その359

キルトログ、髪飾りを拾う(2)

「実は私が、ミシャーノを殺しましたの」

 風が吹き込んで、蝋燭の炎がゆらりと揺らいだ。彼女は落ち着いた様子で、燃えている蝋燭を取り上げると、消えてしまった灯芯に火をつけて回った。
 遠くでごろごろと音がする。
「遠雷ですわね」

 ええ、と私。

「ちょうど、こんな夜でした。獣人軍が候都に進撃してきたのは。もう、20年以上も昔になりますのでしょうか。
 私はそのとき、ミシャーノの看病をしておりました。
 新婚のミシャーノは、本当に幸せそうでした。彼女たちは小さい頃からの馴染みで、プラデューロはとてもいい人ですから、私は2人を祝福しました。ただ彼女は、子供の頃から病弱でしたので、そばで看ている人が必要だったのです。プラデューロが候都の防衛に出ていたので、私がその役を買って出ました。
 獣人軍の襲撃を受けたとき、街は混乱に陥りました。私もミシャーノを連れ、無理に逃げ出しましたが、どこへ向かっていいのかわかりません。大聖堂に行きましょう、と言ったのは、彼女だと思います。ミシャーノは信心深い娘でしたから。

 しかしそのとき……彼女とはぐれてしまって……。今思えば……彼女の手さえ離さなかったら。

 私は街に戻ろうとしましたが、扉は閉ざされ、街の人には止められ、外へ出ることはかないませんでした。あそこに集まった人たちの誰もが、大事なものを置き、大切な人と別れてきたのです。父、母、夫と妻、息子と娘、恋人や親友。どこにいるのか、はたして生きているのか、死んでいるのかすらわからないような状況で。

 やがて、大怪我をしたプラデューロが運び込まれました。

 生死の境をさまよっていた彼を、私は看病しました。ミシャーノの手を離してしまったことを、彼に何と説明しよう、何といって詫びよう。そう考えたのは、彼が快方に向かいだしてからだと思います。私は必死でした。彼を失いたくはありませんでした。昏睡は三日に及びましたが、どうにか峠を越えました。兵士として鍛えていた、プラデューロの体力のたまものでしょう。

 しかし、目を覚ました彼は、記憶のすべてを失っていたのです。私のことも、ミシャーノのことも、すっかり忘れて……」

 エリシャは女神像に近づいた。
「これは」と言って、髪飾りを手に取る。
「ミシャーノが好きで、生前よく身につけていたものです。私は彼女の命日に、これと同じものを、細工師の人に彫ってもらって、女神さまへお供えするようにしているのです。
 私は女神さまにお祈りし、真実をお伝えしました。プラデューロにもすべて話しましたが、彼はいまだに、何もかも忘れてしまったままなのです」

 彼のことが好きなのですね、とLeesha。

 エリシャは力なく微笑んだ。

「ミシャーノを思い出さない日はありません。あの夜のこと……。なぜ手を離してしまったのか。私の中の邪(よこしま)な心が、プラデューロへの恋慕が、そうさせてしまったのではないかと。冒険者さんたち、これは私への罰なんですわ。私に残されているのは、事実を受け止め、プラデューロを支え続けることだけなんです。
 告白を聞いていただいて、ありがとうございました。よその方にこのようなお話は、退屈だったかもしれませんが……。
 金銭では大したお礼が出来ませんので、これをお持ち下さい。冒険のお役に立つこともあるでしょう」

 エリシャから貰ったのは、地図だった。地下壕だけでなく、ルフェーゼ野や、ミザレオ海岸のものもある。冒険者にとっては、大変価値のあるものだ。私たちは礼を言って彼女と別れた。

 さて、仕事が残っている。エリシャのために、私たちはもう一肌脱いであげるとしよう。私たちはきびすを返して、階下へ――今度は井戸の方へと向かう。


プラデューロ

 プラデューロは、ぷりぷりと不機嫌そうだった。暗がりの中を呼び出されてみれば、エリシャどころか、人っこひとりもいやしないと。私たちは彼をなだめて、どうやらエリシャの勘違いだったようだ、と伝えた。希望の献立は何だったか聞き直すため、本当は台所に来て欲しかったのに。

