バストゥーク史(3)――銃士登場

■ポイント■
・大砲および銃の発明
・鋼鉄銃士隊。黄金銃士隊隊長フリーゼ
・第二次コンシュタット大戦前夜

◆戦後

 当代きっての名将、アシュファーグを何とか撃退したバストゥークだが、更なる戦備補強のためか、565年、共和国軍を1個軍団増やし、2個軍団制とする。だが問題の【戦王】アシュファーグは、その2年後、戦場であっけなく死んでしまった。25歳であった(注1)

 595年、都市行政や新技術開発を担当する工務省が設立される。工務省は最も新しい省庁であるとともに、最も規模が大きいため、現在では権力が集中している。初代大臣はリリエンタールだった。

 7世紀初頭には、工務省の指導のもと、重大な発明がふたつ実現した。611年、錬金術師コンラートボム火薬を開発。644年には、火薬研究所が設置され、デグシャが初代所長に就任する(注2)。もう一つは、共和国の歴史を変えた発明品だ。627年、ガルカの鍛冶職人が、近東の難破船を参考に開発した。大砲である。

◆銃士の登場

 先だってのクリスタル戦争では、共和国軍の秘密兵器「銃」が、獣人相手に絶大な威力を発揮した。ただしバストゥーク人にとっては、銃は単なる強力な武器を越えたものである。共和国精神の象徴なのだ。サンドリアが騎士(Knight)の文化を持つのなら、バストゥークは銃士(Musketeer)の誇りに生きるのである。

 銃砲の開発は、大砲の方が先であった。したがって銃は、それを小型改良化するかたちで発明されたと思われる。いつごろ完成したのかは記録がないが、650年には早くも最初の銃士が登場している。工務省下に置かれた鋼鉄銃士隊がそれで、初代隊長はシュッツであった。

 681年には、黄金銃士隊が発足した。街道警備が主な仕事である鋼鉄銃士隊と違い、有望な鉱脈を発見する特殊部隊であるから、職務としての専門性はさらに高まっている。初代隊長に就任したのは、何と女性だった。フリーゼは大変に癖のある人物で、人々は彼女を「富国の梟雄(きょうゆう)」という名で記憶に刻んでいる。

◆女傑フリーゼ

 フリーゼの半生と、黄金銃士隊の結成経緯を見てみよう。

 フリーゼは657年、貧家に生まれ、幼くしてガルカ鍛冶の徒弟となった。技師としての技術はここで磨かれたらしい。才能はあったようで、19歳の時、優れた歯車を設計し、それが工務省高官の目に止まった。時あたかもコンシュタットでは、工務省管轄のもと、巨大な風車群の建設が進んでおり、彼女もこの計画に招聘された(679年)。フリーゼは新式の回転帆を実用化させて、まずは技術者として名声を博したのだった。

 建設計画に従事する傍ら、フリーゼは獣人――主にクゥダフ――に注意をはらい、見聞した情報を集め、獣人支配地域の経済、資源についての論文を執筆した。彼女はそれを持って、巧みに鉱務大臣に接近した。結果、クゥダフ族を最も知る者として高い評価を受け、当時編成中であった黄金銃士隊の隊長におさまるのである。このころフリーゼは25、6歳であった。

 684年、パルブロ山で有望なミスリル鉱脈が発見された。グスゲン鉱山のミスリルは、30年前に枯渇してしまっていた。バストゥークにとっては渡りに船である。ただしパルブロ山は、クゥダフ族の英雄が生れ落ちた場所であり、同族の聖地としてあがめられていた。バストゥークが鉱山資源をものにしようとするなら、まず獣人たちを何とかする必要があった。

 フリーゼは本格的なクゥダフの掃討作戦を立て、当時の大統領(注3)にかけあい、共和国軍千人隊を借り出した。翌年、彼女はパルブロを急襲した。彼女はヒュームの秘術「踊る火」を使い、巣穴を破壊すると、強引に鉱山に作り変えてしまった。クゥダフ族は殲滅、ほとんどが非道にも虐殺された。この事件はクゥダフ側に、赤き炎と血の日として記憶されており、彼らがバストゥークに憎悪をもやす大きなきっかけとなったのである。

 パルブロ鉱山の本格的な採掘は727年からであり、このとき新型火薬「踊る火」が使用された、と記述されている。従ってフリーゼが用いたのは、一種の試作品ではなかったか。彼女はそれを、鉱山を切り開くためではなく、獣人の殲滅のために使ったのである。

