その357

キルトログ、タブナジアの長老に会う

 タブナジア地下壕という場所は、広いといえど地下壕であり、大勢の人間が生活するには、空間が絶対的に不足している。満足に個室を持つ者は、ほとんどいないのではあるまいか――おそらく、長老のような人物を除いては。

 彼の部屋は、木と石でしっかりと基礎が施されている。小さな階段が階下へ伸び、簡単な荷物庫に繋がっているようだ。部屋全体は調度品に恵まれている。波紋状の唐草模様を編み込んだ絨毯。黒檀の木のローボード。ちろちろ炎が燃える暖炉の上には、銀製の小さな盾が並ぶ。額入りの絵が数枚、殺風景な石壁を彩っている。
 地下壕の中では、確かに立派な部屋であるが、それでも全体的に豪華な感じはない。むしろ古びて埃っぽいところが目立ち、彼らのじり貧の生活を明示しているようだ。
 
 私が会いに来た長老は、籐製の椅子に腰掛けていた。彼はゆっくりと――彼の年齢にしてみれば、確かな足取りで――立ち上がった。浅黒い肌のエルヴァーンである。髪は真っ白になり、わずかに頭頂部と、後頭部に残っているに過ぎない。眉も髭も白い様子は、枯れ木に霜が下りているようでもある。

「ようこそ、いらっしゃいました」
 思いのほかはっきりした発音だった。
「私はデスパシエール。ジャスティニアスから報告を受けております。災難でしたな、本大陸から流されて参られたのでしょう。
 どうぞおかけ下さい。いろいろと、外の世界のお話を聞かせていただこうと思っております」

 いえいえ、と私は遠慮し、立ち続けていたが、長老は一向に腰を下ろさない。客人をさしおいて座るのをよしとしないようだ。私は彼にとって、そういう流儀の対象なのだろう。そう考えたらほっとして、ではお言葉に甘えて、と、籐の椅子を借りた。翁もようやく腰を下ろした。

「獣人に襲われなかったですか」
 恐縮なことに、長老にいたわってもらう。私は首を横に振った。この辺りのオークはレベルが低く、せいぜいダボイの入り口にいる、見張り程度の実力しかないようだ。だから私たちは、奴らなど問題にしないまま通り抜けてきた。こちらから仕掛けなければ、戦闘になったことすらない。
「すごいですね」
 老人は驚嘆して、
「どうでしょう……大陸には、まだ獣人がおりますのか。闇の王は滅んだと聞いたのですが、復活したらしいという噂もまた、小耳に挟んでいます……」

 私は驚き、呆れた。そしてすぐに後悔した。外界と分かたれていた23年、彼は世界の動向を知らなかった。ヴァナ・ディールの子供でも知っている常識が、彼には通じないのだ。それは何も老人のせいではない。誰のせいでもない。

 私は細かく話した。クリスタル戦争の終焉後、世界は沈静化に向かったこと。それでも人類と獣人は、ヴァナ・ディールの各地で戦闘を繰り広げていること。サンドリアはオークと、バストゥークはクゥダフと、ウィンダスは――同盟しているとはいえ――ヤグードと、それぞれ揉め事を起こしていること。
 そして、闇の王についての噂も。彼は確かに復活したが、どこかの冒険者によって退治されたらしいこと。退治された後も、ズヴァール城には残党が住み着いていること。

 老人は何度も合点合点をする。
「そうでしょうね。この界隈にも、獣人軍の残党がいます。私たちは彼らのおかげで、満足に表を歩くことも出来ない。
 闇の王が退治されれば、世界は平和になると思っていましたが……どうやら、私のそういう考えは、いささか無邪気に過ぎたようですね。
 それにしても、闇の王を倒すとは、勇敢な冒険者さんもあったものだ。その人はさぞかし名のある、立派な人物に違いない」
 
 そうでしょうな、と私はぶっきらぼうに言った。老人はしばらく、ぶつぶつと呟いていたが、椅子の手すりを使って、ゆっくりと立ち上がった。私は手伝おうとしたが、彼は手で制し、座っているように言った。背中を曲げたまま、壁にかかっているタブナジア国旗に向かう。それは焼け落ちたか、下半分がぼろぼろに破れていたが、サンドリア国旗を思わせる紅蓮の色と、グリフィンに代わる向かい合った獅子の姿に、由緒正しい侯国の名残りを伺うことが出来る。


