バストゥーク史(6)――エルシモ海戦

■ポイント■
・エルシモ海戦
・ヘブンズブリッジ着工

◆エルシモ海戦

 第二次コンシュタット大戦は「人類間最大の戦い」としばしば形容されるが、エルシモ海戦もまた、それに負けず現在まで語り草とされている。海軍を持つヴァナ・ディール3ヶ国(タブナジア、バストゥーク、ウィンダス)が参加し、全軍の総艦数は200隻近くを数えた。非常に大規模な戦いである。

 きっかけは、タブナジアからバストゥークに持ち込まれた。両国は貿易大国で、特にタブナジアにおいては、東エラジア社が海上交易のあらゆる権利を握っていた(注1)。彼らは南方、東方とも交易することを望んでいたが、ウィンダスが目の上のたんこぶだったのである。

 ウィンダスは599年、星の神子セポリリが南方との国交樹立。697年、現地で獣人との争いがあったときには、2個師団を貸し出している。東方の使節団とは、704年にようやく会った。ヤグードに100年以上も遅れてしまったが、積極的に交流して、独自の文物を自国文化に取り入れていった。両地域との貿易は、ほとんどウィンダスが独占していた。

 タブナジアとバストゥークが食い込めなかったのは、地理的なハンディキャップとともに、ミスラ海賊の存在が大きかった。南海には嵐が多い。それを避けるために、船は通常パムタム海峡を通るのだが、ここがミスラ海賊の出没地点だった。ウィンダスは港への緊急避難を認めていなかったため、交易船を守るものはなく、無理に船を出しても損害を大きくするだけだったのである。

 タブナジアにとっては、まず海賊を何とかする必要があった。彼らはバストゥークに働きかけ、タブナジア37隻、バストゥーク84隻の連合艦隊を結成。壮大なセレモニーののち進水し、エルシモ島に到着。海賊の拠点をひとつひとつ潰していった。だが、途中でウィンダスの魔行貨物船や魔行戦艦を見つけた場合、これを無差別に攻撃した。彼らはウィンダスが、ミスラの海賊行為を奨励し、自分たちの利益を侵害している、と考えていたのである(注2)

 762年、グィンハム・アイアンハートは、バルクルム砂丘で入り江を発見。そこで出会った少女の名をとって「セルビナ」と名づけた。769年にはここに港が作られ、町が誕生。862年8月、中立都市として独立宣言が行われたため、共和国軍が数日間町を包囲する騒ぎがあった(セルビナ騒動)。

 これにはウィンダスも黙っていなかった。自国の船舶防衛のため、急きょ62隻の艦隊を用意。タブナジア・バストゥーク連合軍とウィンダス軍とは、エルシモ島西岸沖で激突した(注3)。786年、エルシモ海戦の始まりである。

 戦いの当初は、ウィンダスが優勢だった。得意の魔法で次々と連合艦隊を火だるまにしていった。しかし、いかんせん準備不足が過ぎた。多くのミスラ海兵を戦艦に乗り込ませ、頭数を揃えることを優先したため、現場で指揮系統の混乱が起き、統制がとれなくなってしまった。潮の流れが変化すると、文字通り風向きまで変わった。連合艦隊は操船に長け、火砲を装備していた。この武器が遠距離から火を吹き、ウィンダス艦隊はどんどん沈められていった。ミスラ海兵隊が接舷戦法を用い、勇猛果敢に切り込んで来ることもあったが、局地的な敗北に留まった。ウィンダス戦艦の大半は、海の藻屑と消えてしまったのである。

 この敗北により、ウィンダスはバストア海の制海権を失った。一方タブナジアは、南方との交易を通して、ますます海洋国家として栄えていった。ウィンダス国民はこれをいまだに根に持っており、同海戦を「言いがかりによる侵略戦争」とみなしている。だがバストゥーク人は、「海賊をあやつり、非武装状態の自国船を襲わせたことへの天誅」と考えているのだ。両国民はいまだにこの件で喧嘩をすることがあるという(注4)

◆ヘヴンズブリッジ着工

 9世紀初頭の共和国では、国内で大規模工事が続いていた。最も大きなものは、815年の大工房拡張だろう。「大工房」とはもともと、間借りしていた鍛冶場に由来した通称であるが、手狭になってきたこともあり、大幅な拡大工事が計画されたのである。

