その292

キルトログ、忍びの者の心得を聞く

 抜けない短刀を貰った私は、さっそくそれを携えて、バストゥーク港にある、エンセツの家へと向かった。

 わざわざ封をしてあるということは、とんでもない魔力を秘めているのかもしれない。私はそう考えていたが、封じているのは単なる紐であって、呪符ではない。品物の佇まいからして、どうも魔法の品らしくないのである。もちろん以上は自分の推測であるから、間違っている可能性はあるが、もしわざわざ抜けなくした短刀に過ぎないのであれば、何が目的で作られたのか。疑問ばかりが募るのだった。

 品物はそれで間違いないかと私が問うと、エンセツは恐縮して頭を下げ、刀を受け取った。
「ありがとうございます。娘のために必要になりそうで……」

 すると隣室から「お父ちゃん!」という、脳天に抜けていきそうな、甲高い声が聞こえた。カエデが飛び込んでくる。彼女は「見た! 見た!」と刀を指差しながら、「やっぱりお姉ちゃんに刀を買ってたんでしょう!」と叫んだ。心外だが、私はカゲトラの同類として見られたようだ。

「アヤメに渡してなどおらんよ」
 封を確かめながら、エンセツが言った。
「あの娘は自らの手で、刀をつかんだのだ」

 父は娘にゆっくりと歩み寄った。腰を落とし、目線をあわせ、娘の手のひらを開かせて、刀をゆっくりと握らせた。その上で父は、優しさのために荒れた手を、彼女の手の上に重ねた。

「いつかは教えようと思っていたが、これは、お前の母さんの形見だ」
「お母ちゃんの……?」
「覚えがないだろう。お前が生まれるときに、死んでしまった」

 エンセツは立ち上がった。

「それは、正確には忍者刀という。お前と、お前の姉アヤメの母親は、忍びの者だったのだ。
 少し長くなるが、話さねばなるまい。この人にも聞いて頂こう。忍者刀に、どのような大切な意味があるか。この人にも知る権利があるだろう」

 彼はせきを一つした。何から話そうか迷っているふうだった。幼いカエデは、刀を握り締めたまま、じっと父を見上げていた。
 その瞳に、ちらちらと暖炉の火が燃えていた。

「私は昔、東洋の文化が伝来する地、ノーグに住んでいた……」
 エンセツは話し始めた。

「恥をさらすようだが、私は海賊だった。それも下っ端の、雑用を果たす係に過ぎなかった。戦闘力のない私は、刀を持って船に乗ることすら許されなかった。だからそもそも、私がアヤメを鍛えられたはずはないのさ。

 一方、お前の母親は、優秀な戦闘員だった。

 ヨミは――それが母の名だが――男顔負けの強さだった。忍びの技は、彼女の父親から受け継いだらしい。一方の私は、単なる下男に過ぎなかった。だから、私とヨミというのは、釣りあう間柄じゃなかったんだ。そういう彼女が、どうして、私のような平凡な男に興味を持つのか、当時は不思議に思った。今は、わかる気がする。想像にすぎないが、彼女は強い女性だったから、血のにおいのしない私に、安らぎを感じたのかもしれない。

 ヨミが身ごもったとき、私と彼女は、ノーグを離れた。ヨミは海賊業に未練を残さなかった。刺激的な人生から、平凡な人生へ。そういう選択をすることを、彼女は全く迷わなかった。にもかかわらず、足を洗うという感覚ではなかったのだな。なぜなら、ヨミは過去に歩んできた道を否定しなかったからだ。

 彼女は私に言った。自分の人生は忍びの道であったが、海賊を止めることで、そこから離れるわけではない。道の先に別の何かを見つけただけなのだ。

 それは、母として生きることだった。強い母になる、とヨミは笑った。忍びの道に耐えた私なのだから、と。そうしてバストゥークに来て、彼女はアヤメを産んだ。私たちはここで過ごし、10年後にカエデ、お前を身ごもったのだ。

 ヨミはお前を産んだ。しかし、彼女の体力は限界に来ていた。今にして思えば、あまり長くは生きられないということを、彼女自身知っていたのかもしれない。ヨミは死んでしまった。命を引きかえにしたのだ。カエデ、お前の命は、母から直接もらったものなのだよ」

「お母ちゃん」
 カエデが小さく呟いた。「お母ちゃん」

「お前たちに刀を握って欲しくはなかった」
 エンセツは言った。

「アヤメがノーグに修行に行くと言い出したとき、私は反対した。影に生きる忍びの道の過酷さは、ヨミを見てよく知っていたからだ。しかし、アヤメは侍の道を選んだ。あの娘は過酷な修行で侍を極め、ミスリル銃士隊に加わるまでになった。

 私は胸を撫で下ろしたよ。しかし……本当に心配だったのは、カエデ、お前の方なのだ。お前は母によく似ている。アヤメよりもずっと。いつか「忍びになる」と言い出さないか、そればかりをずっと心配していた。

 だが、たぶん私は間違っていたのだろう。忍び……この言葉の意味がわかるか。忍ぶとは、我慢するということ、耐えるということ。忍ぶ心を持たぬ者に、刀を抜く資格はないのだよ、カエデ。母はその心を教えるために、忍者刀にわざわざ封をして、娘に遺したのだ。彼女の人生の意味を伝えるために」

 カエデは泣いていた。刀をかき抱いたまま、静かにすすり泣いていた。
「お前の道は、お前が決めるんだ」
 エンセツはそっと、娘の背中を押した。
「私はもう、お前を止めない。しかし、自分の選んだ道がいかに苦しかろうと、母の教えた、忍ぶ心を忘れてはいけない」
「お母ちゃん」
「ああ」
「お父ちゃん」

 娘が隣室に消えると、エンセツは棚の引き出しを開けて、一巻の巻物を取り出した。
「忍びの心得を記した書です」
 それを差し出そうとするので、私は身を引いた。彼の娘に将来必要になるだろうから。
「よいのです。娘には母の教えがあります。忍びの道を選ぶかどうかは、彼女自身が選択するでしょう。さあ」

 私の手に、巻物を握らせてから、彼はにっこりと笑った。
「女の子の成長は、早いものですね、そう思いませんか」

 ほほえみを返し、私は表に出た。港を吹き抜ける風が、次第に濃くなっていく、秋の香りを運んで来ていた。


(04.09.21)
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