その439 キルトログ、鼻の院院長を探す(3) 二本の斧を手にして、私は部屋に踊り込んだ。古代魔法か包丁、どちらかが飛んでくると覚悟していたが、緊張は「あら」という声で破られた。ウガレピ寺院には似つかわしくない、抜けるように軽い、女の「あら」である。 ルクススが私を見上げて、ぱちぱちとまばたきをしていた。彼女は縛られていない。怪我を負わされてもいない。表情に苦悶も疲れもなく、見た感じはまったく元気で、さながら森の区で、たまたますれ違ったとでもいうような調子なのである。 「ルクスス院長!」と私は言った。 「ご無事なのですね?」 「はい、私はいたって……」 彼女は俯いて、自分のローブのあちこちを見つめた。 「あなたには以前、会った覚えがあります。確か、フェ・インの封印護符のミッションで……神子さまのお部屋で」 私は頷いた。よかった、私の心配は杞憂に過ぎなかったらしい。だが、ルクススはそれではおさまらなかった。私は彼女に、私が何をしにここへ来たか、すべて説明しなくてはならなかった。鼻の院研究員たちの依頼を話すと、女院長は「ああ!」と嘆息したものである。 「彼らは心配性ですからね。特にリーペ・ホッペは。イル・クイル氏が不審な死に方をしたと聞いて、私の身にもそのようなことが起こる、と考えたのでしょう」 疑問に思っていたことを尋ねてみた。 「イル・クイル氏とは、院長にとって何なのです」 「彼は……」 彼女が口を開こうとしたとき、光が弾けた。空間が突然爆発したようで、二人とも思わず尻もちをついてしまった。何が起こったのかわからなかった。やがてそれが、敵の襲撃なのではないと気づいた――光の炸裂した場所に、杖をついた老人が立っていたのである。 「ウィンダスの子らよ……」 彼女はしわがれた声で言った。 「神子よ、よくぞ来た。はるかなる昔、我らがかの地へ導いた子らよ……」 私は叫んだ。 「グラビトン・ベリサーチ!」 私の目の前にいるのは、まぎれもない、グラビトン・ベリサーチである。ジラートと古代の覇権を争った、クリュー人の代表者。若き日のギルガメッシュに、ジラートと戦う糸口を与え、我々に道を示した張本人。謎の獣人トンベリの名は、クリュー人であった彼女の俗名が、なごりとなって残ったものであった(その379参照)。 グラビトン・ベリサーチは、私をちらりと見た。無感動な様子からは、私が以前会ったことに、気づいているのかいないのかわからぬ。それにしても、と私は思った。ジラートの兄弟は死に、彼女の言う“古代の亡霊”は滅びた。ならば、なぜグラビトン・ベリサーチが、今ここに現れるのか。大公兄弟を越える野望が、どこかで果たされようとしているのか。 「この人を知っているのですか?」 ルクススが私をまじまじと見据えた。半透明の老婆が突然あらわれるという、いわば非常事態でありながら、状況を落ち着いて受け止めている。さもありなん、ルクススは他の変人博士、院長たちとは違う。手の院院長アプルルと並んで、連邦に数少ない常識人のひとりなのである。 私は院長に説明した。 「彼女はグラビトン・ベリサーチといって、古代クリュー人の、いわばなれの果てです」 「クリュー?」 ルクススははっと息を飲んで、 「古代の人種のうちのひとつ? ジラートとクリュー……他でもない、イル・クイル氏の文献に書かれていた……」 「そうさ」 グラビトン・ベリサーチは、飄々と言った。 「神子よ、覚えているはずだよ。はるか昔、私たちクリュー人が、お前たちを月の地に誘ったことを。そして、お前たちにホルトトの力を――かの地に降り注ぐ月の光を、エネルギーに変える装置を託したことを。よもや忘れたとはいわせないよ?」 「失礼ですが、何か勘違いをなさっておいでです」 気丈にも、ルクススはぴしゃりと言った。 「私は、星の神子さまではございません」 「お前たちの命のはかなさは理解してるよ。始まりの神子はもうおらぬだろう。だが、真実は語り継がれているはずだ。お前は、私たちが託した、まがつみの玉を継承し、ホルトトの力を受け継いでいるはず……違うかね?」 グラビトン・ベリサーチは、ルクススを今の星の神子だと思い込んでいるようだ。