その460

キルトログ、脱獄を幇助する

 シャントット博士から受け取った手袋を持参すると、アプルル院長は跳びあがって喜び、「Kiltrogさん、ありがとう!」と何度も頭を下げた。私は彼女に、シャントット博士の真意を伝えた。私を使って指輪を集めさせたのは、全院長に責任を分散させるためであると。
 その話をすると、彼女は「責任重大ですね」と表情を引き締めた。

「協力して下さった、他の院長の皆さん、クピピさんたちにも感謝しなくては……。これで私、絶対に失敗するわけにはいかないわけですね。
 Kiltrogさん、私は今夜、ホルトト遺跡まで行って来ます。あなたにこれ以上迷惑をかけるわけにはいきません。何か守護戦士に問われたら、全て私の命令によるものだと言って下さって結構です。
 Kiltrogさん、本当にありがとうございました」

 そのような礼の言葉を受け取り、私はモグハウスへ戻ってきた。ベッドで寝ていたが心休まるはずがない。ここまで深く関わってきて、今さら無関係とシラを切れるわけもない。私は夕方に起き、モーグリの助けを借りて、装備を整えてからホルトト遺跡へ向かった。東の魔法塔に到着する頃には、もう周囲はすっかり暗くなっていた。

 アプルルとは、魔防門を越えたところで会った。闇牢の詳しい位置は知らなかったので、正直助かった、と思った。アプルルの傍らには、ボイゾ・ナイゾとココロの姿はなかったけれど、おそらく彼女のこと、ついてくるなと厳命したのであろう。だが彼女は私を見ると、ほっと安堵のため息をついた。どうやら不安でたまらなかったようなのだ。さもありなん、アプルルは純朴であり、牢破りという大それた行為を、平常心のまま行えるはずがない。
「さあ、急ぎましょう」と私はアプルルをせかした。彼女は帰れとは言わず、魔防門を開けて勢いよく駆け出した。私は後を追った。

 円塔の傍らを通り過ぎて、正方形の広間へ出た。ここへは「光の門」を探して来たことがある(その204参照)。そのときは情けなくも、見張りのカーディアンに一撃でのされてしまった。今ならどうだろう。果たして勝てるかどうかはわからないが、一対一でもよい勝負ができるのではないか。
 そんなことを思っているうち、アプルルは部屋を調べて回っていた。「あった!」と声がした。広間の南東の隅から、東へ向けて伸びている小さな通路がある。私はそこへ向かった。通路はすぐに行き止まりになったが、北と南の壁にそれぞれ扉がついていた。北が「氷の門」、南が「闇の門」とある。アプルルは南の扉を見上げていた。ということは、闇の門すなわち闇牢なのである。広間に同様に存在する8つの扉のうち、闇の扉は懲罰房に使われているというわけだ。「光の門」には封印が隠されていたので、他の6部屋の用途もまた別なのであろう。

 アプルルは見覚えのある黒い手袋を取り出し、きゅっと左手にはめた。
「Kiltrogさん、見ていて!」
 彼女はそう言って、扉に向かって手を差し伸ばした。一筋の閃光とともに、ばちっ、と強烈なエネルギーが弾けた! 私は目を背けた。どしん、と音がした。体重の軽いアプルルが吹っ飛ばされて、「氷の門」に思い切り背中を打ちつけたのだ。「院長、院長!」と私はアプルルのもとへ駆け寄った。彼女は丸まり、背中を押さえてぷるぷると震えていたが、やがて「だいじょうぶ」と笑った。幸いにも怪我をしているわけではなさそうだった。
「そ、それよりもKiltrogさん。お兄ちゃんを……」

 彼女が「闇の門」を指差した。扉は開いていた。

「お兄ちゃん!」とアプルルが叫ぶのを、私は手で制した。彼女が自制心をなくす前に、私が先陣を切って飛び込んだ。扉の方からかすかな灯りが差し込む以外は、真っ暗な部屋だった。目が慣れると、ここが煉瓦に囲まれた小部屋で、部屋の片隅にぼろ布の塊がある以外は、本当に何もないとわかった。闇牢とはよく言ったものだ。扉が開かなければ、光さえも存在することを許されない場所なのである。

