしたのと声をかけてきて、ガルムート兄ちゃんのためなら喜んで、と、コレットと同じ理由で署名を申し出たのである。何でもガルムートは彼に親切だったそうで、一度あぶらくさい機械室を見せてもらったこともあるという。「ここだけの話だけどさ」と彼は耳打ちする。「ガルムート兄ちゃん、うちの姉ちゃんをむかし好きだったらしいんだよ!」

 なるほど以前、ガルムート自身から聞いたことがある。塔の上から見かける綺麗な婦人に思いを寄せていたが、男と一緒にいるのを見て落ち込んだと(その140参照)。それではあれは、少年の姉オーディアと、その婚約者アリスタのカップルだったか。意外な糸で繋がるものだ。

 少年は姉の話題を出すと、眉をかすかに曇らせた。彼の依頼も放っておくわけにはいかない。姉は私が救ってみせる。だが今は、この嘆願書を持って、ジュノ下層の商工会議所へ急ぐのだ。


ジュノの時計塔

 手続きは簡単だった。受付の男は書類を確認し、では議会へ上げておきます、と事務的に言うばかりだ。何はともあれ、これで取り壊し計画は回避できたらしい。私はそのニュースを持ってガルムート邸へ向かった。

 先日と同様、ノックしてノブをつかむと、あっさりと扉が開いた。邸内にガルムートの姿はない。ナリヒラの爺さんが肩をいからせ、腕組みをして立っているばかりだ。ぷりぷりと怒っている老人に、私はまず朗報を伝えた。

「計画中止の話は知っているよ」
 どうやらもう伝わってしまったらしい。
「署名を集めとる若者の話を聞いたが、おぬしじゃったか。こんな友だちを持って、ガルムートは幸せな奴じゃ……」 
 
 表から、何かを蹴飛ばす派手な物音と、怒鳴り声が聞こえてきた。
「何もかもおしまいだ……ちくしょう! どいつもこいつも!」

 ガルムートが転がるように入ってきた。足元がおぼつかない様子だ。強烈な酒の臭いがする。どうやらすっかり酔っ払ってしまっているらしい。私たち二人を見つめ、しばらく誰であるかわからないようだったが、ようやく「どうしたんだ、爺さんと……あんた」と言った。名前まではとっさに出てこなかったらしい。

「どうしたもこうしたもない、この馬鹿ものが!」
 ナリヒラが突然に雷を落とした。
「時計塔の取り壊しは中止になったんじゃ! こやつがわざわざ署名を集めて、議会に嘆願書を提出してくれたんじゃぞ!」

 ガルムートは、あんぐりと口を開けた。
「何だって……?」

「塔は、のこる?」
「そうとも」
「あの鐘も?」
「そうじゃ、この馬鹿ものが!」

「友だちが奔走してくれよるのに、それなのにお前は、何もせんで、ただ酒ばっかり食らって……」

 ナリヒラはガルムートの胸を殴りつけた。老人の小さい拳は、ガルカの分厚い胸筋にはばまれて、ぴたぴたと頼りない音を出すだけであったが、老人は彼を打ちすえるのを、決してやめようとはしないのだった。

「馬鹿ものめ! 馬鹿ものめ!
 今のお前は、止まった時計と同じじゃ。針が動いておらん役たたずめ! 鐘の音を鳴らすこともできん半端ものめ! わしの言っている意味がわかるか……」

「爺さん、すまねえ、すまねえ」

「なぜわしに謝る。え? お前が頭を下げなければならんのは、街の人に対してじゃ。時計を頼りにしている、鐘の音を楽しみにしている、ジュノの街の人に対してじゃ! あの鐘がないと、困る人たちが……が……」

 不意に老人は咳き込み、息を詰まらせると、痙攣をしてその場に倒れてしまった。「爺さん!」とガルムートが駆け寄り、彼をカカシのように軽々と両手に抱え上げた。

「お前がおらんあいだ、鐘をいじっておったでの」
 老人は力なく笑った。
「ホホ……身体がなまっておったわい……」

「爺さん、あんたみたいに叱ってくれる人がいて、俺、幸せだよ」
「叱られて喜ぶ馬鹿がおるか。礼はこやつに言うべきじゃぞ。こやつが署名を集めてくれなかったら、時計塔は今ごろ瓦礫の山だったわい」

 ガルムートはゆっくりと老人を床に下ろし、私の片手を取って、力強く握り締めた。
「俺は恥ずかしいよ。一体あんたに、どんな顔をして礼を言ったらいいんだろう」
 彼は奥の部屋へ行き、戸棚を探っていたが、やがて一本の槌を持って戻ってきた。
タイムハンマー。つまんないもんだけど、俺にとっては大切な品なんだ。受け取って貰えないか」

 私はそれをベルトに差し込んだ。ガルムートが言った。

「今回のことで、俺、はっきりわかったよ。俺とみんなとは、あの時計を通じて繋がっているんだなって。
 俺、あの時計を守っていくよ。時間を遅らせたりしない。鐘の音色も錆びさせたりしない。これから俺の、本当の仕事が始まるんだよ」

 ガルムートは力強く誓い、私とナリヒラの手を取り、もう一度あつく握り締めたあと、時計塔の油を持って、扉を出て行った。

「なあ、あいつはもう、大丈夫じゃぞ」
 
 ナリヒラは笑った。町で名の知れた頑固おやじが、目を細め、顔をくしゃくしゃにして。その嬉しそうな笑い声は、いつまでもやむ気配がないのだった。


(04.07.25)
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