 計画の中には、バストゥーク礼拝堂の解体も含まれていた。これが民衆に火をつけた。礼拝堂はアイメルト派の総本山であり、奥に安置された祭壇はアルタナ信仰のシンボルだった。さかんに抗議デモが行われたが、軍警備のもと、工事が断行されてしまうと、反対の熱も一気に冷めてしまった。現在は大工房に礼拝室を備え、祭壇だけをそこへ移している。敬虔な信者がときどき訪れるが、工事以来アイメルト派そのものが下火になり、バストゥーク人全体の不信心に繋がっている。

 828年、大統領府が屋上へ移転。現在の大工房の陣容がほぼ整った。砦であった頃の面影は少なく、北東、南東の砲室にその名残が見られるくらいである。

 砲室。砦であった時代は、渓谷内に侵入した外敵を排除する防衛兵器として機能していた。首府の拡大に伴い、大砲は用途を変化させた。現在はむしろ暴徒鎮圧のために威嚇射撃として使われる。過去3度撃たれたことがあり、意図してではないが市民に死傷者も出した。
 811年、省庁統合が行われ、内務省と外務省が、それぞれ工務省、商務省に吸収された。828年には、大統領府が屋上へ移転している。

 大規模な工事があらかた終結してしまうと、政府はガルカ石工の失業対策を考えねばならなくなった。解決策は思わぬところからやってきた。ジュノ海峡を結ぶ大橋――通称「ヘブンズブリッジ」――建設計画である。

 現地にはかつて、ミンダルシア方面に木製の橋がかけられていた。ウィンダス手の院の技術協力で作られたのだが、大風で崩落してしまい、そのままになっていた。ガルカ石工は、クラウツ橋の仕事ぶりで名を売っていた。同橋は商業区の入り口にあって、8世紀初頭に新たに建設、当時は白鳥橋という名がつけられたが、いつしか設計者の名前で呼ばれるようになった。クラウツはモルフェン灯台を設計したことでも有名である(703年)。


 835年2月、バストゥークの資本家が、大量にヘブンズブリッジに投資をした。バストゥークはこれで、失業問題を解決するとともに、ミンダルシア大陸への陸路を確保し、交易上のライバルであるタブナジア商人に対抗できる、と考えたのだ。だが、政府と企業の思惑は大きく外れることとなった。指導者カムラナートが登場し、ジュノを独立国家にしてしまったからである。

 カムラナートはクリスタル合成で巨万の富を築き、住居問題を解決するため、高層の居住塔の建設計画を練った。それはじきに、橋全体を含む大規模な都市計画へと変容していった。おそらく人口確保のためだろう、出稼ぎにいっていた労働者の大半は、豊かな生活を約束されて、そのままジュノ国民として定住してしまった。ガルカ職人の記述はないが、彼らも好待遇で引き抜かれてしまったのではないだろうか。

注1
 タブナジアはサンドリアから派生した姉妹国家だが、オークの大規模侵入により、サンドリアとの通商路がたびたび分断されると、侯爵家は徐々に逼迫。海洋貿易の比重が大きくなり、ヒュームの豪商や船主が台頭し始めた。東エラジア社は彼らが作った民間会社である。

注2
 この考えに根拠がないわけではない。769年、ウィンダス元老院は、エルシモ地方の海賊をそのまま取り込み、ミスラ海兵隊を組織している。彼ら自身海賊行為に困った上での苦肉の策だが、国際的にダーティなイメージが先行したろうことは想像にかたくない。

注3
 後に「最後の竜騎士」として知られるサンドリアの騎士、
エルパラシオン・B・シャノアが、客将として連合艦隊に乗っていた。まだ若輩だったが、目覚しい戦績を上げて国内外に名を轟かせた。ということは、当時のヴァナ・ディール4ヶ国すべてが参加していたことになる。

注4
 クエスト「暗き地の底より」にて、タルタルのラヴォララが、エルシモ海戦について語るシーンがある。「100年前というと、エルシモ海戦ですね。バストゥークとタブナジアが、我らがウィンダスにイチャモンをつけた……」(原文ママ)。キルトログ記その339も参照のこと。


(06.09.24)
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