サンドリア史(9)――アルタナの旗の下に

■ポイント■
・闇の王の宣戦布告
・歴史的なル・ルデ会談――アルタナ連合軍成立
・サンドリアの獅子奮迅の働き

◆闇の王

 闇の王の噂が王都に流れ出したのは、855年ごろと言われている。北方調査隊が消息を絶った年である。彼らは呪われた地で、禁じられた古代の封印を解いてしまったのだろうか? 

 闇の王の正体は誰も知らないが、当初から多くのデーモンを付き従えていたようである。貴族に相当する者も大勢おり、鉄のような主従関係で結ばれていた。彼らと最初に対決したのはサンドリアではない。ノルバレンを攻略中のオーク帝国軍であり、858年8月には、オークとデーモンの大規模な戦いが繰り広げられた(百蛮戦争)。この戦いには件のドッグウデッグも参加、デーモンを三百余も倒すという活躍を見せたが、闇の王の勝利に終わったため、ズヴァール城に捕えられてしまう。同城はバルドニアにある闇の王の居城である。巨人工兵たちに作らせたもので、860年、バストゥークのミスリル銃士が存在を確認した。この頃には闇の王はミンダルシアにも上陸、狡猾なヤグードを力によりねじ伏せ、本格的に獣人軍の統制に入った。デーモンを支配層とし、恐怖の鎖で縛りつけ、人類に一丸として当たらせようという魂胆であった。

 闇の王。クリスタル戦争時に倒されたはずだが、近年復活の噂が……。

 862年4月、ノルバレンに獣人混成軍が上陸した。一般にはこの時をもってクリスタル戦争の始まりとする。王立騎士団の一隊がジャグナーへ出撃したが、ドッグウデッグの巧みな伏兵策の前に破れた(ジャグナーの戦)。5月、オークが大挙して王都に押し寄せ、本格的な攻略を始めた。ドッグウデッグは稀にみる大男で、巨大なプガードにまたがっていたため、姿を現すと必ず地響きが巻き起こった。その音はドラギーユ城内までも聞こえ、王都の民を日夜身震いさせたという。

 獣人軍は3週間にわたって王都を包囲したが、王立騎士団は激戦の末これを撃退した。そのわずか2ヶ月後には、ヤグードを主とする軍勢がウィンダスを襲った。これらの戦いは、今までの紛争とは根本的に異なっていた。獣人の共闘による世界的蜂起! 彼らは信じられないほど強力で、サンドリアとウィンダスを、あわや陥落寸前まで追い詰めたのである。

◆ル・ルデ会談

 そのころバストゥークには、サハギンの一軍が襲来していた。

 このエルシモ島に住む、半魚半人の獣人は、港の中を縦横無尽に泳ぎ回り、大胆な破壊工作を行った。これによって、バストゥーク自慢の海軍の出足が封じられてしまう。明らかに獣人軍は、統制された計画のもと、戦の方向性をコントロールしていた。三国は後手後手に回り、散発的な抵抗をくり返すことしか出来なかった。

 事態を重く見た大公カムラナートは、大胆な策に出た。弟のエルドナーシュとともに、各国の為政者をジュノへ呼びよせたのだ。862年8月、デスティン王、プリーン大統領、星の神子が、大公邸に集まった。これをル・ルデ会談という。ル・ルデというのは、当時大公邸があった庭の名称である(注1)

 この歴史的な会合で決まったのは、人類が過去のしがらみを捨て、連合軍を作り、獣人軍に対抗する、ということだった。かくして9月、史上例を見ない、四ヶ国共同のアルタナ連合軍が発足した(注2)。人類軍の事実上のリーダーはカムラナートだったが、彼は万国共通の母である暁の女神を引き合いに出し、軍のシンボルとしたのだった。

◆サンドリアの動き

 860年9月、国王デスティンに待望の第一子、しかも男子が生まれた。第一王子トリオンである。ついで862年2月、第二王子ピエージェが誕生。常時なら王都は喜びに沸き立つところであるが、戦争の暗い影が押し寄せてきていた。クリスタル戦争の勃発は、ピエージェ誕生のわずか2ヶ月後である。

 アルタナ連合軍結成からわずか1ヶ月、神殿騎士団長ムシャンが、何者かに暗殺されるという事件が起こった(注3)。サンドリアでは開戦前から、主戦派の騎士が次々と殺害されており、ムシャンも同じ刺客――闇の王の放ったトンベリの犠牲になったのではないか、と噂されている。

 11月、ウィンダス連邦のカルゴナルゴ砦が、陥落間近にあるという情報が入った。サンドリアは援軍の派遣を決定。王立騎士団の一隊が、はるばる海を越え、ミンダルシア大陸まで出撃した。このような共闘体制は、ル・ルデ会談がなければ起こらなかったことだ。ウィンダスはヤグード神ヅェー・シシュの奸計にはまり、あわや聖都陥落の危機に陥っていたが、当時目の院院長であったカラハ・バルハが、禁断の召喚魔法を用いて、ヤグード軍を撃退した。王立騎士団も獅子奮迅の活躍を見せたため、長い対立からエルヴァーンを快く思っていなかったタルタルの古老たちも、彼らのことを見直したという。当時のサンドリア兵の勇猛ぶりは、カラハ・バルハの壮絶な死に様とともに、今でもウィンダスの語り草となっている。

