その345

キルトログ、錬金術師に会う

 その夜、私は夢を見た。
 ル・ルデの庭に出たら、空が真っ黒だった。街が燐のように青白く輝いている。人影はひとつも見えない。
 噴水を見下ろしたら、戦没者の石碑が、齧り取られたようになくなっていた。宮殿の屋根も空に溶けている。よく見たら、何か黒い、霧のようなものが纏わりついているのだ。
(闇?)
 いや――と、私は思った――あれは……あの正体は……。
 

 寝汗だらけで、私は目を覚ました。
 息を整え、モーグリの渡してくれたタオルで、上半身を拭う。今日は大公邸を訪ねる予定だ。普通の格好をしていこう。下手な小細工はまずいと、昨日は思い知った。宮殿内にも冒険者の出入りは多い。堂々とさえしておれば、それが何よりの隠れ蓑になるだろう。


 大公邸は宮殿の最奥にあり、一般人に開放されている。開かれた大公家が賞賛される一方で、過ぎたパフォーマンスという非難の声もある。一国の主にしては、狭く小さな家だ。部屋も3つしかないが、天幕のあるベッドなどの家具や、壁にかかっている風景画などは、さすがに趣味の良さを感じさせる。

 その絵画に見入っている、神経質そうな男を見つけた。彼が、バストゥークから来た錬金術師に違いない。
 私はこんにちはと挨拶をした。
「きみも、プロミヴォンへ行ってきたのかね」
 彼は言う。
「記憶の塊を持ってきたか?」

 戸惑って返事を渋っていると、彼は手近な椅子を引き寄せ、私にも座れと命じた。私は、彼の隣に腰をかけた。錬金術師はハリスと名乗って、ある機関に関係しているのだ、と言った。アルマターという名前までは出なかった。

 自己紹介きり、彼が黙っているので、私から問うことにした。
 ――プロミヴォンとは、何のことです?
「デム、メア、ホラの岩を知っているかね」
 ――ええ。
「あすこに広がっている世界を、我々はそう呼んでいるのだ」

 世界とはどういうことだろう。穴が開いている、という話は、親衛隊から聞いたように思う。てっきり要塞のようなものかと思っていたが、違うのだろうか。

「プロミヴォンは、この世のものとも思えぬ空間だ。そこに奴らが巣食っている。我々は、大急ぎで研究を進めてきた。ヴァナ・ディールを襲いつつある、敵の正体について知らねばならん」
 私はごくりと唾を飲んだ。
 ――敵とおっしゃったが。
「いかにも」
 ――どんな奴です?
「奴らには、実体がない」
 ハリスは淡々と言った。
「感情がない。思考もない。目的すらない。以上の特徴から、弱点もない。そう我々は考える。これまで世界を襲った敵とは、全く異質の存在なのだ。
 その、抜け殻のような奴らを、我々はこう呼んでいる。
 虚ろなるもの」


 私は、夢を思い出した。ジュノを包みつつある黒い霧。あれは、闇ではない。現世界に存在する、どんな物質でもない。
 私にはもうわかっていた。
 あの正体は……“無”だ。

 私は尋ねた。
 ――そんなものと、どうやったら戦えるんです?
「さて、そこだ」
 ハリスが人差し指を立てた。
「奴らは、我々が考えるほど、完璧な……対処の方法も、付け入る隙もない、という存在ではない。研究が進み、だいぶ多くのことがわかってきた。
 奴らはまだ、生物としての残滓を宿している。わずかに捨て切れなかった記憶を、腹の中に持っている。そういうものを拾ったら、持ってくるといい。わたしが特殊な技術で、アニマに精製してやろう。
 アニマとは、魂が物質化したものだと考えてもらっていい。奴らはこれを忌み嫌っている。致命的なダメージを負わせることは無理だが、怯ませたり、おびえさせたりすることは出来る。その辺につけ込む隙が生じるはずだ。
 だからまず、プロミヴォンで記憶を拾ってくるのだ。わたしがきみに頼みたいのは、まずそのことだ」


 ハリスが立ち上がり、絵のもとへ戻った。私は額に手を当てて、今しがた彼が語ったことを、自分なりに反芻してみた。
 どうやら3つの岩の中には、プロミヴォンと呼ばれる世界が広がっており、敵――虚ろなるものが生息しているらしい。奴らは感情も、思考も、目的も持たず、弱点も存在しないはずであるが、かつて有していた記憶をかろうじて宿している。その塊を精製した「アニマ」という物質なら、奴らを弱体化させることが出来るというのだ。
 とんでもない話が飛び出てきた。私は真龍と、謎の少年を追っていたはずなのに。異質な敵による侵食とやらは、これらの事件にどう関係しているのか? ナグモラーダが執拗に少年を追う以上、両者がまったく無関係とは思えないのだが。

「失礼ですが、魔道士どの」
 私はハリスに声をかけた。
「この件――あなたの言った話は、秘密ではなかったのですか」
「いかにも」
 彼は鷹揚に頷いて、
「機関からは、厳重機密と言われている。しかし一方で、街には情報が流れ、プロミヴォンに足を運ぶ冒険者も増えているのだ。
 この秘密を、研究者が独占するのは不可能だろう、とわたしは思う。岩の中には奴らが溢れている。ひ弱な研究者が無事で済むわけはなく、自力で記憶を獲得するのは不可能に等しい。どうしたって冒険者の力を借りねばならん。冒険者に知られたら……あとは言わずもがなだ。秘密は秘密でなくなってしまう。
 そもそも、プロミヴォンを発見したのはきみたちだ。好奇心旺盛な冒険者の口に、戸が立てられるわけはない。公然の秘密となっているのに、機関は建前を装っている。滑稽な話だ。わたしなんかは、きみたちに情報を提供し、協力してもらった方がいいと思っているんだ。
 だから今、こんな話をしているわけさ。理解できたかね」


 私は納得した。ネラフ・ラジルフたちも、おそらく同じ考えだったのだろう。
 真龍と謎の少年、プロミヴォン、虚ろなるもの。関連はまったくわからない。全貌が見えてくるのは、まだずっと先だろうと思う。それまでは手探りで進むしかない。とりあえずデム岩に行って、プロミヴォンなる空間の探索から始めてみるとしようか。


(05.05.01)
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