その241 キルトログ、バタリア丘陵の石碑を写す ル・ルデの庭で、赤魔道士のSteelbearに会った。 Leeshaに用事があるのだ、という話をした。珍しく彼女はなかなか姿を見せない。ただ待っているのも手持ち無沙汰である。とはいえ人待ちの身なので、ジュノから遠く離れるわけにもいかぬ。 「バタリア丘陵の石碑でも写しに行ってみますか?」 協力をお願いすると、Sttelbearは紅蓮の装束に着替えてきた。バタリアはジュノ上層の門を出たところである。彼は南下して海岸線に出ると、沖に浮かぶ小さな島を指差してみせる。
バタリアの石碑は島陰にあるのだという。そこへ到達するには、丘陵の随所に入り口を開いている、エルディーム古墳の中を通っていかなくてはならない。これがあるから当地の碑文回収は難しいのだ。私はインビジもスニークも唱えられない。とてもじゃないが一人で古墳を抜けることは無理だ。 エルディームには虎狩りの際に逃げ込んだくらいで、奥へ進むのは初めてである。石づくりの地下通路で、年代はよく判らないが、相当古いことは間違いない。乾いたかび臭いにおいが漂い、心なしか松明の明かりもくすんで見える。骸骨が徘徊し、死霊がふよふよと漂う。通路脇に蓋の崩れた石棺があるのだが、果たして奴らはここからさまよい出て来たものか。 ぴったりと閉じた両扉の前で立ち止まった。Steelbearが「仕掛けを開けなくてはいけない」と言う。彼は近くに徘徊していた骸骨をあっさりと片付ける。私の斧は素早い敵をとらえきれず、空を切るばかりだというのに。
我々が武器を収めたころ、冒険者の一団がやって来て、扉を開いてくれたので、便乗して通り抜けた。方形の石畳が並ぶ大広間に出た。中央に落とし穴がある。そこへ飛び込んで、我々は地下の、更なる地下へと潜っていく。赤銅色の鉱石が輝く洞窟。徐々に道が上に傾き、空気が湿気を帯び、肺を洗っていく。我々は魑魅魍魎の国を抜けて、再び人間の土地へと戻ってきたのだ。
アイアンハート親娘の碑文は、ほぼ例外なく示唆に富んでいるが、今回のそれは特別である。私が注目したいのは、グィンハムや、ガルカの友人の哲学ではない。それらは個人的な考え方に過ぎない。グィンハムは世界一の変わり者だったのだし、ガルカの長命は、彼の冒険者的哲学にはうってつけだろう。彼らの思想は興味深くはあるが、それ以上ではない。 この碑文にはヴァナ・ディール文化が、サンドリアのそれを基盤にしていることがはっきりと示されている。 他種族の巡礼者がエルディーム古墳を訪れたという事実は、サンドリア式アルタナ教が、国外にも影響力を持っていたということを表している。それが大陸を異にするウィンダスまで及んだかどうかは不明だが、少なくともバストゥークにとっては大きかった、と考えてよさそうだ。何しろ共和国は、当時最後発の発展途上国だったのだから。 しかし現在その面影は少ない。バストゥークでは女神を敬う者も少なくなった。この原因を共和国国民の道徳観の欠如に求めてもよい(特にサンドリア人は積極的にそう信じるだろう)。私はこう考える。バストゥークでアルタナが顧みられなくなったのは、彼らの文化において、崇拝の対象がとりたてて必要とされなくなったからだ。 バストゥーク人が、サンドリア人のようなかたちで女神を必要としなくなった理由については、Steelbearと私とで意見が分かれる。彼はそれをエルヴァーンの神性に求める。エルヴァーンに存在する、神を身近に感じるための、ある種の鋭敏な感覚がヒュームには欠如している、というのである。確かにこれでは同じ形の宗教を維持することは難しい。 私の考え方は少し違う。私は現代において、サンドリア式宗教、ウィンダス式宗教は、本来のシステム的な役割を終えつつあると感じている。すなわち、サンドリア的伝統からの乖離は、ヒュームの種族的な問題ではなく、ヴァナ・ディールにおける、新しい価値観の萌芽に繋がっていると思うのである(注1)。 鍵になるのは冒険者の存在だ。グィンハム・アイアンハートは――彼の時代には――単なる変人に過ぎなかった。しかし彼の生き方は、70年後に市民権を得ている。我々冒険者を結び付けているのは、同じ哲学に生きる同朋意識である。それが国境と宗教の意味を変えようとしているのだ。 冒険者コミュニティの中で、従来のエルヴァーン的なものや、ガルカ的なものは、急速に衰退しつつある。しばしばアイデンティティの源となる名前でさえ、冒険者は自分で決めるのである。伝統的な見解からすると、確かにこういう慣習は不道徳であり、不信心ということになるだろう。 文化が失われつつあるのは寂しい、とSteelbearは言う。彼は冒険者でありながら、なお種族の血に忠実であろうと努めている。変わりつつある現状をしっかりと理解しているなら、その後の選択は、本人の自由に任されるべきだ。彼の生き方は立派である。 ウィンダスに生き、妻を貰ったガルカの私は、「異端」のそしりを免れまい。冒険者属として、新しい秩序の落ち着く先を見届けたいと思う。 注1 「これを国と種族という視点からしか眺めないと、時代の主権がサンドリアからバストゥークへ、エルヴァーンからヒュームへ移ったということにしかならない。サンドリアが「老いた獅子」と揶揄されることを思い出して貰いたい。当地においても、旧態的システムは行き詰まりを見せているのである」 (Kiltrog談) (04.03.18)
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