その461

キルトログ、黒い使者の正体を知る(1)

「ゾンパ・ジッパさまは、そりゃ奇特なお人でね……」
 あごひげをしごく素振りをしながら、ジャンスラ・ラシュラは語った。
「恐ろしく厳格な人だったよ。院長だったんだから想像がつくけど、教育熱心でね。我が子を千尋の谷に突き落とさんばかりの勢いだったな。いや、突き落としたんだけどね。アジド・マルジド院長の方を、本当に谷底にさ」

 ジャンスラ・ラシュラのあごには、うぶ毛がぱらぱらと生えているばかりだった。彼はタルタルなのだから、この先何年たってもひげもじゃになるとはとうてい思えなかった。私は悟った。彼の仕草というのは、どうやら威厳を保つためのポーズらしい。ジャンスラ・ラシュラは港区のガードである。一般人から見たら十分えらいのであるが、ガード内はガード内でまた別の事情があるのかもしれなかった。

 ジャンスラ・ラシュラの両脇には、二体のカーディアンが控え、左右対称に杖を構えていた。この区の詰め所にタルタルは彼しかいない。カカシどもは反応が薄い。せっかくのジャンスラ・ラシュラの演出も、十分効果を発揮しているかどうかは疑わしかった。
「ワタシ★たち カーディアン★には  ウィンダス ヨウ★チュウイ じんぶつ★リスト が インプット サレ★て います」

 テン・オブ・クラブズが、きりきりと頭を動かしながらそう言った。

「トク★に トクベツ★ケイカイ を メイジ★られて イル の★が ゾンパ・ジッパ ホノイ・ゴモイ シャントット の 3メイ★と ナッ★て おり★ます」
 ナイン・オブ・クラブズが続いた。
「ゾンパジッパ もと★インチョウ の コト★を アプルル★オカアサン は ワルイ★ひと だと オシエ★て クレ★ました。ミツケ★たら すぐ★に ニゲル ヨウ★に と メイレイ サレ★て います」

「そういえば、アプルルさんは大変だったねえ」
 天気の話題でも出しているかのような気安さで、ジャンスラ・ラシュラは言った。
「アジド・マルジド院長が目を覚ましたそうだよ」

 私は驚いて彼を見つめた。ジャンスラ・ラシュラはたじ、と一歩退き、「早めに言おうと思ってたんだよ!」と声高く言い訳をした。私の表情が怖かったようだが、構ってはいられなかった。

 失礼、と私は会釈をして退出しようとした。ジャンスラ・ラシュラが「Kiltrog君、Kiltrog君!」と私のベルトを引っ張ったが、彼はあまりに軽かったので、そのまま1ヤルムほど引きずられる格好となった。
「くれぐれも、天の塔には注意するようにね! まだばれてないみたいだから」

 私は振り返って眉を寄せた。再び彼が肩をすくめて、小さく「ひっ」と言った。
「それは本当ですか、隊長」
「ゾキマ・ロキマに聞いたんだよ。彼の意見だから間違いないと思うけど」
 ならば、セミ・ラフィーナは話していないのだ。彼女ほどの頭脳なら、何のために指輪が奪われたかは簡単にわかりそうなものなのだが。


 手の院へ向かう間、泳がされているかもしれない、という考えが頭をかすめたが、それはない、とすぐに思い直した。泳がすも何も、見張るなら私でなくアプルルの方だ。セミ・ラフィーナが沈黙を保っているとすれば、彼女なりに何か考えているのだろう。我々にとってプラスの判断であってくれればいいが、と思いながら、私は手の院の入り口をくぐった。

「あっ、Kiltrogさん!」

 アプルルは全く屈託がない。こちらが赤面するほど天真爛漫である。もしかして今回協力者が大ぜい出たのも、彼女の純朴な魅力によるところが大きかったのかもしれぬ。

「お兄ちゃんがようやく起きたんです」
「もうすっかりいいんですか」
「ええ、だいぶ。『神々の書』を読めるほどには」
 アプルルはぱちんと手を叩いた。「今は隣の部屋に……」

 唐突に彼女の言葉が止まった。潮が引くように、顔から血の気がすうっと失われていった。アプルルの目は見開かれ、その視線は、私の背後の空間――手の院の入り口あたりに向けられている。
 私は振り返った。セミ・ラフィーナが、扉を背にして立っていた。


「アジド・マルジドは隣室か」

 セミ・ラフィーナと対面した私は、さっと身体を固くした。無意識に手が腰へ伸びたとき「待て!」と彼女が一喝した。
「逮捕に来たわけではない。私は彼に会わねばならんのだ」

 その様子にただならぬものを感じて、斧を抜くことが出来なかった。元より、アプルルは石のように固まってしまっていた。セミ・ラフィーナは簡単に、私たちの横を通り過ぎることが出来た。「アジド・マルジド!」と怒鳴りながら、彼女は隣室の扉を開けた。