 アルタナ連合軍の中でも、サンドリアは武の中軸として奮起している。同月、多国籍教導部隊の結成案が採決され、ハイドラ戦隊が発足したが、ほとんどはサンドリア騎士団あがりのメンバーだったという。この部隊は、現在ジョブと呼ばれている各方面のスペシャリストたちを集め、互いの短所を補い、長所を引き出しながら、任務成功率と効果を高めるように試験的に始められたものである(注4)。サンドリア人が多かったのは、命令伝達の効率や配給品のサイズなど、様々な条件が考慮されてのことだったようだが、政治的なにおいを感じて鼻白んだ他国のメンバーもいたようだ。ちなみにハイドラとは、近東に住むという不死身の多頭竜の呼び名である。その由来にも関わらず、翌年8月、ズヴァール城突撃前夜に忽然と姿を消し、部隊は短命に終わった(注5)。彼らは戦争の主役になることはなかったが、専門職志向、6人を一単位として戦うことなど、後の冒険者のパーティシステムに多大な影響を与えた。

 サンドリア軍の功績と言えば、ガルレージュ要塞の戦いも忘れてはならない。ソロムグ原野に陣取った獣人軍の背後を突くために、王立騎士団第一連隊が掘り抜いた地下要塞である。ここは862年12月に完成した。同月、クリスタル戦争前半の山場であるジュノ攻防戦が始まっている。ソロムグの獣人基地を何とか叩きたいという、王立騎士たちの苦悩が伝わってくるようだ。

 獣人野営地の場所は不明であるが、要塞の立地からして、ソロムグ原野南西部であった可能性が高そうだ。現在エニッド・アイアンハートの石碑がある丘で、最も高い位置にあるため、要塞を経由しないと上ることが難しいからである。

 要塞は多数の連合軍兵士が収容できるほどの規模を誇った。見事奇襲を成功させたが、秘密の入り口を発見されたため逆襲にあい、全員派手な討死をした。しかし、彼らの死は無駄ではなかった。ジュノ攻防戦は連合軍の辛勝に終わり、863年1月、獣人軍が西へ撤退を始めたからである。

注1
 当時のル・ルデの庭は現在のものとは異なる。ジュノ攻防戦の最中、巨人勢の投石によって、邸宅ごと破壊されてしまい、戦後に新たに作り直したという。

注2
 タブナジア侯国のアルテドール侯は、会合には参加しなかった。理由は不明。

注3
 獣人にアルタナの教えを説いてまわった修道士ジョゼアーノの日記(ヴァナ・ディール・トリビューン連載)には、神殿騎士団団長ムシャンに謁見した様子が書かれている。
 ジョゼアーノの日記は日付だけで、年度の記入がない。彼がムシャンと会ったのは12月22日で、このとき神殿騎士団に迎え入れられている。次の記録となる3月29日では、獣人との戦いが始まっており、ミュルゼワール卿に「にわか神殿騎士」と罵倒を受けている。このとき「アルタナ連合軍」の名前が出ているが、同軍の結成は862年9月である。したがって、これは863年以降の出来事でしかあり得ない。
 だが、だとすると矛盾が生じる。ムシャンは862年の10月、トンベリに暗殺されているから、前年の12月にジョゼアーノに会うことは不可能なのだ。
 この矛盾を解決する説はふたつ考えられる。ひとつ。ジョゼアーノと会ったムシャンは、暗殺された人物とは別人である。ジョゼアーノはハッキリと「神殿騎士団長」と書いてあるが、彼の息子や甥が同じ名前で、遺志を継ぐかたちで役職についた可能性がある。ただし、父ないし伯父(叔父)をトンベリに殺されているにもかかわらず、獣人との共存社会の理想を語るのは――ジョゼアーノが故意に美化して書いているのでなければ――可能性としては低いように思える。
 その意味では、もうひとつの説のほうが現実的だ。ジョゼアーノとムシャンは、861年に会ったと考えるのだ。862年説を裏づけるのは「にわか神殿騎士」という罵倒の言葉だけである。“にわか”という表現をやや拡大し、1年程度の経歴を揶揄したものとすれば、つじつまは合う。2〜3年でも一応の条件を満たすが、やはり1年程度と考えるのが自然だろう。

注4
 メンバーの熟練度と革新的なシステムにより、ハイドラ戦隊は当時から「連合軍最強」という評価を得ていた。

注5
 ハイドラ戦隊の行方は誰も知らず、長らく壊滅したと信じられていた。しかし、冒険者がデュナミスという亜空間から、当時のメンバーの手紙を持ち帰り、どうやら異次元に迷い込んでいたらしいということが明らかになった。


(07.10.18)
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