その423

キルトログ、最終決戦に挑む(1)

 奥から、風が吹いてきていた。

 我々は、壁に身を預けながら、ゆっくりと先へ進んだ。短い通路が続いており、しばらく先で大広間に繋がっている。辺りは真っ暗だが、目はすぐに慣れ、難なく歩くことが出来た。広間からは青い光が差している。おそらく、クリスタルの輝きだろう――だとしたら、いかにも“奴”が控えている場所らしい。

 人間のうめき声が聞こえた。
 
 次いで、どさりと音がした。何か重いものが、勢いよく叩きつけられるような響きだった。私は腰に手をやり、いつでも武器を抜ける用意をして、広間に飛び込んだ。目の前に人が転がっていた。ひとり、ふたり、三人。いずれも両手両膝をつき、肩で息をしており、立ち上がる力も残ってないようだが、幸いに動いているからには、致命傷を受けたわけではないようだった。

「おお……Kiltrog」
 アルドが、嘔吐をこらえながら言った。
「すまんな……歯が立たなかった。俺としたことが……」
「これが、クリスタルに触れた者の力なのか!」
 ザイドが拳で床を叩いた。ライオンが力なく私を見たが、彼女は何も言わなかった。その気力もなかったのだろう。

「やあ、お前たちも来たのかい」

 広間は、蜂の巣のような壁で行き止まりになっている。その手前で、小山みたく床から盛り上がり、海の色の輝きを放っているのは、マザークリスタルの頭頂部だろうか。だとしたら、宿星の座の床の下には、その本体がどっしり収まっているのに違いない。

 クリスタルの光を背面に受けながら、子供のように小さな人影が、尊大に我々を出迎えた。だぶだぶの黒いローブ。輝く金色の髪。美しい顔に似合わぬ左目の眼帯。ザイドやアルド、ライオンと一戦交えたはずだが、息ひとつ乱している様子はない。腕を組み、私の胸までの身長もないくせに、こちらを見下すようにして、整ったかたちの顎を突き出している。

「あの5人を倒したのは、お前たちかい? まさか、この床に転がっている、虫けらどもじゃないだろうね。全然はりあいがないもの。まあお前たちも、五十歩百歩には違いないけど、褒めてあげるよ。少しはやるってことだからね」

 エルドナーシュの淡々とした声を聞きながら、私は身震いした。何ということだ。私の予想は外れた。アーク・ガーディアンを倒したことは、神の扉計画を遅らせも、早めもしなかった。それは魔王子にとって、何の意味も持たぬこと――外で雨が降っているという程度の、ささやかな出来事に過ぎなかったのだ。
 何と冷徹な男……非情な男……。

「単刀直入に行こうじゃないか」
 エルドナーシュはにやりと笑った。
「クリスタルラインの復旧に、時間をとられているんだ。獣人どもが邪魔してね。この装置は大がかりだけど、思ったよりずっとデリケートなんだよ。おかげさまでぼくは、トゥー・リアに着いて以来、ノイズをはらうという、ずっと地道な作業に追われてるというわけさ。
 どうだい、お前たち……頑張って、獣人を滅ぼさないか? そしたら問題なく、神の扉は開く。いい話だろ? どうせ奴らはお前たちの敵なんだし、これまでの冒険者の活動によって、相当に数は減っている。あとひと踏ん張りすりゃいいだけなんだ。簡単なことさ。
 約束するなら、一緒に連れてってあげるよ。神の国へ? まがりなりにもぼくが、お前たちの実力を買って、特別に認めてやろうと言うんだ。光栄に思うがいい……」

 エルドナーシュが、小さく手招きをした。しかし我々は、皆その場に立ちとどまり、武器の柄に手をやって、無言で魔王子を睨みつけた。

 ふん、と彼が鼻で笑った。

「救いようのない愚かさだな。まさか、本気じゃないだろうね? ぼくに逆らおうだなんて? え?」

「お前を倒すことを、夢に見てきた」
 私は堂々と言った。

「この半年、人として強さをもとめ、師すらも打ち倒して、お前に挑戦する権利を得た。私にはわかる、エルドナーシュよ。お前の存在、価値観は、我々とは根本的に相容れぬものだ。神の扉を開かせるわけにはいかぬ。我々は何があっても、全力でお前を屠り、現世種の尊厳を守らねばならぬ。
 覚悟……この言葉を使うのは二度目だ。しかし今、ようやく本当に悟ることが出来た。お前の野望を知り、お前を倒すことが出来るのは、他の誰でもない、我々だ。我々こそが、人類最後の星――どんな嵐の夜もつらぬき、輝く唯一の希望なのだ。
 もはや、そこから逃げぬ。目は逸らさぬ。ヴァナ・ディールは引き受けた。今度は、お前が腹をくくる番だ。ジラートの王子よ」

「自惚れも、そこまで行けば立派だな!」
 エルドナーシュが、からからと笑った。
「なかなか楽しい冗談だ。いいだろう、道化者の名を聞こうじゃないか」

「クリスタルの戦士」
 私は言った。
「既に、運命を選んだ。我々は強いぞ……エルドナーシュ」


「まったく笑えないね」
 エルドナーシュの声のトーンが低くなった。奴は後ろに跳び、鞠みたいに跳ね上がり、小さな円形の足場に着地した。足場の下は、三叉の筒のようになっており、例のクリサリスを小型化したもののように見える。奴は我々を見下ろす位置に立った。奴の膝が私の目の高さにある。

「馬鹿は嫌いだ。本気でぼくを怒らせたことを、後悔するんだね」


(05.02.03)
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