ウィンダス史(5)――エルシモ沖の敗北
■ポイント■
・ミスラ海兵隊の創設
・大魔法祭と特需
・エルシモ海戦

◆戦力の増強

 意外なことに、ウィンダスの軍事力が拡大の方向へ向かったのは、魔法の時代よりむしろ、力の時代から技の時代にかけてのことである。
 599年、星の神子セポリリは、南の国に使節を派遣したが、これはヤグード教団の東方交易に対抗してだと思われる。606年には技術提携により骨工ギルドが作られる。周辺諸国とは、文化交流だけにとどまらず、軍事協力もあった。697年、ウィンダスは戦闘魔導団2個師団を南の国に派遣した。大規模な獣人との戦争があったといわれるが、詳細はわかっていない。彼らは4年後の701年に帰国している。

 704年には、星の神子ラカポポにより、東の国との国交も樹立した。ヤグードに15年も遅れていたわけだが、確かに効果はあった。この時期のウィンダスは、ヴァナ・ディールの周辺領域との関係を意識的に強めていた。交易もスムーズに行くようになり、ウィンダスは海洋貿易国としていっそう力を蓄えていった。そのころサンドリアとバストゥーク、およびタブナジアは、第二次コンシュタット大戦で火花を散らし、互いに甚大な被害を出していた。ひとりウィンダスだけが、南東の海を制圧し、わが世の春を謳歌していたのである。

 719年の大魔法祭は、そうした世相が反映されたものだろう。これは、魔法の発見から500年を記念して行われたものだが、名だたる魔道士が集まり、派手に魔法を競い合って、大成功を収めた。椅子をチョコボに変えた黒魔道士や、夜に太陽を作り出した白魔道士の記録が残っており、にわかには信じがたい話なのだが、享楽的な祭りの様子はよく伝わってくるといえよう(注1)

◆ミスラ海兵隊

 とはいえ、問題がないわけではない。海洋貿易が莫大な富を産み続けるにつれ、商船を襲う海賊どもが、やにわに増え始めたのである。

 こうした海賊の主戦力は、南の国のミスラだった。戦闘魔導団は基本的に陸軍だったので、勇敢でゲリラ的な戦術に富んだミスラたちには、大いに悩まされた。困った連邦議会は、さんざん頭をひねったあげく、実に大胆な法案を可決させた。すなわち、ミスラ海賊を駆逐せず、そのまま連邦内に取り込み、海軍として召抱えようというのである。

 連邦は多額の報酬を用意し、ミスラ海兵隊の募集を始めた。連邦側の用意した条件は、軍規としては相当あまいものだった。連邦の船さえ襲わなければ、私掠船としての許可を与えるというのだ。海賊行為そのものは咎めないばかりが、言外に他国の船を襲うことを奨励したのである。この噂はたちまち広まり、柄の悪いミスラが大勢集まった。

 ミスラ海賊にしてみれば、うまい話だった。海賊行為は継続できるうえに、ウィンダス連邦という屋台骨を得られ、俸給も保証されるのである。たちまち海賊船がウィンダス港に押し寄せ、港は大混乱に陥った。そのとき海賊たちは、口の院前の広場で、堂々と盗品を売りさばいていたという。
 現在ここはお魚広場と呼ばれ、漁師ギルドの漁獲物の陸揚げに使用されている。漁師ギルドが結成されたのも(755年)、海賊が流した噂でミスラ漁師が流入し、漁場の奪い合いを協議で決める必要が出来たからであった。

 824年、南のミスラたちから獣使いの技が伝授された。ダルメルの家畜化は、獣使いのタァ・パランチャが成功させたものであるが、森の区に勝手に牧場を作ったため、タルタル側とひと悶着あった。だが莫大なエサ代と人件費が必要なため、現在はイル・ボージアがひとりで運営している。過去には悪戯で花火が投げ込まれ、ダルメルが暴走。森の区の家屋を多数踏み潰すという事件も起こった。

◆エルシモ海戦

 導入時の混乱は大きかったものの、ミスラ海賊は事実上の連邦軍として取り込まれていった。事実上の、というのは、ミスラ自身が正規兵として縛られることを嫌ったためである。時代は下り862年、ミスラ海兵隊はミスラ傭兵団として再結成されるが、たとえ表面上だけでも自由であることを渇望したので、“傭兵”という契約が取られることになったのだ。この慣習は今でも継続している。

 ミスラ“海兵隊”の本拠地は、パムタム海峡であった。南の海は嵐が多く、危険を避けたい商船は、どうしてもここを通ざるを得なかった。連邦が港への緊急避難を許可してなかったので、船はウィンダスへ逃げるのも難しいのである。幾多の非武装船が襲われ、掠奪され、海のもくずと消えた。そのうちの大半は、タブナジアやバストゥークの商船だった。彼らは東方、南方との交易を狙い、命がけで船を出すのだが、必ず海峡を通るため、海賊たちのよい的になっていたのである。

 786年、タブナジア商人の発案により、バストゥークとの大規模な連合艦隊が、エルシモ島を訪れた。彼らの目的は海賊討伐であり、実際エルシモ島の各地を回って、ミスラの本拠地を潰して回った。だが、ウィンダスの魔行船や魔戦艦を見かけると、こちらにも容赦なく砲撃を加えた。彼らは、自分たちの船が標的となるのは、ウィンダスが裏で糸を引いているからに違いないと思ったのだ。この意見を強く主張したのは、タブナジアの提督だった。

 元老院は怒った。自国の船が攻撃される事態を看破出来ず、急きょ艦隊を編成。パムタム海へ向かわせた。62隻と連合艦隊(タブナジア37隻、バストゥーク84隻)には遠く及ばないが、魔行船の航行はスムーズであったし、遠隔から魔法を使って攻撃することも出来た。彼らはエルシモ島沖で対峙、やがて激突した。これが世に名高いエルシモ海戦である。

 当初はウィンダスが優勢だった。得意の魔法が炸裂し、次々と敵の船を沈めていった。だが時間が経つにつれ、指揮系統の混乱に悩まされるようになった。多数の海兵を艦隊に乗り込ませたため、統制が取りにくかったのである。これに乗じて、連合艦隊は一気に盛り返しを始め、潮の流れの変化とともに主導権を握った。バストゥークの破壊兵器・大砲によって、ウィンダス艦隊は各個撃破されていった。彼らは海のベテランであり、操船に長け、潮の変化に対応する術も身につけていた。その差が顕著に出た。

 時おり、勇敢な船が接舷作戦を敢行し、突撃とともに敵戦艦を切り伏せたりもしたが、局地的な勝利に留まった。ウィンダスはこの戦いに敗北。多くの戦艦と人員を失うとともに、専売特許だった南方、東方との交易にも、ライバルの参入を許すこととなった。とはいえ繋がりはまだまだ深く、同地域との蜜月は続き、現在でも最も友好的な関係にあるのは、間違いなくウィンダス連邦であると思われる。

注1
 もともとタルタル族は、帽子の愛用など、ファッションに関する関心が強く、伝統的な裁縫技術も高かった。8世紀、東方からの絹布流入を受け、仕立て屋の数はさらに増大。大魔法祭の開催が発表されると、魔法装束の注文が殺到することを見越した職人たちは、同業者間で提携し、価格や受注を談合しようとした。これが現在の裁縫ギルド(717年)に繋がっている。
(06.12.27)
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