◆第二次コンシュタット大戦前夜

 ともあれ、共和国には第一次ミスリルラッシュが到来し、好景気に沸いた(注4)。バストゥークは我が世の春を謳歌していたわけだが、問題がなかったわけではない。正史年表には登場していないが、局地的な反乱や小競り合いは頻発していたようで、政治的には決して安定しているとは言えなかった。ただし、ささやかな軋轢を吹き飛ばすくらいの勢いが、当時のバストゥークには確かにあったようだ。

 682年、共和国軍がまた1個軍団を増設した。今度は海軍である。目的は海賊の掃討であった。この頃、バストゥーク史上希代の軍師のひとりであるシュルツが活動を始めた。シュルツは664年の生まれで、当初は画家を志していたが、生計が立てられないため従軍画家に転身した。従って、彼が活躍できるほどの小競り合いが頻発していたとみなさなければならない。

 シュルツは軍略の天才だった。戯れに敵の行軍予想図を描いていたのだが、それが恐ろしいほどピタリピタリと当たった。この才能が高い評価を受け、彼は参謀部にスカウトされた。以後シュルツは軍師として、転戦に次ぐ転戦を重ねるのである。しかもそのことごとくを勝利に導くという実力の持ち主であった。作戦参謀として、クゥダフ討伐、ガルカ傭兵の乱バルクルム紛争を手がけた。そして片目を負傷、療養のために首府へ戻った。

 そのころフリーゼ率いる黄金銃士隊は、ミスリルラッシュの功労者として、名声を欲しいままにしていた。だが傍若無人な専横ぶりが目立ち、市民の反感を買い始めていた。時の大統領シュライバーは、687年、直属部隊としてミスリル銃士隊(初代隊長ヴァイス)を編成していたが、彼らに黄金銃士隊を内偵させ、その罪状をことごとく暴いた。そうすることでフリーゼたちの力を削ごうと考えたのである。

 結果、数多くの黄金銃士が裁かれ、処刑の憂き目にあった。シュライバーの計画は成功したが、なぜかフリーゼだけが不起訴となった。大統領が彼女の功績を酌量したのか、まだ利用価値があると考えたのか、それとも彼女がよほど尻尾を握らせなかったのか。理由はいずれかわからないが、少なくともフリーゼは生き残っていた――名声が地に落ちた状態ではあったが。

 そして690年を迎える。【狼王】ルジーグ率いるサンドリア軍が、共和国領に本格侵入し、砦を次々と攻め落としていくのである。第二次コンシュタット大戦はこうして始まる。共和国軍の主役であり、勝利の立役者となるシュルツとフリーゼは、ともに首府バストゥークにて、サンドリア軍の動向を聞いたのであった。

注1
 死因および死亡時の状況は不明だが「貴族により毒殺された」という噂があることから、通常の戦死ではないようである。公的には病死扱いであろうか。

注2
 管轄省庁は不明。大工房内にある現在の火薬研究所は「火薬研究の大家でもあるシド工房長の肝入りで設置された」とある。この文面からは、シドが開設者のようにも解釈できるのだが、この食い違いはどこから来るのだろうか。
 シドは862年10月、火薬研究所所長に就任している。しかしその6年前には、既に大工房長となっている。彼は責任者と研究職を兼任しなければならなかった。おそらくその関係上、大工房に研究所を移転させたのだろう。彼は867年に所長を辞したが、施設は動かずに残っていると解釈すれば、資料のつじつまは合う。
 ただし、もとの研究所がどこにあったのかは不明である。爆発物をとり扱う関係上、住宅街の中にあったとは考えづらい。逆を言えば、大統領の近くに設置が許されたということは、それだけシドが信用されているということでもある。最も可能性が高そうなのは鉱山区に思えるのだが、それはいささか邪推が過ぎるだろうか。

注3
 シュライバーか、あるいはその前任者だと思われる。


注4
 とはいえ本格的な採掘は727年であり、実に40年以上も後の話である(これほど間が開いてしまったのには、第二次コンシュタット大戦、および鎖死病の影響が考えられる)。従って第一次ミスリルラッシュとは、一種の前倒しの好景気だったのではないか、と推察できる。


(06.09.24)
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