その471

キルトログ、天の塔で会議をする(2)

 私はおとなしく、アジド・マルジドの話を聞いていた。

 神子さまのご心中、絶望のほどは、想像するだに余りある。泉にわずかに残っていた、星月の力が反応し――ジョーカーは復活した。カラハ・バルハの魂ごと、フェンリルを連れて。

 20年近くの歳月を要したのは、星月の力が弱くなっていたせいだろうか。それとも、確かにそのとき、運命の歯車は回りだしていたのか。

 港区の子供たちが、魔導球を拾い、英雄の家に届けてしまうことは、逃れられない運命に過ぎなかったのだろうか。

 始まりの神子さまが読み取られた、数々の出来事と同じように。
 
「その説明を聞き、ようやく合点がいきました」
 私は言った。

「魂がともに死し、蘇ったからといって、フェンリルとカラハ・バルハは完全に同一ではない。ジョーカーがときに、ふたつの人格を持つように見えたのは、そのせいだったのでしょう。彼は慇懃なときもあるし、人智を超えるもののように、尊大な態度をとるときもある」

「黒い使者が、星月の力を使うのは当然だな。ある意味フェンリルそのものなのだから」
 セミ・ラフィーナが相槌を打つ。
「フェンリルの希望は、黒い使者――分かたれた自分との合体、ということでいいのだろうか?」

 アジド・マルジドは頷いた。
「おそらくそうだろう。だからこそ俺は、神子さまに危害の及ぶ危険は少ないと、シャントット博士に進言したんだ。だが少なくとも、黒い使者の方では嫌がっているようだな。カラハ・バルハの部分が抵抗しているようだ。そうでなければ、わざわざジョーカーが、神子さまを人質を取ったりするわけがない。

 俺たちの仕事は、可及的すみやかに、黒い使者を泉まで連れて行くことだよ。神子さまをお救い申し上げる機会は、その時をのぞいて他にはあるまい」

「だが、あんな神出鬼没な奴を、どうやって招き寄せる」

「それなんだが……」

 アジド・マルジドは立ち上がって、部屋の奥へ消えた。しばらくして、木の皮のように古く、茶色く色焼けた、分厚い帳面を抱えて戻ってきた。

「カラハ・バルハの理性が、フェンリルに吸収されるのを拒んでいるからには、黒い使者の、神獣の部分を利用するしかあるまい」

 我々が座った中央に、彼は帳面を放り出した。どさり、と音がした。
 セミ・ラフィーナが指さして尋ねた。
「これは何か?」
 
「カラハ・バルハの研究ノートだ。中に面白い記述がある」
 心の院から取ってきたのだろう。神子さまのお部屋からは、簡単に行くことが出来る。

「何万年も前のことだが、クリューという古代民族がいたようだ。彼らは神獣……星月の力を操る獣の制御を知っていた。彼らは獣を呼び出すのに、曲を使った。『神々の書』に記述がある。カラハ・バルハは調査を進め、その古代の曲というのが、三つに分かたれて遺跡に封じられていることを知った。ノートにはこうあるよ。ロ・メーヴ、宣託の間、ウガレピ寺院」

「どこも世界の果てだ!」

「それだけ機密だということさ」
 アジド・マルジドはにやりと笑った。

「逆に言えば、効果が折り紙つきでもある。世界の三つの果てに、分けて封印しなければならんほどならな。わかるだろう。
 歌の収集は、Kiltrogに頼みたい。冒険者には慣れた仕事だろうからな。どうだ?」

「妻と友達とで行ってきます」
 私は言った。
「曲というのが、歌碑のかたちで残っていればいいのですが」

「魔法学校から、何か借りるさ。録音できる魔法人形くらいあるだろう。いざというときは、それを使えばいい」
「わかりました」


 そのとき、小さなノックの音がした。セミ・ラフィーナが立ち上がって、「どうぞ」と言った。背中を縮こめて入ってきたのはアプルルである。唇が血の気を失っており、兄よりもずっと青い顔をしている。
「……このたびの失態は……どうも……」
 彼女は深々と頭を下げた。声が擦れているのは、真面目な彼女のこと、自責の念でさんざん泣き続けていたからに違いない。

「……カーディアンのせいで、神子さまを……何とお詫びを申し上げてよいのやら……」

「そういう話は、ここでは無しだ。アプルル」
 アジド・マルジドがぴしゃりと言った。
「責任ということなら、俺たち三人が重罪さ。お前が必要以上に背負うことはない」

 アプルルが、またぞろ湧きあがってきた涙を拭いながら言った。
「お兄ちゃん、私は何をすればいいの」

「相手はカーディアンだ。神子さまをお救い申し上げるのに、何か隙を作れないか。いいアイデアがあったら出して欲しい」

「そのことなんだけど、考えがあることはあるの」
 アプルルは兄の隣に割り込むように正座をし、私の顔を見上げた。


「強い星月の力を解放して、カーディアンをショートさせる照射機よ。試作品はとっくに出来ているわ。ずっと昔に開発されて、お蔵入りになっていたんだけどね」

「いいじゃないか!」
 アジド・マルジドは両手を打ち合わせた。
「まあ、問題はあるんだろうがな。実用化されてないってことは」

「照射に使うエネルギーが膨大過ぎるのよ。そんなものをカーディアンに個別に使うよりは、冒険者さんを雇った方が効率がいいのね。だから研究中止になってたんだけど、カーディアンが一同に介している今なら、使い道があると思う。

 ただ、大勢が相手だから、出力をもっと上げる必要があるわ。照射角度の制御方法にも、再検討が必要だし……今から徹夜で取り掛かって、間に合うかどうか。一番の問題は、設計の人手が足りないことね。星月の力に精通している職員が少ないもの。手の院だけでは、とても賄えそうにない……」


「わたくしたちが、協力してもよござんす」


 扉が開いて、入ってきた者があった。3人の小さな闖入者。先頭の人影は、薄暗がりに立っていたが、可愛らしいおさげ髪であることがはっきりわかった。

 彼らはひょこひょことした足取りで、私たちのところへ近づいてきた。後ろのふたりは男性だった。同じような魔道鎧を着ているので、一見区別がつかないが、そのうちの一人はひどく眠そうな顔で、しきりに目をごしごしと擦っていた。

「会議が終わっても帰らないって言うから、気になって覗いてみたら、重大なお話じゃありませんか。オホホ!」

「シャントット博士!」
 アプルルは息を飲んだ。
「お聞きになっておられたのですか」

「星月の力に詳しいのは、院長クラスの魔道士……あるいは、博士くらい。どうです、アプルル。わたくしたちが力を結集させても、兵器の調整には間に合わないとお思い?」

「あ、いえ。そんなことは」
 アプルルは慌ててかぶりを振ったが、まんざら社交辞令でもなさそうだった。彼女の腫れぼったい目には、きらきらと光が射し始めている。

「三博士に協力して頂ければ、きっと可能だと思います! とても助かります、ありがとうございます!」

「おお! わしは今、華麗な黒魔法でウィンダスを救うところだったのに……」

 どうやら立ちながら寝ぼけているらしいコル・モルの背中を、ヨラン・オランはとん、とんと優しく叩いた。

「それを今からやろうというのだよ。論文が大詰めだというのに、どうも邪魔ばかり入るが……ふう、お国の一大事じゃ。いっちょ現役に戻ったつもりで、全力でご奉公するとするかの」


(06.09.14)
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