その290 キルトログ、天晶堂支部へ行く 飛空挺乗り場の前に、巨大な倉庫の入り口がひらいている。この裏手がバストゥークの天晶堂だ。私はこの扉を通って堂々と彼らを訪ねた。御免、カゲトラという人物はいないだろうか。エンセツの友人のカゲトラ氏は。 彼はすぐに見つかった。頬のこけたヒュームの男で、東洋の風習に従ったものか、頭頂以外の髪を剃り落としていた。肩当てのある黒い拳法着を身につけている。褄(つま)から覗く両手は節が目立ち、ごつごつしていた。 「エンセツの馬鹿が、がきに気づかれやがったのか」 カゲトラは歯を剥いて笑った。 「あいつめ、しょうがねえ奴だ。昔から役には立たなかったがな。戦闘要員にもなれなかったんだから」 私は尋ねた。エンセツの娘が心配しているのだが、彼は何の用事でここへ出入りしているのか。 「本人に聞いてみればいいだろう」とカゲトラ。 「生活が苦しいらしいから、何か手伝ってやるといいだろうよ。小さい娘がいるんなら、なおさらな」 それはもっともだ。 扉を開けながら、私は振り返って、彼にもう一言尋ねた。さっき、エンセツは“昔から”役に立たなかった、といったが……。 エンセツとあんたとは、一体どういう関係なのだろうか。 「まあな」カゲトラは頬をかいた。 「昔の恋敵ってところよ」 私は天晶堂を立ち去った。
民家に戻り、カゲトラの言葉をそのまま伝えると、エンセツは顔色を青くした。 「何を考えているんだ、あいつは……」と頭を抱える。 「普段は、簡単に秘密をばらすような奴じゃないのに……」 「ひみつって何!」 カエデが勢いよく駆け込んできた。 「聞いたよ! お父ちゃん、何を隠しているの!」 哀れな父親の顔は、青を通り越して、紙のように白くなっていた。「何も隠してない! 子供は黙っていなさい!」と叱り付けたのだが、どうやら隣の壁に隠れ、父が尻尾を出すのを、じっと待っていたらしい娘は、その程度では引こうとしなかった。 「何よ! いつまでも子供じゃないんだから……お姉ちゃんばっかりひいきして!」 エンセツははっと顔を上げた。 「お姉ちゃんにばっかり、刀を使わせて! あたいだって強くなれるんだから! お父ちゃん、カゲトラのおじちゃんから、刀を買ってるのでしょ! お父ちゃんも、刀の使い手なんでしょ!」 「カエデ……」 唾のかたまりを、エンセツは飲み込んだ。 「そんなことを、誰がお前に言ったんだ?」 「わかるもの。お姉ちゃんはどっかに修行にいって、刀の使い方を覚えたといってたけど、本当はお父ちゃんが教えたんじゃないの? お姉ちゃんをひいきしてるから、あたいには教えようとしないんじゃないの?」 娘は涙を流して、「だいっきらい!」と大声で言い放つと、表へ飛び出してしまった。 父親は手のひらで汗をぬぐった。 「いやはや、お恥ずかしい」と私に言う。 「女の子の成長というのは、早いものですね。上の子もそうでしたが、男親には、戸惑うことばかりでね、は、は」 エンセツは空笑いをしたが、私が黙っているのを見て、そうした話題は適当でないと気づいたのだろう。床に落ちていた薪の切れ端を拾い、いらいらとかまどの中へ放り込んだ。ぱちっ、ぱちっという小気味のいい音が響いた。 彼は背中を向けたまま、低い声で言った。 「ひとつ、頼まれて下さらんか……」 何でも、と私は答えた。 「天晶堂に売ってしまった品物があるのです。それを買い戻したいのです。カゲトラにそう伝えたのですが、時間が経ってしまっていて、既にノーグへ送られたとのことでした。その品を取り戻すには、物々交換に応じろというのです。コロロカの洞門の奥に生えている、奇妙な珊瑚を持って来いと。 私ごときの行ける場所ではありません。お礼は必ずしますので、かわりに取ってきてはいただけないでしょうか?」 私が頷くと、彼は右手を差し出した。私は手甲をはずし、彼としっかりと握手した。 エンセツの手はごつごつしていた。しかしそれは、あか切れや擦り傷によるものであり、芯は頼りなかった。彼は生活苦によって荒れた手を持っていた。得物を握り慣れた手でないのは明らかだった。 エンセツは自嘲気味に笑った。 「本当に、刀の使い手ならよかったんですがね」 (04.09.09)
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