その462

キルトログ、黒い使者の正体を知る(2)

 神子さまがお目覚めになるまで、少し時間を要した。セミ・ラフィーナは守護戦士を呼びつけ、侍女たちを呼んでくるよう命じたが、その毅然としてはいるが尊大な様子から、彼女がなぜ敵を作るのかわかるような気がした。

 守護戦士の一人が戻ってきて、侍女たちは来られません、と言った。セミ・ラフィーナは憤慨した様子で、戸口のところで彼女を叱責した。漏れ聞こえるところによれば、侍女たちは天文泉にはあがることを許されていない、というのである。セミ・ラフィーナはタルタルに毒づいたが、私でもかちんと来るようなひどい侮蔑の言葉だった。気分を害したので私は外へ出た。階段の下から、わあわあと騒ぎの声が聞こえてきていた。顔見知りの守護戦士ふたりが私の隣へ来て、そっと小声で囁きかけた。

「黒い使者はもう去ったのか?」と、ヴァン・パイニーシャ。

 院長とセミ・ラフィーナ隊長が追い払ったようだ、と私は答えた。彼女はばつが悪そうにはあと息をついた。

「恥ずかしいことだが……私はあれを見たとたん、足がすくんでしまったのだ。アジド・マルジドにやられたときとは違う。力の差は歴然としていた。戦うどころではなかった。一刻も早く逃げ出したくてたまらなかったのだ……守護戦士失格だな」

「私にはわかる、あれは死者の臭いだ」
 シャズ・ノレムは青い顔をしている。
「ゴーストやグールどころではない。奴のことを思い出しただけで寒気がする。くやしいが私たちでは手も足も出ぬ。世界を股にかけた冒険者なら、勝機を見出せることもあるのだろうか?」

 さあな、と私は答えた。私が何も喋る気がないのを感じたか、ふたりは離れていった。私は階段を下りた。降り口に侍女がたむろしていた。皆いちように顔面蒼白で、目だけが泣きはらして赤かった。この世の終わりが来た、とでも言うかのように、甲高い声でおいおいと叫んでいた。侍女たちのこんな無秩序ぶりは珍しい。亡霊のように取りすがってくる彼女たちを、子猫をつまむように持ち上げて片付けながら、黒い死者は帰ったから安心するがよい、とめいめい言い聞かせた。

「私がいるからには、これ以上賊に好き勝手はさせぬ」

 そう断言すると、彼女たちはだいぶ気が楽になったようで、ようやく落ち着き、ぱらぱらと元の仕事に戻り始めた。自分の発言にそれだけの力があるのは信じられないが、後に聞いた話によれば、私はセミ・ラフィーナを守ってカーディアンを撃退したことになっており、天の塔での株はますます上がっているのだという。

 気難しそうに眉を結んだズババが、机についていた。いつもの彼女とは違った。私の知っている彼女なら、雷撃の如き一喝を与えて、侍女たちを黙らせるのが常だった。

「Kiltrog……お前さんがいてくれるのが、何よりの救いだよ」
 ため息に心労がにじんでいた。鬼の侍女長のたくましさは、そこにはない。
「黒い使者には、何の札も効き目がなかった。私たちではどうにもならない相手だ。神子さまがご無事だったのが本当に幸いだった。
 さっきの言葉、信用していいのだろうね?」

 ズババは私を見上げる。くぼみが目立つ眼窩の奥で、瞳が所在なげに左右に揺れていた。彼女と知り合ってから初めて、私は彼女の年齢を意識した。
「私たちは、もうお前さんに頼るしかないのだ……」

「これ以上、神子さまのおん身に危険が及ぶことはない。約束する。安心するといい、ズババ侍女長」

「おお」
 ズババはふるふると震える両手を伸ばした。
「ありがとうよ、Kiltrog。ウィンダスは今、難しい局面を迎えている。カーディアンは遺跡に集結し、ヤグードどもはまた不穏な動きをして、一触即発の関係にある。いつ戦火に包まれてもおかしくないのだ。それでいて今回のこの騒ぎ、心休まる暇がない。
 私たちは不安でたまらないのだ。お前さんが誰より強いのはよく知っている。何と言っても、闇の王を倒したのだからね。だがお前さんは冒険者だ。いつ何どき、ウィンダスを離れ、他の国へ移籍してしまうかもしれない。マウラから船に乗って、近ごろ航行の再開された、アトルガン皇国へ行ってしまうかもしれない。そばにいておくれ、Kiltrog。もう一度約束しておくれ。神子さまのお命も、私たちの故郷も、決して不逞の輩には渡さないと。お前さんがそう誓ってくれるなら、私たちは安心して神子さまにお仕えすることができる」

