ジュノ史(1)――ジュノ前史
 ジュノ海峡は聖人オーエンが発見したとされる。ジュノの聖堂はサンドリア国教会の流れを汲んでいるので、同国の伝説の可能性が高いが、オーエンという名前からはヒュームを連想させる。

 ジュノは戦前から急速に富を蓄え、瞬く間に三国の経済力を凌駕したが、現在のように指導者的国家となったのは、クリスタル戦争で人類軍の音頭をとり、軍事的にも無視できない功績を残したことが大きい。そこで本項では、ヴァナ・ディール最大の戦いとなったクリスタル戦争について述べ、その流れを追いながら、ジュノの成立から成長までを見ていきたい。

◆ヘブンズブリッジと三国合同調査隊

 現在、ジュノ海峡には石造の立派な橋がかけられ、クォン、ミンダルシアを自由に往来できるが、このヘブンズブリッジは、835年、バストゥーク資本家の投資で建設が始められたものである。それ以前にもウィンダスの技術協力により、木造の橋が架けられたことがあった。両大陸を繋ぐ唯一の海峡であるため、戦略的には昔から要地だったようだ。だが人の定住は少なく、小さな漁師の村があるに過ぎなかった(注1)

 853年、北の地で謎の秘石――クリスタルか?――が発見された。当時ボスディン氷河、ザルカバードの一帯は、人の手がほとんど入っておらず、未開の土地とされていた。バストゥーク共和国はそこへ調査隊を送ることを決定、ミスリル銃士隊の3名――ガルカの語り部でもある隊長ラオグリム、モンクのコーネリア、戦士のウルリッヒを選出した。後にサンドリア、ウィンダスから文句がつき、前者から王立騎士のフランマージュ、後者から推薦人として、タルタルのイル・クイル、その友人のヨー・ラブンタが参加。三ヶ国共同で調査隊を編成するのである。

 854年、調査隊が出発。だが翌年に消息をたってしまう。少なくともラオグリム、コーネリアのふたりは、現地で事故死したようである。しかし、帰国したメンバーも次々に謎の死を遂げた。フランマージュの場合は特に顕著で、ボストーニュ監獄を見回り中に死去。ひとり息子のレゼルビューも、神殿騎士エブリフォーン卿と決闘。私闘は禁じられていたため、爵位を褫奪(ちだつ)される憂き目にあっている。

 人々は、北の地の呪いだと噂しあった。もともと人外境であったため、何かよくないものが彼らに祟ったのだと。だが、たとえ呪いがあったのだとしても、彼らの死のみには終わらなかった。それは暗雲となり、ヴァナ・ディール全土を覆い尽くし始めたのだ――闇の王の影となって。

◆闇の王

 闇の王が何者なのか誰も知らない。855年ごろ、まずは王都にその噂が流れ始めた。この混沌の申し子は、地獄でデーモン族と契約をかわし、地上へ連れてきたのだと、まことしやかに語られた。ウィンダスにも同時期に伝わったが、バストゥークに伝播するのはもう少し後である。クゥダフに大きな動きがあり、新王が誕生したらしい、という噂で持ちきりだった。また、シドが大工房長に就任し、最初の機船を進水させるという節目の年でもあった。この機船は翌年実用化され、セルビナ・マウラ間の定期便を実現させることとなる。

 858年には、噂が事実らしいことが明らかになった。北の地で闇の王率いるデーモン軍と、オーク軍が激突したのである。これは百蛮戦争と呼ばれる。オーク側に資料が残っているが、それによれば、第3ノルバレン軍団斬込隊長ドッグ・ウデッグが、デーモン兵を300余りも倒すという活躍を見せたという。だが彼の奮戦むなしく、オークは敗北。バルドニア軍団、ノルバレン軍団は、そのまま闇の王軍に編入された。闇の王はこれ以降、次々に獣人勢力を屈服させていくこととなる。
 860年、巨人工兵によってズヴァール城が完成(設計はデーモンのモラクス子爵)。翌年、獣人指導者が同城に集められる。闇の王はここで、人間諸国の壊滅を宣言。翌年4月にはノルバレンに獣人混成軍を上陸させ、これをもってクリスタル戦争――ヴァナ・ディール史上最大規模の血戦――が始まるのである。


