その400 キルトログ、アルドを再び訪ねる(2) 「フィックですって……?」 再び扉が開いた。フェレーナが立っていた。頭に新しい包帯を巻いている。顔色が優れず、唇も紫色をして、ぷるぷると震えていた。まだ若いのに、5年も10年も歳を取ってしまったかのようだった。 「フィックの種から、芽が出たというの……?」 「フェレーナ、いけない」 アルドが駆け寄って、妹の背中をさすりながら、傍らの少年を怒鳴りつけた。「さあ小僧、お前はさっさと帰るんだ!」 「でも、本当なんだよお」 少年は口をとがらせた。 「姉ちゃん、見たくない?」 「見たいわ、ギーベ。とても見たい」 「身体は平気?」 「上層に行くくらいなら、大丈夫よ。待ってて、着替えるから」 アルドの制止を2人は無視した。「フェレーナ!」 ギーベ少年はぱたぱたと小走りで去り、フェレーナは壁に肩を預けるようにして、彼の後を追った。 アルドはぎりぎりと歯を食いしばった。 「フィックだと……畜生! あのゴブリンが? とっくに死んだと聞いていたのに……まだ妹にまとわりつくのか。獣人野郎め!」 フェレーナ自身は大丈夫と言ったが、病身の彼女にとって、下層から上層にのぼるというのは、ずいぶん酷な労働であろう。私は彼女に肩を貸した。「ありがとう」と彼女は言った。フェレーナの言葉は、意外にしっかりして聞こえた。見かけよりもずっとタフな性格なのかもしれぬ。 階段をのぼっていく間、アルドは終始傍らにいて、家でやすめやすめと言い続けた。私の行為は、彼を怒らせていたと思うが、妹の方も引かなかった。ジュノの往来で、兄妹が険悪な雰囲気になっていたので、私が彼らを仲裁した。容態が悪くなったら、すぐモンブローの診療所に運べばいい。下層から呼んでくるよりもずっと近い。それに、種なんて見るのはあっという間だ。心のこりを抱えたまま眠りにつくより、フェレーナの方でも、少しは気持ちが晴れてよいのではないか。 しぶしぶだったが、アルドはこの条件を飲んだ。その後は数歩離れて、私たちの後を無言でついてきた。 上層ではパヤ・サプヤ少年が待っていた。「ほら、こっちこっち!」と言いながら、私たちを先導しようとした。だが、何しろ元気が有り余っているので、肝心の私たちを置き去りに駆け出してしまった。私は慌てず、フェレーナを抱きかかえたまま、防具屋<不朽の盾>の角を曲がり、細い路地に入った。 「ここ! ここの鉢!」 路地の突き当たりで、パヤ・サプヤが飛び跳ねていた。彼は何の飾りもない白いプランターを指差した(その253参照)。小さな手でためらいなく濡れ土に触り、それを掻き分けると、ブルーピースほどの大きさの種が頭を覗かせた。 「ほうらこれ……」 私は顔を近づけた。なるほど、よく見なければわからないが、羽毛のような小さな双葉が、茶色の殻をかき割って出てきていた。 今度はフェレーナに見せた。彼女も私同様、ぐいと花壇に顔を寄せた。しばらく無言でいたので、見えていないのかと一瞬思ったが、違った。彼女は身体を震わせて、少し涙ぐみながら、ふたりの少年の顔を交互に見渡した。 「まあ、本当に……」 彼女の声はかすれぎみだった。 「本当に、フィックの種が……」 「芽が出たんだから、花も咲くよね!」 「花だけじゃないぞ」 ギーベが拳で胸を叩いた。 「俺が、たくさん水と肥料をやる。ウィンダスにあるっていう、星の大樹以上にでっかくしてみせるぞ!」 「ふん、くだらない」 アルドが小さな声で言った。 「水と肥料をやっていたら、芽くらい出るさ」 それが聞こえたのか、一同が沈黙した。二少年がじっと彼を見つめた。フェレーナが「兄さん」とたしなめたが、彼は悪びれる素振りもなく、腕組みをして立っていた。 「この件に関しては、経緯を知っている」 私もたまりかねて口を出した。 「半年以上前に植えられたのだ。そして、ここにいるふたりが、必死に世話をしてきたのだ」 「それをお前たちは、奇跡であるかのように喜んでいる」 アルドは淡々と言った。 「だが、どんなに育ちにくい種だって、きちんと育てれば芽を出すものだ。そんなものは、奇跡でも何でもありゃしない。ちょっとした努力さえ注げば、誰にでも出来ることだよ」 「その通り、キセキなんかじゃない」 反論しようとした私の背後から、声を出した者があった。私は振り向いて、口をあんぐりと開けた。フェレーナも、ふたりの少年も、身を固くしていた。アルドだけが唯一、いぶかしげな視線を投げかけていたが、目に見えているものの意味に気づいて、あっと声をあげた。 「みんなが一所懸命に、水をやってくれたおかげだ」 ぺたぺたと湿った足音をさせながら、発言者は花壇に近づき、種に身を屈めた。私のこの位置からは、彼の大きな背嚢と、マスクから飛び出た垂れ耳が見えていた。 彼は小声でつぶやいた。 「みんなで力を合わせれば、出来ないことは何もない……」 (05.09.27) |
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