その367 キルトログ、語り部の遺品を追う(1) 練武祭に参加した帰り、私は鉱山区を訪れた。ダイドッグが通りで夕涼みをしていた。私が手を振ると、彼はやあとだけ言い、こちらに向かって小さく頭を下げた。 ダイドッグは、人が変わってしまったように見える。以前であれば、露骨に嫌な顔をして、鉱山区から出て行けと怒鳴っていただろう。一体何が彼に変化をもたらしたのか。私は彼が、語り部に対する認識を改めたせいだと考えている。 皮肉にもその点では、私も同じだった。ダイドッグの中のラオグリム像とは、ずいぶん違いがあるだろうが。すべての事実を知ってしまったいま、語り部に対して抱くのは、英雄への憧憬ではない。指導者であるがゆえの苦悩、ガルカであるがゆえの悲しみ。ラオグリムもまた人の子であった。その事実は、以前よりはるかに彼を身近に感じさせる――彼のしたことは、とうてい許されるものではないけれども。 「アイアン・イーターが、以前ここに来ていただろう」 ダイドッグは低い声で言った。 「あの男、鉱山区で調べものをしている、と話したが……どうやら、ラオグリムに関することらしい……どうも奴がつけていた、鎧に関する話らしいのだが……」 ほお、と私は話に乗った。語り部の鎧とは、さぞかし業物なのでしょうな、と相槌を打った。彼はじろじろと私の顔を見た。しまった、と思った。ダイドッグと私は、決して親しい仲ではない。彼の視線は、私を疑っていた。山師であるかないかを品定めしている目だ。 話の接ぎ穂を失って、ばつの悪い思いをしていると、目の前の通りを、ガルカの子供がひとり走っていった。いつも私を追いかけてくるやつではない。バストゥークでは見慣れない顔である。はて、こんな子供がいただろうか。 腕白なデッツォが、角を曲がって来ていた。彼は子供に気づくと、手を振って呼び止めた。「よう、グィル!」と言う。名前なのだろうが、やっぱり聞いた覚えがない。グィル少年は妙におどおどしている。グンパの人を食った態度を見習わせてやりたいほどだ。 「ありゃ、ダルザックんとこの」 ダイドッグがぼそぼそと言ったのを、私は聞き逃さなかった。 ――ダルザック? 「商業区に住んでる男だ。知らんのか。仲間なんだろう」 仲間というのは、同じ冒険者という意味らしい。いかにも我々の生活に縁遠い、市井の者らしい台詞だ。一口に冒険者といっても、数千人の規模でいるというのに。 ただ幸いなことに、名前には聞き覚えがあった。大蟹を退治するさい、怪物をおびき出す知恵というのを、ガルカの子供に聞いたことを思い出した(その40参照)。その知恵の持ち主が、ダルザックといったように思う。彼と面識はない。会ったのは彼の家に住む子供だけだ。ハハア、だとするとあの少年は……。 「グィルのガキが、こんなところまで何しに来た」 ダイドッグが、彼らのもとへ歩き出す。私との会話を、強引に打ち切ってしまった。そういう効果を狙っているのかもしれない。彼の思惑どおりにはいかんぞと、厚顔無恥は承知の上で、彼の後を少し離れてついていく。語り部の特別な話があるのなら、聞ける機会をあえて逃したくはないからである。 「ジンジャークッキーというのは、ジンジャーが入ってるんだよ」 近づくにつれて、会話の内容が耳に入ってきた。グィル少年は、馬鹿みたいな発言をしていた。 「そんなこた、おれだってわかるよ。そのクッキーがどうしたんだ」 デッツォの声はいらついている。 「ダルザックさんが、お土産に持って帰ってくれてね……」 「ふふん」 「とってもおいしかったの」 「何だよ、自慢話か」 「そうじゃないの」 グィルは泣きそうな声を出した。ガルカの子供には珍しく、気の弱いたちであるようだ。 「その話を、アローン君やエムリス君にしてね、でもわかってもらえなくて。ジンジャーが入ってるお菓子なんて、おいしいわけがないって言うんだよ」 「そらお前、いじめられてるんじゃないか」 「いじめじゃないと思うけど……」 「イイイ、腹が立つ」 デッツォは喉をかきむしった。 「いくらでも反論すりゃいいじゃないか! ヒュームなんかに言いたい放題いわれやがって、この馬鹿」 「デッツォ君、ひどいや」 「家に帰って、本でも読んでやがれ」 「こら、喧嘩はよせ」 ダイドッグがのっそりと割って入った。グィルが、目に見えて身を固くするのがわかった。驚くべきは、デッツォも緊張を走らせたことだ。こわもてのダイドッグは、子供たちからも少なからず恐れられているらしい。 「坊主……」 彼は、グローブのような手で、グィルの頭を撫でた。 「ジンジャークッキーか。懐かしい。俺も昔、友だちと食べたことがある」 「ほんとう?」 グィルはぱちぱちとまばたきした。 「俺は、ないね……」 デッツォは面白くなさそうに言ったが、二人とも彼を無視した。ダイドッグは腰をかがめ、グィルと目線の高さをあわせ、彼の両肩に手を置いた。 「な……グィル公よ。俺はダルザックじゃない。こんなことを言う権利はないかもしらんが、個人的な忠告だと思って聞いておけ。 ヒュームはな……俺たちがガルカっていう理由だけで、見下すことがある。この国で生きている限り、そんな場面には、たびたび出くわすことになるはずだ」 「アローン君やエムリス君は、悪い子じゃないよ」 グィルの反論に、デッツォは小さく「ひっ」という声を挙げた。ダイドッグが怒るだろうと思ったらしい。 だが彼は、にんまりと笑っただけだった。 「そいつらは、友だちか」 「うん、友だち」 「なら、いい。大事にしろ」 ダイドッグは言った。 「だが、友だちっていうのは……本当の友だちっていうのは、お互い、正直なことを言えるし、伝えにくいことも伝えられるもんだ。腹に溜めているのはよくない。そんなのは、本当の友情じゃない」 「うん」 「わかったか、ぼうず」 「ありがとう、覚えておくよ。おじちゃん」 「あいつ、なかなか度胸者だな」 デッツォが私に囁いた。彼と私は、完全に蚊帳の外だった。私は肩をすくめ、ダイドッグに話す機会を伺ったが、彼はグィルの相手をしている。たまりかねて強引に声をかけた。彼らに近づきながら、 「ジンジャークッキーとは……」 私の発言に、三者が顔を上げた。歓迎されていない空気だ。 「サンドリア小麦に、セルビナバターを加え、鳥の卵を足して作ります。もちろんジンジャーに、きれいな蒸留水も。甘味料のメープルシュガーは、メープル材から取れますので、サンドリア周辺の採掘で手に入ります」 デッツォが、あんぐりと口を開けた。ダイドッグは不機嫌そうな顔をしている。 「で?」と彼は言った。 「何が言いたいんだ、よそ者」 「つまり、サンドリアのお土産なんだね?」 「グィル君の言う通り」 私は背負い袋を探り、皮の袋を取り出した。 「偶然ですが、私は今、それを持っています。連れが料理人なものでね。ちょっとお分けしましょう。グィル君、デッツォ君……よろしければ、ダイドッグさんにもひとつ?」 (050612) |
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