その484 キルトログ、天の塔に呼ばれる クォン北部は寒冷地として知られる。フォルガンディ地方ほどではないが、針葉樹に囲まれたダボイとて例外ではない。とりわけ、朝まだきの間は。 セーダル・ゴジャルは、大羊の毛で出来た外套の上から、自身の両肩をかき抱いた。吐く息は霧のように濃い。 彼は、稜線の白みかかった東の空に背を向け、紫色の空にうっすらと散り残る、星のまたたきを眺めていた。 「流れ星だ」 一言つぶやいただけだったが、焚き火の近くで横になり、暖を取っていたエルヴァーンのベルナールが起きた。「ご冗談を」と言いながら、彼は頬をこすった。 「そうだね」 意外なことに、セーダル・ゴジャルは否定しなかった。 「でも……あっちは、ウィンダスの方角だな。何か、あったのかもしれない」 「いつも、祖国のことを気にかけていらっしゃるようですね」 ベルナールは震えながら火かき棒を取り、赤黒く明滅しているだけの炭をかき回した。火の粉がぱっぱっと散った。 「ねえ隊長。隊長は、ウィンダスへ行ったことある?」 セーダル・ゴジャルが無邪気に尋ねた。 「あいにくと私は、サンドリア生まれサンドリア育ちです」 「じゃあ、一度おいでよ。ウィンダスはいいところだよ。あったかいしさ。こんなふうに凍えることもない」 「サンドリアも良いところですぞ」 「じゃあ、こうしよう。隊長にサンドリアを案内してもらう。ぼくは隊長をウィンダスへ招待する。名物料理をごちそうするよ。星の大樹もカーディアンも、夜光草も……みんなみんな、見てもらいたいんだ」 「はは。ありがとうございます」 炎は弱々しくくすぶるばかりである。ベルナールは舌打ちをした。 「この張り込みが、終わったらですな。援軍さえ来れば……」 「隊長、約束だよ」 「ええ。ぜひ」 「援軍が来たら、オークとの抗争も、一段落するだろう……」 セーダル・ゴジャルは、明るくなっていく空を見上げて、言った。 「そしたら、ぼくはウィンダスへ帰る。旅に出て、ぼくが知ったのは、ぼくがウィンダスをどれだけ愛しているかってこと。サンドリアの人もまた、サンドリアを愛している。それって、すごく素敵なことだと思うんだ。 もちろん、戦いが終わって、恒久の平和が訪れると思うほど、ぼくはお人よしじゃないけど……。ほんのちょっとだけ、世界を幸せに出来ると思う。そんなささやかな願いくらいは、女神さまもきっと、聞き届けてくれるんじゃないかな」 私は、奇跡を見た。 星月の光が迸り、弾けた。幾百、幾千、幾万もの魂の行方。塗り替えられた運命の道筋。私はその片鱗を見た。だが、ここでそれを明かすことは出来ぬ。次の世代の人たちは、彼ら自身の時を生きる。我々は、我々の時を生きるのだ。星読みは彼らにまかせよう――初代の星の神子、リミララさまがそうしたように。 儀式の間、セーダル・ゴジャルの幻を見たように思った。気のせいだったかもしれぬ。私は疲れていた。闇の王を倒したとき、エルドナーシュを打ち破ったときよりも、格段に疲れていた。もしかして、あれは夢だったのだろうか。というのは、私は満足して、泥のように眠ったからだ。あれほど心地よい眠りについたことは、今だかつて一度もない。 気がついたら、私はモグハウスのベッドにいた。 モーグリが、私宛の郵便を届けてきた。裏を見ると、院長の印が押してあった。
天晶歴887年、冬。某月某日。ウィンダスは相変わらずの快晴。ぽかぽかとした小春日和である。 小さなタルタルの兄妹が、おいかけっこをしながら通り過ぎていく。旅人の群れが、驚きの表情で、カーディアンの案内に聞き入っている。冒険者は競売所へ詰めかけ、あるいは、バザーを開いている商人と取引を繰り返している。 いつもの光景だ。私はすがすがしい気分になった。 左手に、堂々とそびえ立つ星の大樹を見た。呼ばれた時間には、まだだいぶ間がある。この美しい風景を満喫するつもりで、私は坂をゆっくり降りていった。 右手にある建物から、「オホホホ、オホホホ!」という高笑いが聞こえてきた。 呼び鈴を押して中に入った。シャントット博士が、テーブルの上でくねくねと身を震わせていた。 