その183

キルトログ、サーメットの城内を駆ける
ロ・メーヴ(Ro'Maeve)

 今回の旅におけるLibrossの功績は計り知れない。他の誰でもなく、彼だからこそ出来たことがひとつある。錬金術の腕前を生かしたサイレントオイルの精製である。我々の実力でロ・メーヴを突破するのは不可能で、通り抜けるにはこの魔法の薬が絶対に――しかも、大量に――必要であった。

 ロ・メーヴについてはモグハウスに戻ってから調べた。聖地ジ・タの紹介文などに名前のみ散見される。前後の文脈からして、聖地か神殿の名称なのは明白だが、詳しい文献を見つけることは出来なかった。同地を訪ねて来た今でもよくわからないが、どうやら建築物の呼び名であることだけは確からしい。

 我々が森を抜けて踏み込んだ先が、件のロ・メーヴだった。その頃には夜を抜けて世界が明るさを取り戻しつつあったが、さながら雲の中に出たかのように、ミルク色の霧が視界を遮っていた。遠雷が轟き、霧雨が我々を濡らした。辺りは屋根のない廃城の広間を思わせた。左にゆるやかな下り階段が続いていて、あの剣を頭上に浮かべた、ダンシング・ウェポンの眷属が、廊下をうろついているのが見えた。

 私は床の材質に目をやった。ほんのりクリーム色をした岩。両大陸に散らばる三奇岩、メリファト山地を横たわるドロガロガの背骨、クフィム島に建っているデルクフの塔などと、まったく同じだった。材質の正式な名称はサーメットといって、古代人の残した遺跡に多く見られる。だとしたらこの城のごとき建物も、有史以前から存在するのだろうか。私が広間から眺めた限りでは、ロ・メーヴも、世界各地の遺跡で見られる建築様式に準じている。すなわち、継ぎ合わせの見えない完璧な接合、ゆるやかな曲線を多用し、あたたかみを感じさせるが、色彩の変化には乏しく、殺風景なほど必要以上に装飾を省いている点。等々。

 冗談ぬきでここから先は命がけです、とRagnarokが言った。我に返った私は彼らに注意を戻した。RagnarokとLibrossは、真の目的地へ到達するための注意事項を話し始めた。


 ロ・メーヴにいる敵は、すべからく聴覚を頼りに敵を探知する。従って生きてここを抜けるには、足音を消して走るのがよい。というより、それこそがロ・メーヴを突破するただ一つの方法である。敵をなぎ倒していけるのは、まず神の如き力を備えた冒険者たちのみだ。しかも彼らですら束になってやっと相手になるかどうか、という話である。我々に選択の余地はない。

 もしそれだけなら特に恐ろしいというほどのことでもない。先刻までだって私とSenkuは、魔法に守られて森を抜けてきたのだから。厄介なのは城内で魔法を使うわけにはいかないことだ。というのは、城内に機械製の自動人形がおり、魔力を感知するなりただちに襲い掛かってくるからだ。奴らの感知能力は極めて高く、現在の広間――敵とそうとう離れている――で呪文を唱えても、気取られる可能性があるほどだ、という。

 そういうわけで、サイレントオイルが必要なのである。この油を足に塗りこむと摩擦力が極端に下がり、足音が消える。すなわちスニークと同じ効果が得られる。短い時間しか効力が持たないというのも同じだ。唯一の、そして決定的な違いは、この道具を使っても敵に察知されないことだ。我々は各自で複数のサイレントオイルを所持し、効果を切らさないように注意しながら走らなければならない。そしてオイルの塗り替えは、他の誰でもない、自分自身の状況判断で行わなければならない。

 Librossがぞっとすることを言う。もし敵に襲われても、絶対に助けを求めてはならない。見つかった場合はその場所で黙って死んでいただく。何となれば、ありとあらゆる魔法が命取りになるからだ。体力を回復するケアルも、戦闘不能を癒すレイズも、機械人形を呼び寄せてしまう。敵に捕まった者に対して、仲間が出来ることは何もないのである。

 もし敵に襲われて、悲鳴を上げている者がいれば、助けたくなるのが人情だ。自分の死が避けられなくても、味方を救おうとする者は必ずいるだろう。しかし今回に限っては、情に流された行為は全滅に直結する。サイレントオイルの切り替えに失敗して、敵に襲われた者は、黙って死んで捨石となるべし。私はこの非情な掟を復唱し、改めて気持ちを引き締めるのであった。