「来てくれ、天の塔まで! 黒き使者が来たんだ……魔天の扉が開かない。神子さまのお命が危ないのだ! 早く、早く!」


 神子さまの危機という話を聞き、私も心安まるわけがない。おっとり刀で天の塔へ急いだが、アジド・マルジドとセミ・ラフィーナの足は速く、私をゆうに引き離して姿をくらましてしまった。

 私がちらりと見た限り、アジド・マルジドはいつもの彼であった。院を飛び出した足取りからは、投獄の影響はみとめられなかった。半年も生気を吸われていたとは信じられぬ。魔法の力を借りているとはいえ、驚異の回復力といわねばなるまい。

 セミ・ラフィーナも同様である。ホルトト遺跡で死ぬところであったにもかかわらず、こちらも見た限りでは、後遺症は微塵も感じさせない。この両人が健在であることの意義は大きい。だがそれも、星の神子さまご健在での話である。もし、神子さまに万一のことがあったなら……。

 息せき切って階段をかけ上がった。守護戦士たちが私を見つけ、「おお、Kiltrog」「Kiltrog!」とめいめいに声をかけた。彼女たちの間をすり抜け、天文泉を飛び越え、魔天の扉にすがりつく。扉はあっさりと開いた。中へ入ると真っ先に、アジド・マルジドとセミ・ラフィーナが目についた。彼らの足元に横臥しておられるのは、星の神子さまである。

 私は神子さまの元へ駆け寄った。

 神子さまは目を瞑っておられた。黒雲のような不安が膨れ上がったが、足元にいたアジド・マルジドが、私の膝をぱしっと叩いて言った。
「大丈夫、気絶しておられるだけだ……黒い使者のせいだ」
「黒い使者は、奇妙な魔法を使った」
 セミ・ラフィーナは、興奮に肩を震わせて、
「どうやら身体の周辺に、防御膜を張っていたようだ。アジド・マルジドの古代魔法も、私の放った矢も弾かれてしまった。本来なら、神子さまは賊ごときに後れをとられるようなお方ではないが、奴の攻撃は思いがけず強かったようだ」

「いや、違うな……セミ・ラフィーナ」
 アジド・マルジドがぼそりと言った。
「奴は神子さまを襲っていたわけではない」

「何だと?」
 セミ・ラフィーナはあからさまに不機嫌な声で答えた。
「私は目撃した。奴の放ったエネルギーが、神子さまのおん胸のところで弾け、青い火花を散らしているのを。それでもお前は、あの賊の肩を持つというのか?」

「俺は扉をこじ開けて、お前より一足早くここへ入った。黒き使者がじりじりと神子さまに迫っていたので、反射的に古代魔法を放ったのだが、奴が直接魔法を使うところは見ていない。神子さまの胸の輝きは、おそらくまがつみの玉だ。まがつみの玉が過剰に反応を起こし、神子さまはそのショックで倒れられたのだと思う」
「だが奴が、狼藉を働いたことに疑いはない」
「それはそうさ。ただ事実を言っている」
 アジド・マルジドは肩をすくめた。
「魔天の扉が開かなかった、というのも、大きなポイントだ。そしてまがつみの玉……ふむ。思うに、これは大きな真実を示唆している……」

 私は悪い予感がして、思わずぶるっ、と身を震わせた。
「セミ・ラフィーナ隊長。黒き使者とは、一体どのような姿をしていたのだろうか?」
「そうだな、形容が難しいが」
 彼女は針のような親指の爪を噛んだ。
「小柄でずんぐりしていて、黒いローブに身を包んでいる……だが妙な言い方になるが、そういう容姿の特徴は、いわば枝葉末節なのだ。むしろ、一目見たときの印象が……。私はあれほど禍々しいものを見たことがない。不思議なことだが、こんなものはこの世に存在してはならぬという、強烈な嫌悪感がこみあげてきてたまらなかったのだ」
「頭髪がなかったのではないか。トンベリのように」
「トンベリというのは少し無理があろう。私の知る限り、どの獣人とも違うようだった。頭髪がないというのは確かにそうだが、それを言えばオークもだからな……」

 だが、オークは小柄ではない。ローブを着るような魔法の使い手が、顔を出すのを許されてもいない。第一オークに対しては、あまりの野蛮さに軽蔑の念を抱きこそすれ、絶対的な生理的嫌悪感を覚えることは少ない。

 私はジ・タでの出来事を思い出していた。
(アレ ハ カタマリ ダ!!)
 
 アジド・マルジドが静かに言った。
「俺には、奴の正体がわかったように思う。もし俺の想像が当たっているなら……恐ろしい。すべては神子さまがお目を覚まされてからだ。俺は神子さまに、お尋ね申し上げねばならぬことがある」


(06.08.09)
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