・オーク
 前述の通り、百蛮戦争で敗北、支配下へ。

・クゥダフ
 闇の王の要請に従い、ズヴァール城駐留隊を編成。だが初期において、新王誕生から間もなかったからか、軍内での統制は取れておらず、穏便派が反乱を起こす事態となる。ザ・ダは武装親衛隊を強化してこれを抑え、ズヴァールの駐留隊にも多数紛れ込ませて、直接の指揮権の喪失を防いだ。

・ヤグード
 859年3月、闇の王軍がミンダルシアに上陸。ソー・ルマから現人神の座を受け継いだヅェー・シシュは、徹底抗戦を意図するも、敵の圧倒的兵力の前に断念。屈辱をこらえ忠誠を誓う。以後は他獣人への布教を目的とし、クリスタル戦争に参戦する。

・ゴブリン
 不明。いまだズヴァール城の警護を務める者がいるので、軍団としてではなく、傭兵として雇われていたと思われる。

・サハギン
 闇の王の説得をはねつけ、不干渉を貫こうとしたが、人類が自分たちのテリトリーをおびやかすかもしれない、と考え翻意。工作隊を派遣し、バストゥーク港破壊作戦を鮮やかに成功させた。
 なおサハギンには統一された首長はおらず、各族長が複数で種族を率いる。大戦当時の族長は、鱶鰭(ふかひれ)のヴォル(ズンロ族)、真珠眼のヤァル(バンパ族)。

・アンティカ
 闇の王の要請に答え出兵。ただし海上輸送手段が足りなかったため、クォンへの本格的な軍団上陸には至らず、局地的な参戦に留まった。

・巨人
 闇の王直々の依頼に答え、大規模な傭兵団(主に工兵)が北方より出発。ズヴァール城の築城を担当(860年落成)。開戦後は突撃隊を編成し大活躍する。

・トンベリ
 ウガレピ寺院守護のため、大規模出兵の要請には応じず。精鋭の暗殺部隊を派遣し、大戦前から暗殺活動を行った。サンドリア主戦派の騎士たちが多く犠牲になっている。

注1
 ジュノ村の誕生には2つの説がある。グィンハム・アイアンハートの757年の碑文(ロランベリー耕地)には、「この果実収穫と海運で莫大な財を成したジュノ村は今、都市国家へと急速に変貌しつつあるようだ」と書かれている。一方で、村の成立は約80年前(804年頃)という証言もある。ヒュームの老人が「貧しくとも温かい人々が暮らす、のどかな漁村」だったと語っているが、これは後者の説を補強するものである。
 ジュノは大公カムラナートのクリスタル利用術で財を成したのであり、前者は現在知られている事実と矛盾する。推測だが、ジュノの母体となったコミュニティはふたつ存在したのではないか。ロランベリーと海運業で都市国家クラスに成長しつつあったジュノと、のどかな漁村に過ぎなかったジュノと。前者は育ちきらず、後者の急成長によって飲み込まれ、歴史が浅かったこともあって、存在が忘れ去られたのではないか。
 前者のジュノは、おそらくクォン大陸側にあったと考えられる。ヘブンズブリッジの着工は、こちらの町を足がかりにしたのだろう(この仮説は、ロランベリー耕地の石碑に書かれているという事実にも符合する)。一方の漁村はミンダルシア側だったはずだ。こちらの証拠は少ないが、カムラナートとエルドナーシュの兄弟は、ウィンダスへ向かう途中に船が転覆、遭難したという話が伝わっている。


(06.11.02)
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