「あの手袋が、没収されてしまいましたのよ! キーー!」 私は肩をすくめ、ご愁傷さまでした、と言った。 「わたくし、恨んではおりませんわよ。満月の泉の戦いに呼ばれなかったことも。オホホ! いざとなったら、わたくしの力が必要になるかもしれないと、夜更かしをしておりましたがねえ。結局朝まで誰も……神子さまがご無事で、本当によござんしたわ。オホホホホホ!」 これはまずい、と思いながら私は後ずさりした。後ろ手にドアを開けて、そっと外へ逃げ出した。 最後に博士のぶっそうなセリフが聞こえた。 「夜更かしはお肌が……ええいこん畜生、腹が立つ! さて、誰を呪ってやろうかしら?! オホホホ!」 反面、ヨラン・オラン邸は静かなものであった。兵器開発の礼を言うために、私はドアを叩いた。
「いやなに、お役に立てて何よりですぞ。ほほ」 マンドラゴラの瓶の水を取り替えながら、博士は笑った。 「そういえば、ゾンパ・ジッパから手紙が来ましての。連邦に帰参したいそうなんです」 「ああ」と私は言い、高慢な氏の言動を思い出して、何と答えたものか少し迷った。 「そうしたら、彼は隣に引っ越してくることになるわけですね」 「いや……それがですな……」 博士は渋面を作って私を差し招いた。私は耳を寄せた。 「アジド・マルジドに聞いたが、カラハ・バルハは自分のカーディアンに封命術を使っておったそうで……。それは、とどのつまり、ゾンパ・ジッパが教えたということなんですな……」 「はあ」 「実は、封命術のやり方はレベル3の極秘情報でしてな。他の院長に教えることもならん、違反した場合、最低でも追放、闇牢、場合によっては死刑という罪の重いもので……」 おやまあと私は言った。 「そう伝えて、帰すなとアジド・マルジドに言われましてね。私も同感ですわ」 そのとき表の方で、どたばたと騒がしい足音が聞こえた。猫が鼠を追いかけるように、誰かが捕物を行っているようである。やがてバタンと勢いよく扉の閉まる音がした。女の激しい悪態の声が続く。 「さわがしいのは、右隣だけで十分ですわい」 ミスラがかりかりと爪を噛みながら、通りを戻っていくところだった。私はコル・モル博士のドアをノックし、もう大丈夫ですよ、と言った。そっと扉が開き、タルタルとも思えぬものすごい力で中へ引きずり込まれた。 「おお、君か」 コル・モル博士は、息を切らしながら言った。 「星の神子さまに呼ばれておるのではなかったのかね」 今からです、と言って、私は懐中時計を見たが、約束の時間にあと20分もないことに気づいた。こうしてはおられぬ。 「カラハ・バルハが、よろしくと言うておったぞ」 コル・モル博士の顔を見た。「私にですか」と聞くと、「そうだ」という答えが返ってきた。 「わしはあいつと、満月の光の下で酒を飲んだよ。楽しい宴だった。カラハ・バルハめ、ずいぶん嬉しそうだったぞ。何でも君は、大いなる獣を蘇らせるため、大活躍だったそうじゃないか。奴もしきりに褒めておったよ。 待てよ……カラハ・バルハは、死んでいるのだよな……」 私は黙って頷いた。
「……ということは、ありゃ夢かの。いや、夢にしては生々しかったが……。あいつめ、魔法人形はとっとと返せって言いよったわい。死んでおいて今さら人形もあるまいて。ガッハッハ!」 唐突に、ドアがドンドンドンとノックされた。私は飛び上がった。「コル・モル博士!」とヒステリックな叫びがあがる。「仲間を連れてきたよ! 今日こそは逃がさないからね!!」 扉をがりがりと引っかく爪音の迫力は、猛獣の襲撃を思わせる。巨大竜の迫力にも劣らぬ。私は心底震え上がった。 「きみ、裏窓から出るのだ……。わしがいつも抜け口に使っている」 ガルカにはとても小さかったが、苦労して潜り抜けた。ばきばきと扉の板のへし折れる音がし、次いで、恐ろしい悲鳴があがった。私はほうほうの態で逃げ出し、天の塔に向かって一目散に走り出した。 (07.02.21)
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