その431

キルトログ、ジュノについて話す

 一夜明けて、天晶堂にアルドを訪ねた。彼の部屋の前にいるタルタル氏に挨拶した。例のベレー帽を被った、アルドの側近氏である。大将はいるかい、と尋ねたら、いる、との返事。だがそれにしても、何だか非常に無愛想な言い方なのだった。

「何をやってたんだか知らないが、ボスが無事でよかったよ」
 彼は言った。
「あんただけ帰って来てたとしたら、俺は、何としてでもあんたをつけまわして、ぐっさりとやるところだったよ……トンベリみたいに」
 私は、彼をまじまじと見つめた。
「冗談だよ。さ、通りな。ボスが待ってるぜえ!」
 彼の言い方は冗談には聞こえない。私は震えた。つまりはそれだけ、アルドが部下に強く慕われているということなのだろう。


 心なしか、アルドは生き生きして見えた。「よう」と私の肩を叩く。陰気な顔をしているより、その方がよほど魅力を感じさせる。はじけるような陽性の明るさこそが、天晶堂のアルドの本質なのである。
「妹さんは、大丈夫なのか?」
 私が尋ねると、アルドは難しい顔をした。

「いや……体調はもういいんだよ。おかげさまでな。あんなひどい目にあったわけだが、思ったよりもあいつはタフらしくて、日に日に元気を取り戻していたんだ。
 それが、昨日は大変だった。ライオンのことを聞かれたからな。俺は本当のことを伝えたんだよ」

「それは……」
 私は口をつぐんだ。アルドが小さく頷いた。その事実は、病人には酷なように思われたからだ。

「フェレーナはライオンを、本当の姉みたいに慕っていたんだよ。その嘆きよう、悲しみようといったらなかった。今は幸い、落ち着いてる……どこからか、ライオンのぬくもりを感じるって言ってな。それは、あいつの能力から来てるのかもしれないし、ただあいつがそう思っているだけなのかもしれない。

 なあKiltrog。フェレーナは、人の痛みがわかる人間だ。あいつは他人の、辛いとか、痛いとか、苦しいとか、ダイレクトな感情に目を向けてしまう。俺たちは、ライオンの死が、勇敢なものだったと――犬死にではなかった、という。だがそれは、残された者の感覚なんだな。フェレーナはライオンの、本当は生きたかったという感情から、決して目をそらそうとしないんだ。あいつの姿勢には、学ぶべきものがあると思う。ライオンを失った悲しみから、俺たちは逃げようとしていたのかもしれんな。世界を救っただの、自己犠牲が美しいだのと言って、あいつのことを持ち上げてさ」

「そうかもしれない」
 私は頷いた。
「アルド、君の妹さんは、たいしたものだ」
「俺よりよっぽどしっかりしてるぜ」
「強い女性だ……フェレーナも、ライオンも」


 沈黙が訪れた。アルドが小さな咳をした。私は彼に、昨夜から考えていた疑問をぶつけた。
「ジュノは、大公兄弟を失ったわけだが……」
「うん?」
「これから、この国はどうなるだろう? 国家元首が亡くなったのだ。彼らはクリスタル戦争の英雄で、あらゆる才能が傑出していた。誰かが容易に代理を務められるとは思えない。天晶堂のあるじとして、どう考える? これからのジュノ大公国の行く末を」

「何にも変わりゃしないさ」
 それがアルドの答えだった。

「大公兄弟は、とっくの昔に政治から退いてる。それが、何を意図してのものだかは知らんがね……単にめんどくさくなったのかもしれないし、例の計画を進めたかったのかもしれないし、いいかげんいつまでも顔出してると、歳を取らないのがばれちまうからかもしれない。そもそも、奴らがジュノをどう思っていたかもよくわからねえ。自分の国として、愛着を持っていたのか? わが子くらい? それとも、よく出来た箱庭レベル? 今となってはすべてが謎だ。何しろ、当人たちがもう死んじまったんだから。

 今ジュノを動かしているのは、首相のエシャンタールだ。あんまり聞いたことないだろ? カムラナートと比べりゃ、あいつのカリスマ性は薄い。しかし、実務家としては有能だな。この国じゃ、商工会と船舶会の権限が強いんだが、あいつは上手くやっているよ。早い話が、バストゥークの大統領と同じタイプさ。まああんなに歳食っちゃいないがね」

「そうなのか」と私は言った。首相エシャンタールも、大統領カルストも見たことがない。思えば大公に謁見したのも、公式にはたったの二度しかないのだった。

「大公が死んでからというもの、俺は政府のやり方をずっと見守ってきた。もう半年になろうとしている……だが、いまだにその話は漏れちゃいねえ。思ったよりも、情報統制がしっかりしてるってことだな。大公の死は、いずれ頃合いを見て発表されるだろう。だが、ここまで抜け目のない連中のこった。最高のタイミングを計ってやるはずだし、そうするからには、政府の準備もじゅうぶん整っていることだろう。