「何だそりゃあ」と彼は唸って、
「エリシャに言ってくれ。無駄足を踏んだお詫びに、特製のシチューを頼むと。そうでなかったら許さんとね」

 私たちは、彼の言うとおりにして戻った。秘め事を話して楽になったのか、エリシャは幾分か元気な様子だった。私たちの機転に礼を言い、プラデューロが怒っているのならば、腕によりをかけて料理を作らなくちゃと、袖をまくって支度にかかった。

 プラデューロが井戸で待っている。礼拝堂は蝋燭の炎があったが、確かにここは暗がりで、ホールから漏れてくる光がかろうじて届くばかり。プラデューロの細身の輪郭が、幽霊のようにぼんやりと浮かんでいる。表情まではよく見えない。

「伝えてきてくれたかい?」と彼。
「彼女、優しいだろう。私が生死の境にいるとき、三日三晩、世話をしてくれた。人の喜びを祝福し、人の悲しみに涙できる。彼女はそういう女性だ……だが……。
 彼女は優しすぎて……自分を殺しすぎる。そんな感じがしないか、冒険者さん?」

 私ははっとした。先刻までの豪放な彼とは違う、繊細な心の動きを感じたからだ。
 そうかもしれん、と私は慎重に答えた。エリシャは、彼女自身の罪ではないことまで、背負い込んでしまうタイプに見えた。
「あんたがた、彼女と何を話したね……」
 私たちは黙っていた。プラデューロがふっと笑った。


「あんたがたは客人だが、いろんなことを知ったんだと思う。だから、最後まで知る権利を持っているんじゃないか。

 ひとつ、たとえ話をしような。

 あるところに、宝物を持っている少年がいた。彼は宝物を、とても大事に思っていた。彼には友達がいた。友達は信頼できる人物で、やはり彼は友達のことを大事に思っていた。

 あるとき、少年は宝物を友達に預けた。

 だが、友達がそれを壊してしまった。

 少年は怒り、友達を心の底から憎んだ。ただ……気持ちの奥底では、少年は真実に気づいていた。それは不幸な事故だった。友達も、宝物を大事に思っていてくれてたし、公平に見て、事故は友達のせいではなかった。友達が背負うべき罪ではなかった。

 少年が、守りきればよかったんだ……しかし、彼には出来なかった。そうである以上、友達を責める権利はなかった。
 それでも、心の優しい友達は、事故を自分のせいだと思い、苦しみ続けている……。

 こんなとき、少年に何が出来るね。

 友達は――彼女は、少年に負い目がある。少年自身が気にせんと言っても、いつまでも重荷を感じ続けるだろう。それは彼の望まんことだ。
 もし壊れた宝物に、心があったとしたらどうだ? 友達が少年と、宝物に寄せてくれた誠意を、宝物自身が知っていたとしたら? 彼女は友達を恨みに思うかね。そんなことはない、感謝こそすれ……しかし……。
 友達は罪を償わないではいられない。2人とも、そんなことは望んではいないのに。

 こんなとき、少年に何が出来るね」

 私はしばらく待った。プラデューロが続けようとしないので、さあと返事した。そのとき私の傍らで、Leeshaがぶるっと身体を震わせた――おそらく、プラデューロの答えを察したのだろう。

「そうだ」
 彼はゆっくりと言った。
「少年は、すべてを忘れるのさ。
 宝物のこと、友達のこと、何もかもをね」


 ホールに、一瞬の静寂が訪れた。
 沈黙を破ったのは、夕餉を告げる鐘の音だった。多くの人が通路を通り、心なしかうきうきとした調子で、階段の方に向かう。プラデューロを呼ぶ女の声も聞こえる。もっとも声を張り上げているのが、エリシャだかどうだかはわからない。
 彼は身を乗り出し、吊り橋に向かって手を振った。

「冒険者さんたちは、夫婦だって聞いてるけれど」
 私は頷いた。
「あんたたちは、守りきれよ」

 そして彼は、人の波に飲まれていった。2時間前と変わらぬ――記憶を失った、素朴な好漢の足取りで。


(05.05.23)
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