サンドリア史(7)――龍王の王国統一

■ポイント■
・【龍王】ランペール即位
・二王会戦と王国統一
・黒龍退治

◆【龍王】ランペール

 サンドリア王国史上最も偉大な王と言われる【龍王】ランペールは、東西分裂の37年後、739年に生まれた。

 彼は西サンドリア皇太子ハシャンラージュ(後の【哲王】)の息子だった。幼少より才気煥発で、戦史を好んで読み、武芸にも秀でていたという。だが年をとると、幾多の貴婦人と浮名を流すようになり、むしろ道楽者として知られるようになった。40歳を過ぎるまで王位継承権すら危ぶまれたほどである。

 782年、父が東王派に謀殺されると、ランペールはしぶしぶ王位についた。彼は翌年、北方の視察旅行に出発した。この旅で彼は聖剣を授かったとされるが、同時に【旅王】マレリーヌの国防策を知り、感服した。この旅は彼に大きな影響を与えたようだ。彼は帰国後、まるで生まれ変わったかのように、王として優れた資質を発揮し始めたのである。

 ランペールは減税を実行し、商人層の強い支持を取り付けた。優れた人材の発掘につとめ、相手が異民族であっても区別はしなかった。また、軍制改革にも着手した。装甲歩兵を中心とした新隊列を編み出し、王立騎士団に浸透させた。彼は優れた政治家であり、軍略家だった。王自ら主導した西サンドリアは、東に比べて寡兵ながら、着実に力をつけていったのである。

 804年、ランペールは東サンドリアに侵攻した。圧倒的に彼に不利、というのが世間の見方だったが、彼は鮮やかな勝利をおさめ、領地を拡大した。東西の直接対決は、10年間断続的に続いた。そして815年、ランペールは遂に東サンドリア王ギョホンベールと対決、この二王会戦を征して、王国再統一を成し遂げたのである。

 戦後ランペールは、東サンドリア出身の者も積極的に登用し、所領の多くも安堵した。だが、100年以上に及んだ内戦の軋轢は大きかった。再統一を果たしたその年、東王派の残党が遺子ナフィベールをかつぎ出し、ノルバレンに独立国家樹立を宣言したのである(三月王国事件)。彼らはバストゥークの支援を受けていたといわれる。

 ランペールは王都の治安が安定しないため、ロンフォールを離れることが出来ず、事態の収拾が危ぶまれた。だが忠臣エルパラシオン・B・シャイアと、神殿騎士団の白魔道士ヴォルダインに、3,000の手勢をつけて鎮圧を命じた。結果、彼ら両人の活躍で、反乱はわずか3ヶ月で抑えられたのである。

◆最後の竜騎士

 ランペールのみならず、エルパラシオンもまた王国史に名高い。彼は本名とともに、“最後の竜騎士(ラスト・ドラグーン)”の呼び名でも広く知られている。

 エルパラシオンは768年の生まれで、少年のころランペールに見出され、小姓として王に仕えた。彼は業務の傍ら、竜騎士の老将――当時ですら廃れつつあった――に師事、技術を学んだ。彼は筋の良さを見せ、わずか16歳で免許皆伝を受けた。初陣は786年のエルシモ海戦である。タブナジア・バストゥーク連合軍の客将として戦いに参加、目覚しい功績をあげて内外にその名を轟かせた。エルパラシオン18歳の時である。

 のち、史上最年少で王立騎士団長に抜擢され、東サンドリアとの数々の戦いで活躍した。ヴォルダインとは不仲で知られていたが、反乱の鎮圧には見事な連携を見せ、敵郎党をことごとく捕えるという戦果をあげた。ランペールの偉業達成になくてはならない部将だったが、この事件が彼の最後の仕事となった。王国への帰路中、突然陣屋から姿を消し、それきり行方をくらましてしまったのである。

 ヴォルダインは全神殿騎士団を動員し、エルパラシオンの消息を探ったが、何の痕跡も見出せなかった。その日の夕方、ランペールは捜索の中止を命じた。エルパラシオンが逐電するべき特別な理由は何もなかったため、「敵の残党に暗殺された」という結論に落ち着いた。彼は死体のないまま国葬に付された。「最後の竜騎士」と呼ばれるのは、竜騎士の系譜が、彼の唐突な死をもって途絶えたからである(注1)

 エルパラシオンの死には謎が多いため、さまざまな噂、憶測が語られている。その中には、影響力をつけすぎたエルパラシオンを恐れ、【龍王】ランペールが暗殺した、という説がある。捜索の打ち切りがあまりに早いことがその論拠というが、歴史事件がしばしばそうであるように、無論のこと真相は闇の中だ。

◆黒龍退治

 王国再統一を果たし、東王派の残党も制圧したランペールだが、彼に休息はなかった。混乱につけ入ろうとする外国から王都を守りつつ、秩序を回復し、国力をつけるのは容易なことではない。だが彼はこれを成し遂げた。ランペールはオーク対策にも力を注ぎ、ロンフォールからオークを駆逐することに成功した。そんな彼の最後の偉業とされるのが、黒龍退治である。

 829年、満月の王都に、突然黒龍ヴリトラが飛来した。龍はサンドリア上空を旋回、凱旋門広場に降り立ち、しばらく眠ったあと、口から火を吹いて暴れまわった。このとき民家や屋敷、修道院、塔の数々が焼け落ち、王都は大きな被害を受けたという。

 830年、ランペールは龍のねぐらを突きとめ、自ら乗り込んでいってヴリトラを倒した。【龍王】の二つ名はこの事件に由来する。最晩年(91歳!)にあったランペールは、当時墳墓の建設を秘密裏に施工させていた。彼は黒龍をそこに封じた。一説によれば、竜と盟約をかわし、自分の死後も墳墓を警護するように命令したという。

 ランペールが死去するのは、そのわずか2年後である。832年、【刑王】グランテュール即位。ランペールの腹心ペリデュークが宰相となり、王室財政の建て直しや、刑法の制定を実現した。

龍王ランペールの墓。

注1
 近年、シラヌスという名の竜騎士が、ボストーニュ監獄に投獄されている。従って、竜騎士がエルパラシオンをもって滅んでしまったわけではない。それでも「最後の竜騎士」という名で呼ばれるのには、
1)彼ほど偉大な戦績を残した竜騎士が以後出ていない
2)彼の死後、竜騎士の系譜がしばらく途絶えている間に、この呼び名が定着した
いずれか(あるいは両方)の理由によるものと思われる。

(06.09.02)
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