その284

キルトログ、憑物落としを試みる

 頼りになる仲間たちのおかげで、呆気なく炎を入手した私は、早速ジュノまで戻って、ボーディン少年に話しかけた。

エルディーム古墳の燭台

 姉を治せるかもしれないと聞いた彼は、どうぞどうぞ、と私を奥まで誘う。興奮を抑えきれない様子である。ボーディンには衛兵の話は聞かせずにおいた。果たしてこの炎が、オーディアにとり憑いた霊を払うものか、余計な活力を与えるものか、現時点では何ともいえないところがある。途端に私は、こういう生兵法の手段に出たことを後悔し始める。もしオーディアが症状を悪化させてしまったら、少年をなお悲しませることになるだろうし、余計なことをしたおかげで、取り返しのつかない事態を招くかもしれない。

 だが今さら引くことは出来ぬ。危険ではあれ、これ以外に治療の見込みはないのである。私はランタンをかざし、エクソシストを気取って、寝台に横になっているエルヴァーン嬢に近づいた。

「姉ちゃん、もうすぐ治してあげるからね!」

 ボーディン少年が姉に声をかけたとき、表の扉を荒々しくノックする音が聞こえて、家に闖入してきた者があった。
「炎を近づけちゃいけない!」


 来客はアルブレヒトだった。私は驚いた。身体はうす汚れて、あちこちに軽い傷まで負っているようだが、そうしたみすぼらしさとは裏腹に、彼の顔は、内側から溢れ出る、ぎらぎらとした生気に溢れかえっていた。

「ボーディン君……あなた! その炎はまずい。オーディアにとり憑いた悪霊は、古墳の聖火では祓えない。むしろ逆効果なのです」

「どうして、そんなことを知っているのさ」

「アリスタに一部始終を教えてもらった」

 アルブレヒトに続いて、彼の妹アリスタが、扉から顔を覗かせた。彼女はうなだれ、おどおどした様子で、寝室へ滑り入ってきた。

「ごめんなさい……私、オーディアさんを治す方法を知っていたの。お姉さんに悪霊がとり憑くところを見ていたのよ」

 何だって、とボーディンが顎を落とした。アリスタの下瞼に、みるみる涙の粒がたまり、彼女はしゃくりあげながら、ボーディン少年に対して許しを請い始めた。

「ごめんなさい……ごめんなさい。だって、お兄ちゃんを取られたくなかったの。お兄ちゃんが結婚しちゃったら、私、ひとりぼっちになっちゃうもの! それが嫌で、それが悲しくって、ずっと黙っていたの。
 オーディアさんがあのままなら、お兄ちゃんは諦めると思っていたの。でも、それは違ってて。お兄ちゃんはオーディアさんを本当に愛していて……それに、悲しんでるボーディンを見ていられなくなって……。
 本当に、ごめんなさい」

 アリスタは何度も何度も頭を下げた。ボーディンは無言だった。怒り心頭に達していたのかもしれないし、意外な真相に戸惑っていたのかもしれない。

「僕からも、頼むよ。ボーディン」
 アルブレヒトが割って入った。
「妹が黙っていたのは愚かなことだけれど、オーディアのことを嫌っていたわけじゃないんだ。許してやってくれ」

 果たしてこれが先日、聖堂で抜けがらのようになっていたのと同じ人物だろうか。私は驚きの目で、自信に満ち溢れたヒュームの青年を見つめた。

「それで……」
 ボーディンが引きつったような声をあげた。
「それでどうやったら、姉ちゃんがよくなるのさ……」

「これを取ってきた。モンスターどもがうろついていて、少々面倒だったがね」

 ランタンの中で炎が勢いよく燃えており、うす暗い寝室を照らし出しているのだが、その輝きが視界を邪魔して、アルブレヒトが荷物の袋から出したものを、確認することは出来なかった。ボーディンは「これが!」と驚嘆の声をあげている。

「さあ早く姉さんに、それを与えたまえ……」

 炎が悪霊にどんな力を与えないものかわからない。私はその危険性を感じ、部屋の隅に退いた。ボーディンは姉をゆり起こした。彼女は瞼をぱちりと開け、黄色く濁った眼球を晒したが、弟の掌中にあるものを一瞥するや、するどい牙の生えた口を開いて、おそろしい絶叫を始めた。

「貴様ら、なぜこれを!」

 オーディア――あるいは、彼女にとり憑いた悪霊――は、獣のように吼えたかと思うと、激しく身を反らせた。雷に打たれたように、大きな痙攣がびくん、びくんと続き、アルブレヒトとボーディン、アリスタと私が見守るなか、ふっと力が抜けて、オーディアの身体は、寝台の上に糸のように崩れ落ちた。

「ねえちゃん!」

 ボーディンが姉に近寄った。軽く揺すぶると、オーディアはあっさりと目覚め、弟へ向かって、まつ毛のながい瞼を、ぱちぱちとしばたたかせた。

「あら……」
 落ち着いた、美しい声だった。
「ボーディン。どうして泣いているの? アルブレヒトまで、そんなに汚れて……まあ、怪我をして! 一体何があったの。さっぱりわからないわ……」


 かくてオーディアは無事に戻った。ボーディン少年が彼女を安静に寝かしつけているあいだ、私はアルブレヒトと玄関口で話した。

「僕は現実から逃げていたんですよ、見知らぬかた」
 アルブレヒトは小さく笑った。

「神に祈る前に、自分でやらなければいけないことがある。そんな簡単な事も忘れていた。安易に信仰へ逃げてしまった。確かに祈りは、幾ばくかのなぐさめ、勇気と希望を与えてくれるものだが、自分がことを為すために、それらのものを活かすことが出来なければ、何の意味もないものだったのです。
 僕の妹がしたことは恥ずかしいことです。しかしボーディンも許してくれると言っている。彼女が独りぼっちになることはない。僕たちは、仲良く暮らすでしょう。僕はオーディアを守ります。もう二度とこんなことにならないように。そして僕はあなたにお礼がいいたい。オーディアを治すのに尽力して下さり、僕の目を覚まさせて下さった、ささやかなお礼です。受け取って下さい」

 私はホーリーメイスと2000ギルを受け取り、彼らの家を立ち去った。
 事態は丸くおさまったが、釈然としない最後だった。オーディアが何のきっかけで呪われたのか。悪霊の正体とは何だったのか。幼いアリスタがどうして悪霊祓いの方法を知りえたのか。アルブレヒトは何処へ何を取りにいったのか。


 ランタンを返すときに、私はそのいきさつを、ネラフ・ナジルフとアドリエの二人に話した。「俺の方法では駄目だったか」とタルタル氏は言った。「だが、こいつは貴重な話だ。ひとつ警備日誌にでも書いておこう」

「私にも不思議なことがひとつある……」
 衛兵詰所を去りぎわ、アドリエが私に耳打ちした。
「いったい彼は、あの身長で、どうやって燭台の炎をランタンにうつしたのか」

 タルタル氏は、彼の背丈ほどの帳面と格闘していた。私はアドリエに続き、大声でわははと笑って、詰所を後にした。いろいろと不可思議な点は残るが、とりあえず事態の顛末を、LeeshaとSteelbearに説明しておくことにしよう。


(04.08.11)
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