 Librossがサイレントオイルを配り始めた。そうしながら話す。城内にはもう一種、厄介なボム系のモンスターが出没することがあるが、おそらくこの天気では(と掌を上に向けて)出てきたくても出てこれないだろう。ボムは炎の化け物だから。私はオイルを7瓶貰った。配ったぶんが多すぎたのか、全員に満遍なく行き渡っていないようだった。まだオイルを持っていないシーフのLeeshaが、私はいざという時には、とんずらで早足になり、敵から逃亡するから、というと、Librossは本気で彼女を叱った。ロ・メーヴを甘く見てはならないというのだ。たとえ靴に翼が生えていても、城内のモンスターどもから逃れる術は無いだろう。Ragnarokらは既に実践済みであった。結論は憶測ではなく、事実だった。このさらさらしたオイルに頼ることだけが、我々に残されたただ一つの希望なのだ。


 だが果たして、目的地に到達するまで、一体いくつのサイレントオイルが必要なのだろうか。既にこの場所へ来たことがあるUrizaneは、二つ三つあれば十分だろうと言う。ただし誰か詳しい者が道案内をするのが前提となるが。残念ながら迷わずに行けるほど自分は詳しくないとUrizaneは言った。Librossもさほど自信がないらしい。それでも我々は彼らの経験にすがるしかないのだ。嵐が止んだ。我々は一斉に足にオイルを塗り込み、長靴(ちょうか)の音が消えたのを確かめてから、競争馬のように走り出した。今度ばかりは決して群れからはぐれるわけにはいかないのだ。



 私は何も考えず、息を止めて、RagnarokとLibrossの後についてひたすら走った。出来ればオイルの切り替えなどない方がいい。モンスターが近くにいることより、仲間からはぐれることの方が恐怖だった。私自身はガルカで、体力には少々自信がある。身体を包むのはバストゥーク製の良質な鎧一式だ。にもかかわらずLibrossはこう請け負った。ロ・メーヴの敵は誰であれ、紙を破るかの如く、一撃で私を葬り去ってしまうだろう。

 そういう環境で一人取り残された場合、果たして精神を冷静に保てるかどうか。私には自信がなかった。だから通路の角を曲がり、いかり肩の、独特な形状をしている機械人形が見えてきたときも、私は立ち止まらなかった。それは観察に値する珍しい構造を持っていたのだが。もし私が古代人の文化を観察するため、ロ・メーヴを訪れたのであったら、立ち止まって写真を一枚撮ろうとしただろう。しかし我々の第一の、そして唯一の目的は、ロ・メーヴを突破し、安息の場所へ辿り着くことだ。Ragnarokはそこで眠りに就かなければならぬ。我々は彼を送り出さねばならぬ。だから私は、道々の様子を記録に収める程度にとどめて、自分の命よりむしろ友人の儀式のために、ただただ両足を動かしていた。


 努力は報いられた。見事なもので、Librossは道を正確に記憶していた。階段を駆け上がると彼は顎を出した。「ついた!」全員が肩で息をしている。私は人数を数えた。はぐれた者はただの一人もいない。立ち止まることなく走り抜けたせいだろうか、サイレントオイルを塗り直す機会は一度も訪れなかった。

Librossが広場を見下ろす

 我々は階段の途中に立って広場を見下ろした。四体もの機械人形が見える。我々は見事に奴らを出し抜いたのだ。そう思ってからようやく全身を喜びの感情が駆け抜けた。やった! やった! 後は階段を上りさえすればよい。Senkuが早々と上に向かうのをLibrossがおしとどめた。少なくとも、我々にはしばらく「勝利」の瞬間に酔いしれる権利がある筈だった。

「さあ、この場所に帰って来たよ」
 感に堪えないという様子でRagnarokが言った。
「僕は帰ってきた」とLibrossが繰り返した。
「そしてまだ僕は、彼女にGrin(嘲笑)をしていないんだ」

 Librossの真意は何であるのか。Ragnarokは、危険極まりない城を抜けてまで、何故ここまで来たがったのか。階段の先には何があるのか。謎は今から解けるのだ。だが不思議に気持ちは急いていなかった。むしろ落ち着いていて、これから眠ることになる友達の言動を、私は客観的に見守っていた。Ragnarokが喜びを確かめるように、ゆっくりと階段を上り始めると、私はかばうように彼の後についていった。二度と後ろは振り返らなかった。

 我々にとって、忘れられない夜が始まろうとしていた……。

(03.10.13)
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