 空気は冷たかった。肌の表面がぴりりと張ったが、何かぬるりとしたようなものに首筋を撫でられ、私は鳥肌を立てた。後ろを見てみたが何もない。そのうちこの闇が、目から耳から鼻から、自分の中にずずずと入ってきて、体内を侵してしまうような感覚に陥った。叫びそうになったがぐっと堪えた。中に入って1分ほどしか経っていないのに、早くも頭痛と吐き気を覚えた……いかん。長くいると確実に気がおかしくなってしまう。

 視界の片隅で、ぼろ布がもぞ、と動くのが見えた。私はそれを抱きかかえ、慌てて闇牢を飛び出た。アプルルが「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」と騒ぎ出した。私は手にしたそれをゆっくり床に抱き下ろし、彼女の介抱にまかせた。僧服に包まれたアジド・マルジドであった。

 毅然とした印象のあるアジド・マルジドだが、半年もの闇牢生活において、すっかり変容してしまっていた。括っていた髪はばらばらと乱れ、毛玉のように顔を覆い、白く硝子の濁った眼鏡にまとわりついていた。唇はかさかさに乾いていた。うす明かりの下でさえも、僧服の汚れと傷みがはっきりわかった。そこから覗く手は筋張っていた。アプルルが右手をとって握り締めたが、ひっきりなしにぷるぷると震えて、握り返す力もないようであった。
「アプルル」と聞こえた。ひどく擦れていたが、それは明らかに、兄が愛する妹を呼ぶ声だった。
「アプルル」
 
 アプルルは兄の名前を呼び返し、半ば絶叫ぎみに「しっかりして!」と身体を揺すった。彼女は回復魔法を唱え始めた。アジド・マルジドが白い光に包まれたが、顔の血色は戻らなかった。アプルルは半泣きになりながら、彼の身体に高位のケアルを唱え続けた。彼は動かない。無意識に妹の名前を呼んだあと、こときれてしまったとでもいうかのようだった。

 それでも魔法が続くうち、アジド・マルジドはようやく身じろぎをした。目に見えて身体を動かす回数が増えていった。そのとき「ううん……」と漏らした声には、もはや先刻の痛々しさはなかった。私たちはどんなに勇気づけられたことか! 危機は脱した。我々のアジド・マルジドが帰ってきたのだ!

 アプルルが激しく兄を揺すった。今度は反応があった。彼はゆっくり頭を起こした。目の下にくまが残り、無精ひげもぽつぽつと伸びていたが、鼻眼鏡の間から覗く瞳の色は、しっとりとした黒い輝きを取り戻していた。

「お前は……」
 アプルルがローブのすそで眼鏡をふいてやり、彼の顔に戻した。彼はぼんやりと妹の顔を見上げた。
「アプルル……これは夢か。俺は夢を見ているのか」
「夢じゃないわ、お兄ちゃん」
 アプルルは涙を流しながら、手のひらで何度も頬をこすった。
「Kiltrogさんとみんなが、お兄ちゃんを救ってくれたの。闇牢から出られたのよ。お兄ちゃんは助かったのよ!」

「……闇の生き物と、俺は会っていた」
 妹の言葉を聞いてか聞かずか、アジド・マルジドはそんなことを言った。
「そいつは俺に、探している、と言っていた……。苦しんでいるようだった。不思議なことだが、そいつの気持ちは、何だか俺にはとてもよくわかる気がしたんだ」

「闇の生き物? お兄ちゃん、何を言っているの。牢の中に何かいたの? それこそ、悪い夢でも見ていたんじゃないの? 何しろ危険な闇牢だから……」

「おい、お前」
 アジド・マルジドは頭を転がして私を見た。相変わらずぶっきらぼうなものの言い方だった。
「何か持っているな。お前の方から、特別な力を感じる……」

 先刻まで瀕死の状態だったのに、眼力の鋭さは衰えぬらしい。彼の資質に私は舌を巻いた。背嚢を下ろし、中から『神々の書』を取り出してみせた。
「おそらく、これのことでしょう」