 何の準備かって? もちろん、経済的なショックに対してのさ! この国は商業機能で成り立っている。商売っていうのは、信用が第一なんだ。お前さんにはわからんかもしれんが、大看板に信用がなくなれば、店舗ってのは――どんだけでっかくても――あっという間に傾いちまうもんなのさ。ましてやジュノは新興国だからな。

 幸いに、大公は表舞台を退き、名ばかりのものとなっていた。ただ、あれだけ高名な男だ。その死が世界に衝撃を与えるのは避けられない。それを、ただのシンボルが亡くなった、一つの時代が終わりを告げた、というふうに演出できれば、経済的なダメージも小さくてすむ。俺の見るところ、今の連中なら、十分それに対処することが出来そうなんだよ。変わんないだろうって言ったのは、そういう意味さ」

「大公は、後継者がいない。サンドリアのように、もめることも考えられはしないか」
「そいつが、どうなるかだな」
 アルドはにやりと笑った。
「もともとカムラナートは、三国の承認で大公になった。重視されたのは血統じゃねえ。ということは、同じようなやり方でまとまる可能性が高いだろう。きっとエシャンタールが、大公に任命されるんじゃないか? 俺の見たところ、対抗できる政敵はいそうにない。唯一可能性があるのが、大公顧問のナグモラーダと言えそうだが、あいつはいい噂を聞かないし、エシャンタールの方は、首相として采配を振るっているわけだからな。裏工作をよほどやらない限り、おそらく問題にもならないだろう。

 後継問題が起こるとしたら、どっかの国が、自分とこの貴族か誰かを、大公にすげようとした時だろうな。例えばサンドリアなら、王子のどっちかが大公になったら、万事解決ってわけだ。だが、そんなことは到底起こりそうもない。三国の力は拮抗している。一国の抜けがけは、他の二国が全力で阻止するはずだ。それを覆せるほどの力は、どの国にもない。

 だとすれば、三国が合意のもと、ジュノの機能を存続しにかかると見るのが正解だ。今ジュノに倒れられては、世界中で恐慌が起こる。結局は、今のままが一番いいってことだよ……よほど事情の変化がない限り、無難な線に落ち着くはずさ」

「そうか……」
 私は目を閉じた。アルドの話は納得できた。人類の仇敵だったとはいえ、我々は大公を殺してしまった。そのことで波乱が巻き起こるのは、本意ではなかった。出来ればヴァナ・ディールの人々には、今まで通りの毎日をおくってもらいたい。

「大公が死んでも、世界は変わらないか」
「だろうな」
「それも、不思議な感じがする。あれほどの功績を残した男なのに」
「確かに、真意はどうあれ、カムラナートは英雄だった。闇の王の脅威から世界を救った。ジュノの経済を促進して、これほどの強国にまで発展させてみせた。
 だが今、世界は安定期に入っちまった……そういう時に、乱世の姦雄は必要ない。Kiltrogが言った通りだよ。もはや、英雄がいらない時代に入ってるのさ。だからこそお前さんも、冒険者なんか続けてるんじゃないか。そうだろう?」


 私は天晶堂を出た。外はすっかり冬だ。鎧の隙間から吹き込む風に、寒い寒いと言いながら、モグハウスまで駆け戻った。
 最後にアルドに尋ねたことを、思い出していた……私はどうしても、彼にそれだけは聞いておきたかったのだ。
「これは……考えすぎかもしれんのだが」
 私は声を落とした。
「ジラートの野望は、本当に終わったのだろうか? ジラートは大公兄弟だけなのだろうか? 例えば、ナグモラーダやエシャンタールも古代人で、彼らの後を継ぎ、計画を実行する可能性は?」
 アルドはにっこり笑って、私の肩を叩いた。
「その時はもう一回、あんたらの出番だよ。クリスタルの戦士」


 そうだ、これは、恒久の平和ではない。世界は不安定だ。国家間の軋轢、獣人と人間の緊張は続く。それはいつ、火花を吹いてもおかしくない。我々は、ヴァナ・ディールという名の火薬庫に住んでいるに等しい。

 ライオンが守ったのは、そういう平和だ……彼女もそれを知っていた。私は空を振り仰ぐ。私の命続く限り、世界の危機を救う覚悟がある。私は彼女に約束する――そうすることが、私から彼女への、最大のはなむけのように思われるのだ。


(06.02.09)
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