その331

キルトログ、失われた記憶を取り戻す(3)

「逃げるのよ!」
 ライオンが叫んだ。
「今の私たちには、勝ち目はないわ!」

 朦朧とした頭で、私はそれを聞いていた。彼女に助け起こされる。何ということだ、多少なりとも戦力になるつもりだったが、これでは単なる足手まといではないか。

「食い止めねば……」
 ザイドはゆらりと立ち上がった。肩で息をしている。腕の痺れは残ったままだろう。暗黒剣は地面に刺さっている。
「食い止めねば! でないと、我々の未来はないのだ!」

 そのとき、ヒュームの戦士が、剣の切っ先を向けて、ザイドに突進してきた。その足の速さよ。彼は避けようとしたが、動きが鈍く、飛び退くのが遅れた。刃が眼前に迫る。

「ザイド!!」
 絶叫。

 肉を貫く、嫌な音がした。

 私は、顔を起こした。かすむ目の向こうに見たのは、ヒュームの剣が、確かにガルカの身体を貫いた光景。だがそれは、ザイドではなかった。暗黒騎士の前に、身を投げた男がひとり。

「ラオグリム!」

「この!」
 ライオンが、手の中で火球のようなものを作り、ヒュームの戦士に投げつけた。だが彼は、あっさりこれを払いのけてしまう。顔は動かない。嘲笑も、疎ましげな表情も浮かべることはない。

 我らが語り部は、クリスタルの戦士を睨みつけ、胸に刺さった武器を打ち払った。腰が砕けて倒れそうになるところを、ザイドが駆け寄り、彼の背中を支えた。
「お前は……なぜ、こんなことをした。何のためらいもなく」
「そうした女を知っている」
 言って、語り部は、血の塊を吐いた。


 彼らの周りを、クリスタルの戦士たちが囲いつつあった。二人はじりじりと下がった。ラオグリムは勇敢にも、あれほどの深手を負いながら、ザイドを庇うのをやめようとはしなかった。彼自身裸同然であるにもかかわらず。

「私にはまだ、闇の力が残っている……」
 ラオグリムは言った。
「その力をかき集めれば、足止めくらいは出来るだろう。その間に逃げて、体勢を立て直すがいい」

「そんなことは出来ぬ、ラオグリムよ。我々はようやく、語り部を……お前を取り戻したのだ!」
 クリスタルの戦士が迫る。ラオグリムの喉の奥から、獣のような吼え声が漏れた。
「ならば、語り部として命じる。行くがいい、ザイド」
「ラオグリム……」
「彼らは、世界を守ると言った。その言葉を信じよう」
「……」
「ヴァナ・ディールを頼んだ。さあ行け」


「30年前、私は死んだ。今さら命は惜しまぬ……」
 ラオグリムは立ち上がって、吼えた。闇の力が、彼の身体に流入する。たちまち彼はもとの巨人となった。こちらを振り返って、かすかに微笑んだ。奇妙なことだ……闇の王の微笑み。

 ラオグリムは、否、闇の王は、クリスタルの戦士たちに向き直り、巨大な剣を構えた。
「我は闇の王。ガルカ族を率い、ひとたびは獣人を統べし者。さあ来い。相手に不足はないであろう」

 戦士たちが、表情を変えぬまま、王に打ちかかった。彼は二、三撃を軽くいなしたが、鋭い剣が肉を捉えると、がっくりと片膝をついた。間髪を入れず、戦士たちが襲いかかる。
「見せてやる……これが私の……覚悟だ」


「ラオグリム!」
 腕を引くライオンを振り払って、ザイドが叫んだ。私の仲間たちは、避難を始めている。
 王の間に咆哮がこだまするのを、私は扉ごしに聞いた。闇の王の断末魔の叫びが届いた。それは意外にも、優しく、暖かさに満ちた言葉だった。
「コーネリア……ああ、コーネリア」

 それきり、声は聞こえなくなった。

 我々は塔の外へ出た。ライオンが私に駆け寄り、こっそりと耳打ちする。
「今日は大変だったわね、Kiltrog……。感謝してるわ。私はザイドと帰る。時間があったら、ノーグへ訪ねてきてね。今後のことを話しあいたいから」
 ノーグ?
「来ればわかるわ。紹介したい人もいるから」
 彼女は片目をつむってみせた。
「それじゃ」

 ライオンはザイドを呼び、彼の背中を追いかけた。彼は一度も振り返らなかった。私は胸を押えたまま、もう一方の手で、朦朧とする頭を支えた……。


(05.02.13)
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送