サンドリア史(8)――【暫定王】デスティンの即位
■ポイント■
・【暫定王】デスティンの2度の即位
・秘石調査隊、フランマージュ家の悲劇
・ジュノ大公国の承認

◆【暫定王】デスティン

 コンクエスト政策が始まった884年、サンドリア王デスティンは60歳を迎えた。彼は2度即位している。このような経歴を持つ王は、サンドリア史上他に例を見ない。

 851年、デスティンが27歳のとき、父である【刑王】グランテュールが、王室禁猟区で狩りを行っていた。当時皇太子だったデスティンも同行しており、供の者は十数名を数えた。警備は万全で、何か狼藉をたくらむ者がいたとしても、本来なら容易に防げるはずだった。

 だが【刑王】は、オークの襲撃を受けて死んだ。兵士たちもほとんどが殺されたが、デスティンだけは負傷するも、かろうじて命を拾った。こうしてデスティンは王座についた。最初の即位であるが、とりあえず【暫定王】と称し、自身が仮の王であることを公言した。先王の不自然な死をおもんばかった結果だった。

 彼は853年、タブナジアの侯女ローテを妻に娶った。ローテは当時16歳で、絶世の美女と謳われる存在だった。二人の馴れ初めは、狩りのときに負ったデスティンの傷を彼女が治療したときだという。だがこの結婚は、デスティンが侯爵家の後ろ盾を得て、王座を安定させるために行われたものだ、と心ない噂が流れた。

 このような流言が流布したこと自体、デスティンの基盤の弱さを物語っている。どうも彼は、父を殺して王になったと疑われたふしがある。【暫定王】のふたつ名は、彼なりの潔白表明だったのだろう。幸いなことに、それは858年に報いられた。9月、宰相ペリデューク下の特務神殿騎士により、デスティン暗殺計画が露呈したのである。犯人は捕えられ、先王の死の謎も明らかになった。旧東王派の貴族たちによるもので、実行犯はオークのドッグウデッグ。人並みはずれた怪力を持ち、ひとりで警備兵らを皆殺しにしたのだ(!)。ドッグウデッグは捕まることがなかったが、後に闇の王に帰属し、クリスタル戦争に出撃。ザルカバード会戦でサンドリアのフィリユーレを討ち取ったのち、どこへともなく姿を消したという(詳細はサンドリア史(10)ザルカバード会戦を参照)のこと。

 同年11月、デスティンは盛大な戴冠式をとりおこない、今度こそ正式な王として、教皇より鷲獅子(グリフィン)冠を授かった。公式にはこちらが即位年とみなされるので、現在は在位26年目となる。

◆秘石調査隊

 デスティンが妻ローテを娶った翌年、北方のバルドニアの地で、古代ジラート人のものと思しき遺跡が発見された。

 バルドニアは古くから呪われた場所と認識されていた。そもそも土地の名称そのものが、古エルヴァーン語で「人外の地」を意味する。だがバストゥークは、地下に巨大なエネルギーが眠っていると見込み、本格的な調査に乗り出した。結果、ガルカの戦士ラオグリム、ヒュームの格闘家コーネリア、ヒュームの戦士ウルリッヒの派遣が決定された。いずれも精鋭のミスリル銃士であることから、共和国がいかに期待をかけていたかがわかる。

 サンドリアはこれに横槍を入れた。主に共和国を牽制する意味で、王立騎士フランマージュ・M・ミスタルを同行させることを承認させた。なお秘石調査隊は、さらにウィンダスの推薦人、タルタルのイル・クイルと、ミスラのヨー・ラブンタを加え、三国合同で行われることになる。従ってこのメンバーは、三国合同調査隊(あるいは単に北方調査隊)とも呼ぶことがある。

 結論から言えば、調査隊は何も成果をもたらさなかった。ばかりか、参加メンバーに次々不幸が訪れたので、呪われた土地の噂を婉曲的に証明することとなってしまった。

 ラオグリム、コーネリアらは現地で事故死、帰国した者もまた、次々怪死を遂げていった。フランマージュも例外ではなかった。ある夜、ボストーニュ監獄を巡回中――よりにもよって、なぜそんな場所をうろついていたのか――死亡した。原因は不明だが、何者かと話していたらしい様子が衛兵に目撃されている。

 ギルド桟橋は本来ミスタル家の領土である。伯爵位は取り上げられたが、屋敷は存続しているようだ。カッファル伯爵夫人は、「遺児に何かあればミスタル伯爵夫人に申しわけがたたない」と述べているので、夫人は存命である可能性もある。

 フランマージュの子孫も不幸な道を辿った。一人息子のレゼルビュー・M・ミスタルは、神殿騎士エブリフォーン卿と決闘。当時私闘は禁じられていたため、伯爵位を剥奪されるという憂き目にあった。これは「フランマージュの呪われた話」として人口に膾炙しているが、冷静に考えれば、思慮を欠いたレゼルビューの自業自得と言えなくもない。

◆ジュノの誕生

 現王デスティンが正式に即位したのと、カムラナートが大公の位を贈られたのは、わずか半年と違わない。9世紀半ばは、ヴァナ・ディールによって重要な時期といえる。後述するが、雪に埋もれたバルドニアでも、地の底から這い上がってきたもうひとりの王が、人類社会を虎視眈々と狙い始めていたのだ。

 ジュノ大公国は、クォン大陸とミンダルシア大陸を繋ぐ石橋、通称ヘブンズブリッジの上に成立した。ジュノはもともと小さな漁村だったのだが、855年、カムラナートとエルドナーシュ兄弟が登場し、一大都市国家へと急速に発展を始めた。ふたりは古代の技術、クリスタルパワーを使った製造術を心得ており、これがエネルギー革命を引き起こして、大量の貨幣流入を招いたのだった。橋自体はバストゥーク資本によって作られたが、基盤上の施設、住居問題を一気に解決する「居住塔」と、4階層となる各大通りは、すべて兄弟が設計。自身の私財を投入して完成させた。

 856年、カムラナートはジュノ代表となったが、その3年後には、ジュノは漁村ではなくなっていた。彼らの大規模な経済力に太刀打ちできる国家は、三国の中にすら見当たらなかった。そこで、サンドリア、バストゥーク、ウィンダスの指導者たちは、連名でカムラナートに「大公」の位を授与。協力体制で牽制する姿勢を示した。かくしてここにジュノ大公国が発足する。それは新時代の到来を意味したが、同時にかつてない規模の戦火の足音が、ヴァナ・ディールに押し寄せつつあったのだった。

(07.10.18)
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