その468

キルトログ、満月の泉に急行する

「お前! 満月の泉に急ぐぞ!」
 言うなり、アジド・マルジドは手の院を飛び出してしまった。

 私は反射的に後を追った。反射的に、というのは、聖都防衛をセミ・ラフィーナに約束した手前、本来なら、アジド・マルジドに無条件に従うつもりはなかったからである。この時は勢いに押されてしまったが、すぐに冷静になった。彼と話さねばならぬ。ただし、神子さまの御身にどのような危険が及ぶのか、確かめてからでも遅くはあるまい。

 アジド・マルジドは意外に足がはやい。気がついたら彼はもうチョコボに乗っていた。私も厩舎ででかいのを一羽借りた。ガルカは重いので、どうしても身体の太いチョコボが必要である。一方アジド・マルジドが跨っているのは、まだ嘴の黄色い雛鳥だった。そのせいかどうか知らないが、私は自分の手綱さばきに自信がないにも関わらず、何とか彼に追いついて並走し、大声で話しかけることが出来た。

「俺が間違っていた!」
 向かい風の中で、アジド・マルジドは叫んだ。
「わかったぞ! ジョーカーの正体も!」

 それ以上の説明を、彼はしようとしなかった。もっとも、風がごうごうと唸りをあげて迫り来るので、聞いている私の方も、前屈姿勢を取り、抵抗を避けるだけで手一杯である。彼が事態を説明できる余裕は全くなかったと言っていい。

 アジド・マルジドは、足早にトライマライ水路を抜けた。私は必死でついて行った。満月の泉に到着すると、彼は「神子さま! 神子さま!」と喚きながら、坂を駆け下りていった。彼は慣れぬ運動のために、ぜいぜいと呻き、今にも倒れ出しそうだったが、鎧よりもローブの方が軽いせいだろう、常に私の先を走っていた。

 白装束の一団が、水辺に立っているのが見えた。「神子さま!!」アジド・マルジドが、大声で呼びかけた。この行動は、彼女たち――守護戦士の警戒心を呼び覚ますには十分だったようだ。何人かが剣の柄に手をやるのが、遠くからでもわかった。私は、間違ってアジド・マルジドが斬られてしまわぬよう、おおい、おおいと彼女たちに手を振った。満月の泉はうす暗かったが、ミスラたちの視力を以ってすれば、私が誰かくらいは容易に見てとれるはずである。

 アジド・マルジドが何を心配していたにせよ、神子さまは無事だった。少し元気のないご様子で、祭壇(その373参照)の方をお眺めのようであった。呼吸の荒く半死人みたいなアジド・マルジドが近づいていったが、彼の方をご覧にすらならない。一方アジド・マルジドは、疲れと、安堵と、ばつの悪さでもって、神子さまに声をかけることさえ出来ずにいた。


 セミ・ラフィーナが足早に近づいてきた。彼女の靴音の他には、ごうごうと地下の穴を通り抜けていく、風の音が聞こえるばかり。神子さまが何か仰ったが、風に吹き消されてしまった。セミ・ラフィーナは「どうなされました?」と神子さまの傍らに膝をつき、アジド・マルジドと私に、責めるような視線を投げかけた。

 神子さまはゆっくりと泉を指差した。「見てごらんなさい」

 暗く、冷たい水面が横たわっている。耳を済ませてみたが、せせらぎの音すらも聞こえぬ。
 ここは……死んだ泉なのだ。

「星月の光が戻っているかもしれぬ、という、淡い思いを抱いて来ましたが、やはり、そのようなことはあるわけがないのです」

「神子さま……」

「セミ・ラフィーナ。アジド・マルジド。そしてKiltrog」
 思いがけず名前が呼ばれたので、私は恐縮し、ミスラの後ろで敬礼をした。

「24年前のあの日。カラハ・バルハが召喚術を使い、フェンリルさまが入滅されてから、私は二度とここへ戻るまい、そう決意しました。そして、ウィンダス連邦の誰にも、満月の泉に降りることを許さなかったのです。

 私は、この泉と同じように、ウィンダスの未来もまた、冷たく暗い闇に閉ざされた……と感じていました。

 私は闇から目を逸らしました。そして、見ることをやめてしまった。連邦の未来を。民の未来を。それが私の、星の神子の役目であるにも関わらず。

 私は闇に怯えていた。臆病で、ちっぽけな私には、頼る光なしに歩むことは出来なかったのです……」

 神子さまが右手を差し出された。そこに、蛍のように小さな、青い燐光が浮かび、ゆらゆらと揺れながら、満月の泉の虚空へと浮遊していった。
 
「しかし、私には、あなたたちがいる……」

「神子さま」
 セミ・ラフィーナが、感に堪えぬ様子で頭を垂れた。
 
「今こそ、私は見極めなくては。闇に立ち向かわなければ。私たちが何処にいて、どこへ向かおうとしているのか、この目で確かめなくては。フェンリルさまは仰いました……光なくとも道はある。その通りです。私にとっては、あなたたちこそが、導きの星の輝きのように思われるのです」


「神子さま」
 アジド・マルジドが進み出て、神子さまの前に平伏した。
「お聞き下さい。俺は突き止めました。遂に黒い死者の秘密を……」
 
 彼は機会を伺っていたに違いない。しかしこの性急な進言は、守護戦士の逆鱗に触れたようだ。「無礼者!」セミ・ラフィーナはアジド・マルジドの襟首を掴み、強引に引き上げた。
「神子さまのお話を遮るなど……」

 彼女の姿が消えた。

 私は目を見開いた。幻ではなく、紛れもなく彼女が消えうせたのだ、と理解するまで、十数秒を要した。黒い水面の向こう岸に、不恰好な人影がひとつ、滑るように走っていった。足元に車輪が見えたとき、私は全てを悟った……セミ・ラフィーナの身に何が起こったのかを。


「ジョーカー!!」


 私は斧を抜いた。だが既に、致命的な時間を使ってしまっていた。周囲を見回し、援軍が一人もいないことに気づいた。守護戦士の白装束は姿を消し、代わりにカーディアンどもが、杖を構えて群がりつつある。

 カカシの数は、20や30ではきかなかった。全てがエース級ではないだろう。だが、この包囲網を一人で突破するのは不可能に近い。ましてや私は一人ではない。命に変えても神子さまをお守りせねばならぬ……。

「おい、油断するな!」

 斬り死にの覚悟すら決めた時である。足元で鋭い声がした。アジド・マルジドが、私の右足に背中を預けてきた。どういう理由か、彼のみは消滅を免れたのだ! このとき胸に広がった大きな安堵感を、いったいどう説明すればよいだろう。
 
「奴め! 星月の力を使いやがった。守護戦士どもは飛ばされた……おそらく、泉の外に。彼女たちは、何が起こったのかすら理解してはいまい」

「神子さま!」
 
 私は叫んだ。神子さまは、金縛りにかかられたように、動こうとはなさらない。ジョーカーがゆっくりと進んできていた……。奇妙なことに、彼は水面の上を、音もなく滑るように移動してくるのだ。浮遊の術が使えるというのか。まさか! ジョーカーはいったい、単純なカカシの身体の中に、どれほどの能力を秘めているというのだろう。

「戻ってくるのを待っていたぞ。星の神子よ」

 ジョーカーは神子さまに対峙し、高らかに言った。

「我は、そなたに教えるために来た。そなたが呼び覚ました願いの星……それがヴァナ・ディールに、いったい何をもたらしたのか、ということを……」


(06.09.14)
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