タブナジア国旗

「そんなに世界が大変ならば……」
 背を向けたまま、長老は呟いた。
「誰も、私たちのことを気にしますまい。23年も穴倉に閉じこもり、助けを待つことも諦め、静かに生きている……私たちのような人間のことは……」

 私は黙っていた。私を支配していたタブナジア熱は、未知の土地に対する興味だった。生き残っているかもしれない人々のことなど、最初から念頭にはなかった。もっとも、大戦の死者に対する礼儀や、追悼の念だけは忘れまいと心がけていたが。

「地下壕の中を、ご覧になりましたか」

 ええ、と私は言った。そして、通路や部屋の構造が、とてもコンパクトに収まっていることに驚いた、とも。

「タブナジア大聖堂の運搬路を、改造して住めるようにしました。工事には20年かかりましたよ。いろんな箇所を掘り抜きましたから、当時の面影は、もうほとんど残ってないでしょうね。
 あなたも聞いたことがおありでしょう。「ザフムルグの真珠」と呼ばれたタブナジアの名前を。美しい土地。遠い国々から運ばれる、珍しい積荷と富。一攫千金の夢、立身出世の野望、あらゆる野心を飲み込む器量が、われらの故郷にはありました。
 私たちは、侯国の末裔です。その誇りだけは、決して捨てぬよう心がけています」

 私は小さく拍手をした。彼らがここへ逃げこんだからこそ、タブナジアの火はまだ消えずにいるのだ。
 老人は言った。
「私たちをここに導いてくださったのは、枢機卿のミルドリオン猊下(げいか)でした。感謝しなくてはなりません」
 ……枢機卿?

「獣人が襲ってきたとき、私たちは大聖堂に逃げ込みました。女子供、老人ばかりです。獣人に包囲され、外へも出られませんでした。私たちは、ただ死を待つより他はなかったのです。
 猊下は、地下の運搬路を開放され、仰いました。強い心を持てと。まずは港へ行き、船で大陸へ脱出するのだと。猊下の導きのお言葉に従い、私たちは運搬路を下りていきました。
 ところがどうでしょう。船はありませんでした。岩が崩され、大陸へ渡る道も塞がれていました。私たちは閉じ込められてしまったのです。
 女神さまがきっと助けて下さる……猊下は私たちを励まして下さいました。もし猊下が勇気と、信仰の心を授けて下さらなければ、私たちは死んでしまっていたでしょう。生きる道を何とか切り開けたのも、猊下が導いて下さったからこそなのです。
 そして23年、地下壕はここまでのものになりました……」

 新タブナジアと言うわけですな、と私は言った。長老はにっこりと笑った。彼の次の言葉を待ったが、笑顔が凍りついて、仮面のようになってしまっているのに気づいた。彼は目頭を押さえ、「いや、失礼」と言った。うつむいた彼の口から、低い嗚咽が漏れ始めた。

「この穴倉が……もはや唯一のタブナジアだとは。希望だとは……まさか……」

 復興に誇りを持ちながらも、昔日の栄光との落差は拭い去れぬ。長老の絶望がひしひしと伝わってきた。希望を抱き続けることは、もはや欺瞞でしかない。彼らの物資は尽きかけている。解決の策はない。候都奪還の目途も立たぬ。彼らにそれだけの戦力はないし、第一気力を維持できるかどうか。

 新タブナジアは、すでに滅びの坂にいる。彼らが赤い旗を掲げる日は、おそらく永久に来ることはないだろう。


長老デスパシエール

 私はやり切れない思いで、長老の部屋を出た。
 地下壕の現状が胸を煩わせたが、それとは別に、長老がふと漏らした、涙をごまかすように言った言葉が引っかかった。
「そういえば、もう一人遭難者の方がおられたが……」
 ええ、と私は答えた。
「出来れば、あの方にも外のお話を伺いたいものです……」
 
 そのときは、Leeshaのこととばかり思っていた。だが遭難したのは、私と彼女ばかりではない。
 夜がまた来つつある。私は地下壕を探し回った。が、黒装束ごと闇に溶けでもしたのか、ナグモラーダの姿は、どこにも見つけることが出来なかった。

(05.05.20)
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