その476 キルトログ、古代の曲を奏でる 河川敷を見渡した途端、私は卒倒しそうになった。 見渡す限り、川岸のありとあらゆる場所に、カーディアンが立っていた。奴らは得物――主に長棍――を振りかぶり、彫像みたく固まっているので、満月の泉に、奇妙なとげ山が群生したように見えた。奴らが一筋だけ空けた場所は、細く長い道となって、泉の奥へと向かっていた。水面の青白い光、炯々とした星月の輝きを背に、一匹のカーディアンが浮かんでいた。まぎれもないカカシどもの王、聖獣フェンリルの移し身、ジョーカーその人である。 ジョーカーの傍らに、エースとおぼしきカーディアンが二体、杖を交差させて構えていた。その手前に、神子さまがいらっしゃった。拘束されているわけではないようで、ひとまずほっとした。しかし逆光と距離に邪魔されて、お顔のご様子はわからぬ。 「カーディアン・ジョーカー!!」 私がもっと近づこうと思ったとき、アジド・マルジドが、その身体に似合わぬ胴間声で叫んだ。あまりの威圧感に、私は身震いした。やはりこの男は大したものだ。伊達にウィンダス連邦の魔導団を束ねてるのでない。 だが、当のジョーカーに、動じた様子は見られなかった。むしろ不機嫌そうに首を左右に振り、ぐるる、と喉を鳴らして「分かたれた我はおらんようだな」と小声で唸った。 まずい、と私は思った。 「いかにも、黒い使者はおらぬ! しかし我々は、いにしえの歌を集めてきた。古代の民が、大いなる獣と契約を結んだという、その証だ。これがあれば、黒い使者は、どこにいようともやって来るはず……お前の望みも叶えられよう。 さあ、神子さまを、こちらへ返すのだ!!」 「ふむ、古代の契約か」 ジョーカーは繰り返した。どこか面白がっているふうにも聞こえた。 「よかろう。それをKiltrogに奏でてもらおう」 私は振り返り、仲間たちの顔を見回したあと、背嚢を下ろして、魔法人形を取り出した。それを祝杯のようにかざし、左右のカーディアンに存分に見せ付けた。武器を手に持っておらず、攻撃の意志がないことを示すためだが、カーディアンたちはやはり動かず、不気味な沈黙を保ったままだった。 私は人形を手に、ジョーカーの前まで進んだ。神子さまが私を見上げていた。声をおかけしたかったが、余計なことを喋れば、たちまちエースカーディアンに打ちのめされそうだ。刺激的な行為は避けねばならぬ。神子さまは頬もおやつれになり、疲労の色濃いご様子だったが、私は大丈夫、という意志を示すため、神子さまに小さく――ほんのかすかにではあるが――頷いてみせた。 「Kiltrog」 と、神子さまは、小声でおっしゃった。 「あの人が……本当に、やって来るでしょうか……あの人が……」 「よく来た、Kiltrog。導きの星よ」 ジョーカーの声が、神子さまの言葉の上に重なった。アジド・マジドに負けず劣らず、殷々とした響きである。 「物語の始まりは、星の神子の“願い”だった。しかし、そなたは知っているはずだ。この時を導いたのが、そなた自身の意思だということを。そなたは多くの星々と出会い、その輝きで、約束の地を照らしてきた。 さあ、分かれた我を導いてくれ。もう一度、この空に星月を呼び戻すのだ」 私は魔法人形をゆっくりと下ろし、スイッチを入れた。 何も鳴らなかった。 もう一度スイッチを押した。やはり、人形は何も話さぬ。すうっと血の気の引くのを覚えたときである。ごうごうと轟く地の響きを縫うように、かすかな、笛のような音が、どこからともなく流れてきた。 それは一聴、空耳と錯覚するほどの小ささだったが、やがてはっきりとした形を取り、耳に届いた。私がロ・メーヴ、宣託の間、ウガレピ寺院で聞いた音色に間違いなかった。やがて音楽は、満月の泉の水のせせらぎ、吹き抜ける風の轟きと、しっかりと交じり合い、強いうねりとなって、私の身体を包んだ。それは不思議な体験だった。神々しい音に全身を包まれ、私は恍惚とした。ここがどこで、今がいつで、自分が誰で、何をしなければならないのか、そんなことすらしばし忘れた。酩酊感すら覚えていたように思う。至高の体験だったと言ってよい。 それは、他の者も変わらなかったようだ。ともに旅し、古代の曲を集めたLeeshaや、Apricotたちは言うに及ばず、あれほど血気さかんだったアジド・マルジドや、セミ・ラフィーナですらが、うっとりとした表情を浮かべて、立ち尽くしているのだった。きっと彼らの耳にも、この音は直接届いており、それぞれの魂をゆさぶっているのに違いない。 中でも、最も恍惚とした表情をしていたのは……。 「おおお……クリュー……」 ジョーカーは音の泉につかり、満足そうに身を捻っていた。またたびに酔ったミスラを連想させて、滑稽ですらあった。神のごとき彼が、このような痴態を見せることは考えづらいことだ。私はいささかの驚きを覚えた。 対照的なのは神子さまだった。ジョーカーの傍らにあって、お顔は依然として紙のように白かった。何をお考えなのか釈然としないが、心地よい音に身を任せておられるふうではない。カーディアンの軍勢、寡兵の我々、この場にいて、もし冷静さを保っている者があるとしたら、それは唯一神子さまだけであったろう。 その神子さまのおん目が、不意に見開かれた。 神子さまの視線は、泉の方に向けられていた。青白い光が、泉の底からますます強さを増していたため、すぐそれとはわからなかったが、小さな、タルタルほどの大きさの人影が、水面の上に立っているのだった。 黒い使者だった。 禿頭で背も曲がり、顔はゆがみ、表情というものがない。水の光を鈍く反射させるだけの、つやのない肌。全身を包む、いかにも腐臭の漂ってきそうな、ぼろぼろのマント。 相変わらず醜い姿だったが、不思議にも、見た者に激しい嫌悪感をもよおさせる、例の禍々しいオーラはなりを潜めていた。そのためか、ロ・メーヴで不意に遭遇したときよりも(もともと体格は小さいのだが)さらにちっぽけになったように思えた。 黒い使者は何も話さぬし、自ら意志を示そうともしない。だが私には、彼の持っている無限の悲しみが感じられて、胸のつかえる思いがした。私が彼の正体を知ってしまったせいかもしれないし、彼自身が変わってしまったせいかもしれない。 「来たか、分たれた我よ……!」 黒い使者に向かって、ジョーカーは両手を大きく広げた。 「さあ、我と再びひとつに」 いかにも芝居がかった調子だった。彼の中には依然として、酩酊感が続いていたに違いない。 だが、既に我々は、クリューの唄の影響から立ち直っていた。ジョーカーを冷ややかに見つめていたのは、私だけではなかった。視界の端で、アジド・マルジドがさっと右手を振るのが見えた。彼の行動に、エースカーディアンたちが身を固くし、得物を構えたが、いかにも遅かった。彼らが警戒心を取り戻すころには、アプルルは布を取り去り、秘密兵器を露出してしまっていた。 アジド・マルジドの大声が、満月の泉にこだました。 「アプルル、今だ……全力で照射を!! カーディアンの息の根を止めろ!」 (07.01.30)
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