バストゥーク史(2)――第一次コンシュタット大戦

■ポイント■
・四省の設置
・鍛冶ギルド、彫金ギルドの整備
・第一次コンシュタット大戦〜シジュカの連射式石弓

◆組織の整備

 遂にマイヤーは建国の英雄となったが、前途は多難だった。一度は撃退したとはいえ、北には大きな敵であるサンドリアが控えている。早急に政府を編成して機能させ、自衛能力を高めなければ、共和国の看板も有名無実になってしまいかねなかった。

 建国の同年、マイヤーは内務省外務省を設立。前者の大臣にベルツを、後者の大臣に自分自身を就任させた。すなわち彼は、大統領と外務大臣を兼任したことになる。マイヤーは498年、近東の国に使節を送り、国交を樹立した。生まれ故郷の地と関係を密にすることで、サンドリアへの牽制をはかったものと思われる。

 翌495年、マイヤーは軍務省を設立。大臣に盟友のガルカ、ダルハを任命し、その下に共和国軍を置いた。この時点では、陸軍1個軍団があるに過ぎなかったが、単なる遊撃隊ではなく、正式な国家の軍隊が誕生した意味は大きい。

 翌年に鉱務省設立、初代大臣はファルク。これにて四省庁の準備を終えた(注1)。497年には共和国憲法を発布、国家としての整備を着々と進めている。建国の辞を見る限りでは、マイヤーにあまり学があるようにも思えない。彼がどうやって、ウィンダスにもサンドリアにも見られない民主国家の方法論をものにしたのか、非常に興味深い。彼が自分で思いついたのか、優れた知恵袋の存在があったのか、それは謎だが、マイヤーが初代大統領として辣腕を振るったのは確かだった。彼には確かに政治家としての才能があったのである。

 だが、必ずしも民衆がついてきたわけではないようだ。あまりにも急激に進む変化に、戸惑いや危機感を覚えた者も少なくなかった。503年、【鉄腕】マイヤーは、ガルカの青年に刺殺されて一生を終えた。バストゥークを建国してからわずか9年目のことで、二代目大統領には、当時副大統領だったエルマンが繰り上げで就任した。

◆ミスリル発見

 ところで、共和国軍が存在する大義名分は、「共和国の権益を保護するため」である。具体的には、国民の安全確保は勿論だが、国家としての生命線、鉱山資源を保護するのが目的だった。荒れ野に位置するバストゥークにとっては、地下資源を奪われることは死活問題だからである。

 最初期のバストゥークは、グスゲン山の金脈に支えられていた。そして508年、この山がもっと優れた鉱脈を宿していることが明らかになった。ミスリルである。

 遡って477年、ガルカの鍛冶職人が、ミスリルの精製術を開発していた。ミスリルは強度に優れており、錆びないというばかりか、それ自体大変美しい貴金属である。国益に大きくかなう資源であるのは言うまでもない。

 このような幸運にも恵まれて、バストゥークは外貨を獲得、国内経済は大いに盛り上がっていったが、旧態然とした貨幣は、ヒュームとガルカのもので大きく違っていたため、通商に支障をきたすことがあった。そこで527年、商務省を設置し(初代大臣ダレル)、直轄の造幣局で統一貨幣バインを作らせることになった。これによってバストゥークは、国内の流通をスムーズにし、経済国家としての側面も強くしていったのである。

 グスゲン鉱山は、金とミスリルの鉱脈を出し、長く共和国の台所を支え続けた。【戦王】に破壊されたというが、ミスリルの枯渇は654年となっているため、再整備されて100年あまりも採掘が続けられたと考えられる。整備されたトロッコ網は当時の名残である。
 なお、現在は完全な廃坑であり、冒険者には幽霊鉱山として有名。

◆鍛冶ギルドと彫金ギルド

 サンドリアの鍛冶ギルドは【鉄血王】ランフォルの時代、390年に結成された。王国貨幣ノワを大量に増産するためである。バストゥークにおいても、貨幣統一と鍛冶ギルド設立はほぼ同じころ(527年、549年)であるが、職人は貨幣ではなく、共和国軍兵士のための武器を主に製造していた。

 建国50年ほどの若いバストゥークでは、武器が大量に不足していた。ガルカには、黒鉄鉱に代表される優れた冶金技術があり、優れた武器を手に出来たのだが、技術力のないヒューム鍛冶たちは、安価だが粗悪な二流品しか製造できなかった。軍団兵は自腹で武器を揃えていたため、両者間の格差に怨嗟の声をあげていた。そこで政府は、国内の鍛冶を同一組合に加入させ、技術の共有を義務づけたのである。これが鍛冶ギルドの始まりだ。

 彫金ギルドの成立はこれより少し早い。529年、金貨や輸出用の宝石に粗悪品が出回っていた。品質管理を徹底しなければ、新興国家バストゥークの信用にも関わってくる。そこで、商務省の指示でギルドを創設。優れた職人を集め、安価高品質の商品の供給を目指した。政府の狙いは当たり、彫金ギルドは粗悪な宝石、貴金属加工品を駆逐、貿易黒字に大きく貢献した。後に彫金ギルドは民間組織となり、商務省からは独立している。組織の性格と経緯ということでいえば、こちらの方がサンドリアの鍛冶ギルドに近いかもしれない。

◆第一次コンシュタット大戦

 5世紀後半から6世紀にかけてのサンドリアは、結果的にバストゥークの地盤固めを許してしまった。彼らが本格的な追討軍を派遣しなかった理由は明らかではないが、489年にはギョルルミット・フェルン男爵が、王妃と謀って国家転覆を計画している。このような政情不安が彼らに二の足を踏ませた可能性もある。

 だが558年、アシュファーグ・R・ドラギーユが即位してから、雲行きが怪しくなってきた。彼は【戦王】と呼ばれる通り、非常に好戦的な王であって、しかも軍事の天才だった。電光石火の行軍で、ソロムグにあったウィンダスの四つの砦を攻め落とし、返す刀でウルガラン山脈に攻め込み、オークの大軍を手玉に取ったのである。オーク兵を崖から次々と突き落とした事件は、オーク千人落としと呼ばれ、アシュファーグの性格の苛烈さを現すものとして有名である。その彼が、遂にバストゥークを標的に定めたのだ。

 563年、アシュファーグ率いるサンドリア騎士団が、コンシュタット高地に出現、ヒューム集落を襲った。共和国軍は同地まで行軍し、建国時以来の本格的な戦闘に入った。バストゥークは新兵器の連射式石弓を用い、軍勢を何とか食い止めたが、アシュファーグによってグスゲン鉱山を破壊されてしまい、戦果としては痛み分けに終わった。

 この事件は第一次コンシュタット大戦と呼ばれ、【戦王】が勝利しなかった数少ない戦のひとつとして有名である。サンドリアとバストゥークは、再度この地で激突し、人類間最大の戦争である第二次コンシュタット大戦を起こすのだが、それには約130年後、【戦王】の再来を自認する【狼王】ルジーグ登場まで待たなければならない。

 連射式石弓を発明したのは、共和国軍軍団長のシジュカであった。彼は戦車で敵を防御しつつ、この石弓で毒矢を放っていたという。当時無敗の戦法ではあったが、非情なやり方ゆえに後に条約で禁じられた。第一次コンシュタット大戦で使ったかどうかは明らかでないものの、その可能性は大いにあり得る。

注1
 もっとも811年の省庁統合により、内務省は工務省へ、外務省は商務省へそれぞれ吸収されることとなる。


(06.09.24)
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