「私は、大事を軽々しく口にはしない。そして約束を違えることもない」
 胸のバッジをいじりながら私は答えた。

「私はウィンダス連邦が好きだ。だからどこへも行かぬ。この世でウィンダス以外の、いずこの旗にもひざまずくことはせぬ。黒い使者にも、カーディアンにも、ヤグードにも、この美しい国を蹂躙させはせぬ」

 ズババは感激したようであった。言葉につまり、やがて顔を伏せて、よよと泣き出した。そのとき階段を守護戦士が下りてきた。「Kiltrogさま」と声をかけられる。
「セミ・ラフィーナさまがお呼びです。神子さまがお気づきになられたのこと……至急神子さまのお部屋までお越し下さい」


 天文泉を跨ぎながら私は考えた。Kiltrogさまか! 既にそういう立場なのだ。私は掌を見つめ、拳を握っては開いて、指のこわりを確かめた。少し気を抜くと、二の腕も小刻みに震えてくる。鎧の上からではわからぬだろう。それが幸いだった。守護戦士は何も気がついた様子がなく、畏敬に満ちたまなざしで私を見つめたあと、魔天の扉の奥へ私を通した。

 神子さまはすでに回復されて、腰掛で休まれておいでだった。その傍らにアジド・マルジドがおり、真剣な顔つきで側を守っていた。セミ・ラフィーナは入り口の近くへいて「さあKiltrog、中へ」と私を通した。部屋の空気は落ち着いていた。神子さまのご不興が続いていたら、もっとぴりぴりとした緊張感が漂っているはずだ。私は安堵した。目下のところ、それが心配のひとつだったのだ。神子さまは気だるそうに腰掛けておられるばかりで、お心はわからぬ。アジド・マルジドへのお怒りを解かれたとは思わないが、賊に襲われたショックの方が大きいのだろうと存じ上げる。

「私は、これから黒い使者の後を追おうと思います」
 私の後をついてきたセミ・ラフィーナが、厳かに進言した。

「聞けばどうやらアジド・マルジドには正体がわかっているようす。こちらから出向いて攻撃をしかけます。もとより専守防衛はミスラの性に合わぬこと。油断ゆえにカーディアンには不覚を取りましたが、必ずや吉報をお届けすることが出来ましょう」

 アジド・マルジドが右手をあげた。
「待て、その間、神子さまは誰がお守りする?」

「お前がいるだろう、アジド・マルジド」
 冷ややかにセミ・ラフィーナは言った。
「もう一度黒い使者が来ても、お前になら撃退できるだろう。魔天の扉が閉ざされ、私には手も足も出なかった。こういうとき、魔法の使えない自分が疎ましいと思うぞ」

「だから、アジド・マルジドの力を借りたのですか」 
 神子さまがゆっくり口を開かれたが、そのお声はひどく小さかった。

 セミ・ラフィーナはちらりと私を見て、「そうです」と答えた。視線の意味はわかりかねた。黙っていろという牽制のつもりだろうか。

「おかげで助かりました。礼を言いましょう、セミ・ラフィーナにアジド・マルジド」
 ふたりが感に堪えぬというふうに、深々と頭を下げた。
「そしてkiltrogも」
 私も彼らの行為を真似たが、実際には何も出来なかったので、逆に肩身の狭い気持ちがした。


「今セミ・ラフィーナが、黒い使者の後を追うと申し上げましたが、俺にはそれは無駄なことだと思えてなりません、神子さま」

 アジド・マルジドはあけすけに言った。セミ・ラフィーナが両目を剥き、神子さまのおん前であるにも関わらず、興奮して大声をあげた。
「私では奴に勝てぬというのか! アジド・マルジド!」

「いや、そういうわけではない」
 アジド・マルジドは打ち消した。その言葉にはからかいも皮肉の響きもなかった。

「黒い使者の正体は、そういうものではない、と言いたいのだ。人間に追い詰められる類の生き物ではない。今の奴を、生き物、と呼んでいいのかどうかは議論の必要があるが……。

 奴はなぜ神出鬼没なのか考えたことがあるか、セミ・ラフィーナ。魔法大国ウィンダスの中にあって、天の塔の防御は完璧であるはず。だが奴は、我々の力を弄ぶように侵入を繰り返している。そんなことがどうして可能なのか。

 魔天の扉は、神子さまのおん意思に反し、なぜ閉ざされたか。

 俺の魔法はなぜ跳ね返されたのか。

 考えれば明白なことだ。天の塔は何で制御されているか? 我々の魔法より上位に位置する力は? すべてが一つの答えを指し示している。奴が使っているのは、星月の力に他ならない――ホルトト遺跡や魔導球と同じ力を用いているからこそ、黒い使者はたやすく我々の裏をかいてみせるのだよ」


(06.09.02)
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