| その282 キルトログ、傷心の婚約者に会う 私は朝から女神聖堂にいて、時間を潰していた。 神官の執拗な信仰の勧めを、失礼にならぬように断っていると、ヒュームの若者がひとり、扉に体重を預けるようにして、聖堂に入ってきた。ふらふらとした足取りで、アルタナ像の前にひざまずく。女神様、女神様、とぶつぶつ呟いている……。おそらくこれがアルブレヒト氏だろう。 アルブレヒトは端整な顔立ちの人物で、柔和な印象を受けるが、瞼の下にはくまが浮いているし、顎の周囲には不精ひげが目立った。頬はやつれて、肌には張りがなく、まだ20歳代と思われるのに、栗色の長髪には、刷毛で梳いたような白髪が散っていた。 「神様、あれから一向に、オーディアの回復の兆しは見えません。どうか彼女をお助け下さい。私をお助け下さい。私にはもう祈ることしか出来ないのです……」 女神像に向かって、彼は応えのない問いを繰り返した。その姿はひどく哀れで、とてもじゃないが、気安く声がかけられるような雰囲気ではなかった。一方神官はひどく感激したらしく、おお、と感嘆の声を漏らして、床上に身を折ったアルブレヒトの、肩の辺りをやさしく叩くのだった。 「アルブレヒト、お前の純真な祈りは、必ずや神の御心に届くことでしょう」 アルブレヒトは感激したように、何度も頭を下げて、再び祈りの行為に没頭していった。「あの者のように、あなたも祈りなさい」神官はこちらへ水を向ける。「そうすれば、きっと神は、あなたを守ってくれることでしょう」 これ以上講釈を聞かせられるのも嫌なので、私は聖堂を出ようと思った。そのとき入り口の扉の陰から、さっと離れた人影があった。ちらと見えた限りでは、人影はヒュームの少女だった。彼女が覗いていたのは何だったのだろう。背筋の張った高僧か。老人のように祈るアルブレヒトか。それともうす汚い鎧を着たガルカの戦士か。 どうにも情報が得られないので、再びボーディンの家を訪ねた。彼の姉の様子を尋ねていると、アルブレヒトが通りを歩いてきて、やあ、と少年に挨拶をした。明るくなったようである。祈りを続けて、少し気が楽になったのかもしれない。 「オーディアの容態はどうだい」と彼は尋ねた。 ボーディンは俯いてかぶりを振った。 「ずっとあの調子だよ、アルブレヒトさん」 「そうか」と彼は息をついて、 「しかし直によくなるはずだよ。僕が毎日祈りを捧げている……」 「嘘だ!」 ボーディンの突然の剣幕に、アルブレヒトも私も驚いて、身を震わせた。 「姉ちゃんは何も、呪われるようなことなんかしてないよ! 何か心当たりはないの? それがわからないと、いつまでたっても姉ちゃんはあのまんまだよ!」 かろうじてアルブレヒトを覆っていた仮面は、脆くも崩れて、将来の義弟を驚きの目で見つめる彼の顔には、どす黒い苦悩が、内側から噴き上がってきた。たちまちアルブレヒトは、教会で会ったときの彼に戻ってしまった。 「虫のいどころが悪いようだな!」と呟く。 「出直すとするよ。今度会うときまでには、機嫌を直しておいてくれ」 アルブレヒトは肩を落として、通りを歩いていった。先刻見かけた少女が、アルブレヒトとすれ違い、彼に向かって「兄さん!」と手を振るのだったが、彼は振り返ることもなく、人ごみの中に紛れていってしまった。 「アリスタ!」とボーディンが手を振った。彼女が近づいてきた。アルブレヒトの妹アリスタは、ボーディンと同じくらいの背丈で、兄によく似た栗色の毛をおさげにしていた。「兄さんに何かあったの」と少年に問う。「ひどく考え込んでたようだけど。私に全然気づいてくれなかったわ」 何でもないよ、と少年は答える。そのばつの悪そうな言い方に、少女も追及を控えて、そう、と小声で返事をした。 「それはそうと、ボーディン、お姉さんの調子はどうなの?」 「ありがとう。それが、あんまりよくならないんだ」 「そうなの……」 「アリスタ、姉ちゃんたちとピクニックに行ったとき……」 「……」 「何か変わったことはなかった? そのう……」 呪われるような何かが、と言いたかったのだろう。しかしボーディンは口をつぐんで、少女の方をまっすぐに見つめた。奇妙なことに、アリスタには動揺が見られた。少年から顔をそらし、はすに視線を向けて「何も……変わったことなんて」と小声で答えた。 ボーディンもおや、と思ったようだ。しかし彼は重ねて聞くことをしなかった。「きっとよくなると思うわ」というアリスタの慰めに、うんうんと頷いた。「そうだといいんだけど……」 「それじゃ私、帰るね、ボーディン」 「うん、ありがとう、アリスタ」 少年は手を振りながら深いため息をついた。おいらもうどうしていいんだか、と呟く。そして私に向かって、何か姉ちゃんを治せそうな手がかりがあったら、教えて下さいという。私もそうしてあげられたらと思う。しかし冒険者に何が出来よう。白魔道士が扱えるのは、極めて限定された範囲の呪いであり、悪霊を憑依できるような法力はない。そのうえ、医者も神官も役に立たないとすると……。 少年の依頼を抱えたまま私は家に帰った。世の中には思いがけず突破口が開けることがある。手がかりは意外に近いところに潜んでいたのだ。呪いとは全く縁遠そうな場所――ジュノ大使館の親衛隊詰所に、問題の答えは眠っていた。 (04.08.11) |