本人が否定してもである。タルタルを見慣れないからだろうと思うが、言葉の中身が気になる。彼女は何と言った? クリュー人が神子さまを導いたって? 私が逡巡する間、ルクススは冷静な受け答えを続けていた。 「いえ、申し上げましたように、私は星の神子さまではありません。神子さまはウィンダスにいらっしゃいます。私は、連邦五つの院のひとつ、鼻の院院長のルクススです。神子さまをお守りするのが私たちの仕事です」 「何だい、それじゃあ」 グラビトン・ベリサーチは、杖を持ち上げ、私の方をぞんざいに指してみせた。 「なぜこの従者が、はじまりの神子の書を持っているんだい? 隠していたってわかるよ。その書は、彼女が月の力で書いたものだ。そうじゃないか?」 私のことを失念していたばかりではない。グラビトン・ベリサーチは、私をルクススの従者として扱ったのだ。そのことは少なからず屈辱であったが、彼女が指摘した内容の方が驚きだった。確かに神々の書は、トスカ・ポリカから預かったまま、背嚢に収められている。あっけなく看破されたので、私はしぶしぶそれを取り出した。するとクリュー人の老女は、とっくに死んで幻影だけのくせに、ほうれごらんというふうに背中を逸らしたのである。 「どういうことか、まったく理解できませんが……」 ルクススの顔は青白かった。最大の禁忌である神々の書を、まさか私が持っているとは思わなかったのだろう。 「この冒険者の手にあるのが、本当に神々の書であるなら……もっと、とてつもない魔力を秘めているはずですが……私からは、そのようなエネルギーは感じられません」 「確かに、お前さんの言うとおりさ」 グラビトン・ベリサーチは否定しなかった。 「魔力は失われている。月の力が消えている。年月のせいかね? あれから、長い長い時間が流れたんだ。神子よ……いや、あんたは違うといったね……念のために聞こう。ホルトトの魔法塔は、今も無事に動いているのかい?」 「いえ。遺跡のことでしたら、20年前にほとんど作動をやめてしまいました」 「何と! それでは、月の神獣が、好き勝手に暴れてるんじゃないのかい? ホルトトに注ぐ月の力は、あの装置がないと、うつろいやすい獣のかたちをとるものだからね」 「それは、偉大なるけもののことでしょうか? はじまりの神子さまが、お鎮めになったとは伺っておりますが……」 クリュー人の老婆と、鼻の院院長の会話は、なかなか噛みあわなかった。さもありなん、グラビトン・ベリサーチは、ウガレピ寺院に何千年も縛り付けられた、いわば時代の虜囚であったのに対し、ルクススは一介の院長に過ぎなかった。とはいえ途中から、ルクススは驚くべき順応性を見せ始めた。グラビトン・ベリサーチの古代の話と、何とか自分の知識を折衷して、ひとつの結論に達したようなのである。同時に、老婆に対し、クリューがタルタルに伝授したという月の力は、現在ではほとんど失われていることを認めさせた。見事な手並みだった。 思えば院長は、知識人であるばかりでは務まらぬ。彼女たちには政治家としての一面もある。ルクススのように機転が利かなければ、連邦を支える五本柱になることなどとても無理であろう。 「なるほど、よくわかったよ」 ルクススの話を聞き、グラビトン・ベリサーチは、すっかり満足したようであった。 「けれど、小さき子供たち。おまえたちの迷える姿を見るのはしのびないね。私たちは昔、迷えるおまえたちを、北の地から月の地へと導いた。今度も特別に、導きの道を示してあげよう。 私の力は、月の力ほど偉大ではない……だがその書に、ほんの少し魔力を戻してやることくらいは出来るはずさ。 そら」 グラビトン・ベリサーチは、何気なく杖を振った。その途端、稲妻のような光が飛んできた。神々の書を抱えた私は、そのまま吹き飛ばされ、壁に背中をしたたかに打ちつけた。 ルクススの可愛らしい悲鳴が聞こえたとき、私の意識は、もうすでに半分薄れかけていた。 (06.04.24) |
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