その262

キルトログ、魔晶石の記憶を見る(3)

 王の間に騎士が入ってきた。

デスティン陛下、お呼びでしょうか」 

 デスティンというからには――同名の先祖でなければ――現サンドリア国王である。白い雪のような髭をはやし、玉座に深く腰を預けている。吐息をつくように「宰相、説明を」と言うと、傍らに控えていた若い男が進み出る。以前会ったハルヴァーの顔ではない。先代か先々代の宰相なのだろうか。

「フランマージュ、今日おぬしに来て貰ったのは、例の北の地に関してだ」

 フランマージュと呼ばれた赤髪の騎士が合点をする。
「あれですか。バスのヒュームどもが、大北壁の向こうを調査したいという……」

「さよう、愚かなりヒュームよ!」
 王の傍らに控えていたもう一人の人物が、わが意を得たりというように、しゃんと黄金の錫杖を鳴らした。紫色の法衣を着た、色の浅黒い老人である。枯れ木のような肌をしているくせに声は大きい。

「あの僻地に偉大なる力が眠っているとでも? 魔物の跋扈する人外境に、永遠なる楽園の扉が隠されているとでも? ふん、笑止のいたりよ」

「しかし、連中の好き勝手にうろつき回らせるわけにもいきますまい」
 宰相は息の荒い老人をなだめるように、
「第一、調査という名目で、何を企んでいるかもわからん……」

 宰相は騎士に向き直った。

「調査隊にはウィンダスの連中も参加するらしい。フランマージュ、お前はサンドリア代表として同行し、奴らの動向を見張るのだ」
「御意」
「おそらく何も見つかりはせんだろうが、万が一ということもある――」
「承知しております」

「ヒュームはずる賢くて油断がならん」
 老人が横から口を出す。
「フランマージュ、油断するでないぞ。サンドリアはこれからも栄えねばならぬ。陛下も美しいお妃をお迎えになったことだし、じきにお世継ぎもお生まれになろう……。エルヴァーンが他種族の後れを取ることなど、決してあってはならんのだ。それを心せよ。任務には粉骨砕身で当たれ。サンドリアの栄光のために」

「じゅうじゅう承知しております」
 騎士は大きく頭を下げ、後ろ髪を波のようになびかせて退出した。



 空からはひっきりなしに雪が落ちてくる。風も強い。三つの人影が洞窟で吹雪を避けている。赤髪のエルヴァーンがぶつぶつと呟いた。
「やはり何も出やしない。どこまでも荒地が広がるばかりではないか」

 ひときわ小さな人影が彼を見上げた。
「でも、このザルカバードは普通じゃないね。嫌な空気に満ちている……」

イル・クィルの言うとおりだね」
 不機嫌そうに尻尾を動かすのはミスラである。二人とも厚い防寒着に身をつつみ、胸にウィンダスの記章をつけている。
「ここは気にいらないね。アタシの鼻がちっとも利きゃしない。大昔に何かあったんじゃないかな」

「ふん、ミスラの野生の勘か」
 赤髪のエルヴァーン――フランマージュ――は、唇をゆがめ、これ聞こえよがしに皮肉を言った。
「確かにザルカバードには、忌まわしきものが眠っていると言われているがな。せいぜいそいつが目を覚まさないよう、二人でお祈りでもすれば――」

 突然、洞窟の中に飛び込んできたものがあり、フランマージュの憎まれ口が途切れた。彼は口をつぐみ、肩であらい息をしているヒュームの戦士を見下ろした。

「大変だ……大変だ……ラオグリムとコーネリアが!!」

 戦士の頭髪と髭は、雪で白く染まっていた。
 四人が洞窟を飛び出した。


 タルタルのイル・クィルが、途方にくれて相棒を見上げた。ミスラが爪のとがった手を伸ばして、彼の頭をそっと撫でた。
「諦めな……アタシが見つけられなかったんだ。誰が探したって無理さ」

 吹雪はいくらか弱まり、彼らの頭上からひらひらと舞い落ちる程度に落ち着いた。フランマージュはクレバスの縁に立ち、灰色の空と黒色の海が出会う水平線を見つめた。
「ヒュームとガルカづれが、勝手にうろつくからこういうことになる。役立たずどもが!」

「もう一度聞くが、二人は地面の裂け目に落ちたんだな?」
 フランマージュの問いに、戦士が頷いた。
「モンスターに突然襲われた。間に合わなかった」

 フランマージュは、お喋りを続けているタルタルとミスラに向き直った。
「おそらく、あの二人はもう生きてはいまい。これ以上探索を続けても無駄だろう。調査も中止して引き上げよう。どうせ何も出てきやしない」

「でも、まだ全部見たわけじゃないよ!」
 エルヴァーンのそっけない言い方に、タルタルが反論した。
「待って。その件に関しちゃ、アタシはフランマージュに賛成だね」
ヨー・ラブンタ!」
「こんな陰気な土地は、もううんざりだよ」

 二人は口論しながら洞窟の方角へ引き返していく。戦士が騎士の傍らを通り過ぎようとするとき、エルヴァーンはヒュームの戦士の、雪がうっすら降り積もっている肩に手を置いた。
「本当に事故だったのか……ウルリッヒ」

 戦士が訝しげにフランマージュを見つめた。
「……どういう意味だ……」
「文字通りの意味さ。ガルカとヒュームの噂はきいている」

 北壁の彼方、人外境ザルカバードの雪原で、エルヴァーンとヒューム、騎士と戦士は、対峙して互いににらみ合った。

「お前の国の事情など知ったことではないが」
 沈黙を破ったのはエルヴァーンだった。
「そんなことに私を、サンドリアをかかずらわせるな。私が言いたいのはそれだけだ」

 フランマージュは言い捨てて去った。ウルリッヒはしばらく立ち尽くしていたが、やがて息を整えると、吹雪がまた強まってきたのを確認して、遅れて彼の後を追った。



 暗い廊下の向こうから、騎士が歩いてきた。牢番の誰何の声に答えたのは、夜着のままのフランマージュである。

「どうなされました……こんな夜更けに」

「なに、妙に目が冴えてしまったので、散歩をしている」

 牢番がぱちぱちと瞬きをした。いくら寝付かれないからといって、いろいろきな臭い噂のある地下牢にやって来るのも、ずいぶん酔狂な話だ。吸血鬼が出るという話が本当でなくても、極悪犯、政治犯が数多く血を見た場所である。夜中に散歩して楽しい場所ではない。感性が欠落しているのか、よほど肝が太いのかは知らない。あるいは彼がザルカバードに派遣されたのは、このような性質を持っているのを見込まれてのことかもしれぬ。

「ちょっと奥まで行くぞ」

 牢番は、気をつけて、と背中に声をかけた。騎士の後ろ髪が暗闇に消え、しばらくして、彼の声が廊下に響いてきた。

「お前は!? ラ、ラオグリムの……! 知らん、奴は事故で死んだのだ!」

「……フランマージュどの?」
 
「よ、よせ、来るなっ。やめ……」

「フランマージュどの!」

 それきり、廊下はしんと静まり返った。

 牢番は騎士の名を呼んだ。何度も繰り返すうちに、声の震えが強くなっていった。しかし答えるものはなく、廊下の壁に跳ね返る牢番自身の声が、空しく跳ね返ってくるばかりだった。


(04.05.23)
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