その343

キルトログ、アミュレットを受け取る

 モンブローの前に現れたヒュームの男は、たっぷりとした黒いローブを身に纏っている。大公の顧問役らしいが、驚くほど若い。エルヴァーンなみの痩身で、色が白く、金色の髪を後ろに撫で付けている。左目を囲むくまどりが見えたが、どうやらそれは、片眼鏡のような一種の機械らしい。

「ナグモラーダ様」
 ウォルフガングが小声で言った。
「閣下が自らお出で下さらなくとも……」
「隊長。モンブロー医院のモンブロー殿は、若いながら腕は確かで、仁医だという噂を聞いている。彼には義を説き、礼を尽くして、我々の立場を理解してもらうのが、何よりだと考えるのだが」
「それはそうでしょうが……」

「この件に関しては、曲げるわけには参りませんが」
 モンブローは落ち着いている。
「閣下がいらして下さったのは光栄です。患者の負担になるといけません。少し表でお話しできますでしょうか」
「いいでしょう」
「すいません」

 一同はぞろぞろと出ていった。私も腰を浮かせたが、「きみ、申し訳ないが、患者を見ていてくれませんか」と言われて、再びどっかりと座った。
「何かあったらすぐ呼んでください」
 わかりました、と私は答えた。モンブローが扉を閉めた。少年は身動きひとつしない。寝息も聞こえず、生きているのかどうかもわからない。

 さて、と一息つく。またきな臭い人物が現れた。ナグモラーダという男、言葉使いは丁寧だが、どことなく陰湿な雰囲気がある。大公と同じ空気を感じさせるのだ。彼の諮問役という地位からして、うさん臭いことこの上ない。

 もうひとつ、気になる一言があった。デルクフの塔で爆発があったというのだ。彼らの口ぶりによれば、作為的に起こされたようだが、犯人がこの少年というのも納得がいかぬ。いきさつの想像はつく。彼がここにいるということは、まずル・ルデの庭ではなく、モンブローのもとに運び込まれたのだろう。おそらく診察途中か、あるいは最初から、少年は昏睡状態に陥っており、詳しい話が聞けない、というような真相ではあるまいか。

 それにしても、一体どういう理由で、先天的な虚弱体質の子供が、デルクフを爆破できようか? また何のために? 彼の親が見つからないのも気にかかる。デルクフの塔はクフィム島の奥にある。冒険者ですら出歩くのが危険な場所を、一介の孤児が簡単に突破できるとは思えない。

 謎だらけだ、と思った。真龍のこともある。そういえば、一連の出来事は、ここ数日の間に起こっている。根元で繋がってはしないだろうか。もしかしたら、大公とその弟が一枚噛んでいるのでは?
(奴も、ジラートかも知れぬ)
 不意に思い至った。だとすると、少年もそうではないか? 全体的な雰囲気が、大公弟エルドナーシュに近いような気もする。子供だからかもしれぬ。確信はなかった。顔さえ確認できれば、もう少しはっきりしたことが言えそうだが……。

 私はベッドを見た。少年は消えていた。


 表から声が聞こえる。
「デルクフでの研究は、あなたに関わりのないこと。我々は真実が知りたいのだ」
「それは私も同じです。医者として」
「彼が目覚めん限り、爆発の真相はわからんのだよ」
「しかし……」
「あなたは勘違いしている。病人に話を聞くには、まず彼を助けないといけない。失礼だがここの治療では限界があろう。宮殿には典医がおり、設備も整っている。医者として考えてほしい。患者にとっても、大公邸に移った方がよいのではないか……」


 今しがたまで山なりだったシーツは、平坦に潰れ、何者かが寝ていたという痕跡のみを残している。
 私はシーツをめくった。布団に触った。あたたかみがない。そういえば、体温が低いと言っていた。ベッドの下を覗き込んだが、姿がない。表に出たわけでもないようだ。もし逃げていたなら、親衛隊が騒がないはずはない。

 そのとき、不意に肩を叩かれた。私は振り返った。少年だった。胸元のあいた黒いシャツを着、血色の悪い肌を除かせている。顔は痩せていた。目の位置に、ぽっかりと眼窩が開いているようだが、よく見てみたら、大きな両の目とわかった。
 その紫の光を見ているとき、

(あ……)

 私は、白昼夢に落ちた。

 サーメットの王宮の上を、私は飛んでいた。水に満たされた美しい城。私はここに見覚えがある。いったい何処だろう、と考えていたら、ある場所に思い至った。
(ロ・メーヴ?)

 その瞬間に、意識を取り戻した。
 少年が片手を突き出した。彼は右手に、首飾りのようなものを握っていた。私は促されるままに、不思議なアミュレットを受け取った。それを確認すると、少年は表に目をやり、扉を通り抜けた。ノブは握らなかった。文字通り扉を突き抜けたのだ。その正体や如何に。妖怪か? 幽霊か?

「子供だ!」

 親衛隊の声がした。私は飛び出した。大勢の鎧を着た大人が、よってたかって少年をつかまえようとしている。体温の低い、瀕死の病人であったにもかかわらず、彼はすばしこく走り、往来の人ごみの中へ姿を消した。

「消えた! そんな」
 ガルカの兵士が、きょろきょろと辺りを見回した。
「馬鹿め、見失ったか」
 ウォルフガングは舌打ちをして、
「この一帯を包囲しろ! いいか、人間は消えん。何処かに隠れただけだ。決して逃がすな!」
 部下に怒鳴り散らす傍ら、呆けたようなモンブローの傍らに来て、
「やはり、狸寝入りだったな」
 一声言い残すと、自らも雑踏に飛び込んで行った。

 そして3人が残った。モンブローと、ナグモラーダと、私である。医師は口をあいていた。さもありなん、彼が重病人、少しも動かしてはならぬと診断した患者が、すばしこく走り回り、親衛隊を撒いて逃げてしまったのだ。
「確かに、あの少年でしたな」
 ナグモラーダが低い声で言った。
 モンブローは、こくりと唾を飲み込んだ。
「お言葉ですが閣下……私には彼が、親衛隊の言った通り、消えたように思いました。空中に溶け込むように、すうっと」
「いかにも」
 ナグモラーダは頷いた。
「私にもそう見えた。人間とは思えんな。だとすれば、厳重に警備しようが、無駄なことかもしれん。
 それにしても、どこかで見た顔と思うのだが。これは私の気のせいだろうか?」


 数人の護衛を連れて、ナグモラーダは去った。騒動を取り巻きに見ている者もいたが、これ以上何もないとわかると、たちまちいなくなってしまい、診療所前は元の、静かな雰囲気を取り戻した。
 とことこと近づいてきた者があった。雑用に行っていたエルヴァーン嬢である。
「先生、親衛隊の詰所は、ほとんど人がおりませんでした」
「そうだろうね」
「何かあったのですか? ふたりとも往来に出られて……」
 助手は素朴な疑問を出した。力なくモンブローが笑って答える。
「私にも、何が何だかさっぱりなんだが……子供の世話は考えなくてよいようだ。いつもの診療に戻ろう、レイラン君。爆破のときの治療費も、薬代も、いつか時間が出来たときに、まとめてウォルフガングに請求することとしよう」


(05.04.24)
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