「それは『白き書』……どういうことだ? 白紙の本のはずなのに、これだけのエネルギーを宿しているとは……」
「古代の民に、星月の力を戻してもらったのです」 
「何だと?」

 私は彼に、トスカ・ポリカにしたのと同じ説明をした。アジド・マルジドは、瞼を半分閉じて、うっとりとした表情でそれを聞いていた。今は脳がぼうっとしている状態なのだろう。彼の言葉はしっかりしているようで、寝ぼけたような意識の危うさが感じられる。説明をすべて理解する能力はないかもしれないが……。

「その本を貸せ。中を見てみたいんだ」
 アジド・マルジドは右手を差し伸べた。腕の震えはだいぶおさまっていたが、かすかにまだ残っていた。闇牢で筋力が大幅に衰えたせいであろう。
「ですが院長、その身体では……」
「貸せ!!」

 私は本を差し出した。アジド・マルジドは、むしり取るようにそれを私の掌から奪った。半病人の力とは思えなかった。がくがくと震えの収まらぬ手で、表紙と裏表紙に手をかける……。彼の息がふー、ふーと荒くなっていた。ごくり、と唾を飲む音がはっきり聞こえた。
 彼は勢いよく本を開いた。
 その瞬間、
 
「お兄ちゃん!」

 アプルルが叫ぶのとほぼ同時だった。光が私の視界を覆った。雷撃の落ちたような音を聞いた。アプルルの身体が飛んできた。私は彼女を両手で受け止め、そのまま後ろへ倒れ、遺跡の床に大きく背中をうちつけた。


 翌日、夕刻過ぎに手の院を訪ねた。アプルルは書類につぎつぎ印を押していた。彼女のまぶたは赤く腫れていて、昨夜泣き通したことをあかしていた。
「あっKiltrogさん」と力なく会釈をする。
「参りました……仕事がはかどらなくて……」と弱々しく言う。そうだろう、あんなことがあった後では、院長といえど動揺して当然であると思う。

「お兄ちゃんは、まだ目を覚まさないのです。あんな病み上がりの状態で、禁書なんかを思い切り開くから……本当に昔っから、ドジでマヌケでトンマなんだから!」
 彼女はぎゅ、と拳を握り締めた。手の甲が血の気を失い、白くなっていた。
「シャントット博士にも見てもらいました。とりあえず、何も手立てはない、目を覚ますまで待つしかないって。でも自分の一番弟子だから、簡単にくたばりゃしませんわオホホ、と笑ってました。変な話ですが、私はそれで、随分と力づけられました。博士がそう仰るなら、お兄ちゃんは大丈夫なんでしょう。私が心配してたって仕方ないんです……それでお兄ちゃんがどうかなるわけじゃないんだもの。
 今は私がしっかりする番ね。そうじゃないと、みんなをいたずらに不安がらせるだけだもの」

 無理はしないで下さいね、と言うと、アプルルはにっこりと微笑んだ。私は書類に目を落としていたが、その上に置かれた彼女の左手に、院長の指輪がはまっていないことに気がついた。
「あ、そうそう」と彼女はぺちんと手を打ち合わす。
「例の常夜の手袋ですが……何故だか手袋から指輪が抜けなくなっちゃったの。シャントット博士が預かってくれると言ったので、博士に今渡してるんです。オホホホ、と笑いながら持って行きました。ずいぶん楽しそうでしたが……」

 私は嫌な予感がした。結局シャントットが漁夫の利を取り、5つの院長の指輪を苦せずして手に入れたわけである。変なことに使わねばよいが! 博士の性格を知っている身だからこそ、そのような余計な心配が頭をついて離れないのである。


(06.08.06)
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