その342

キルトログ、モンブローを訪ねる

 ジュノ大公国に、龍のうわさが広がった。
 何でも北の沖、シューメヨ洋の海底から、ひときわ巨大な龍が浮かび上がり、ジュノに向けて咆哮したという。
 龍は叫んだ。いわく、

「世界の終わりに来る者が、いま現れた。
 いざ聖戦のとき!
 我が一族よ集え、我は真龍の王バハムートなり!」

 先だって、大地に大きな衝撃が走り、時を同じくするようにこの噂が流布した。このとき何人もの衛兵が、ジュノ西空に巨龍が舞うのを目撃している。専門家によれば、それは飛竜の一種ではなく、『真龍』と呼ばれる古代種らしいのだ。全国各地に残る竜の骨、あの巨大な生物が蘇り、活動を始めたとでも言うのだろうか?


 数日後、私は上層の医者、モンブロー氏を訪ねた。大公国には、心やすく話せるような知識人が少ない。私は現地の人間が、先日の龍騒動について、どういう感想を抱いているかを聞きたかったのである。

「やあ、君か」
 彼はにこやかに私を通した。
「あいにくと、少し立て込んでいるんで、十分なおもてなしは出来ないかもしれないけど」
 いえいえお構いなく、と言って、私は診療所の椅子に腰をかけた。

 傍らのベッドに、小柄な影が横たわっている。壁を向いているので、顔は見えない。後頭部を覆うショートの髪は、美しい紫色をしている。ヒュームの子供らしいのだが、首と肩が華奢だ。おおかた少女か、病弱な少年といったところだろう。

レイラン君、お客さんにお茶を頼むよ」
「わかりました」
 受付の女性が、サンドリアティーを運んできた。
「先生、傷薬の材料が切れてますので、買ってきます」
「うん、すまないが、親衛隊の詰所に行って、こないだの診療費をもらって来てくれないか」
「はい」


 私が患者を見つめていると、モンブローがサンドリアティーを入れ、私にカップを手渡してくれた。
「数日前から入院しています。彼のために、診療業務を控えてましてね」
 では少年なのだ。
「体温が低く、まるで氷なのです……生きているのが不思議なほどですよ」
 両親は?
「いや、それが」
 モンブローは首筋をかいた。
「それらしい夫婦が見つからないのです。大公親衛隊に調べてもらって、今ちょうど、善後策を考えているところなのです」

 そのとき、どんどんどんと音がした。せわしないノックだな、と思ったら、ノブの回る音がして、鎧をかちゃかちゃといわせながら、踏み込んで来た者があった。

「おや、ウォルフガング」
 大公親衛隊隊長である。モンブローと竹馬の友だが、出世後は仲が冷え切っているという噂の男だ。
「例の子供を、もらい受けに来た!」
 彼は声高に言ったのだが、来客があるとは考えてなかったようで、お茶をすする私を見とめると、露骨に嫌な顔をした。

「患者は動かせないよ」
 モンブローの声のトーンが低くなった。
「この間も、断ったはずだけれど」
 私は子供を見た。動いた様子はない。眠っているのだろう。

「モンブロー、少年は重要な証人だ。目が覚め次第、連れていかねばならんと考えていたが……」
「彼は休んでいるよ」
「寝ているだけなら、連行に問題はない」
「昏睡状態なんだ。説明したろう」
「いつまでも待てんのだ!」
 ウォルフガングは声を荒げた。
「見ろ、ぴくりとも動かん。狸寝入りかもしれん。大公邸で調べさせてもらう」

 ウォルフガングはベッドに歩み寄り、シーツを剥ごうとした。モンブローが立ち上がり、彼の右手を掴んだ。
「何をする」
 ウォルフガングは気色ばんだが、非力な医者を振り払えず、無言の迫力に気圧されたかのように、戸口まで後ずさった。

「言ったはずだろう。彼は先天性の、おそらく不治の病であると」
「ジュノはあらゆる問題を克服したのだ。病などあるものか」
「本気で言っているのか、君は?」
 モンブローは怒鳴った。私は驚いた。温厚で知られる彼が、ここまで怒るのは珍しい。ウォルフガングも同様だったようで、目を丸くし、友人の剣幕を見守った。
「知らないとはいわせんぞ。私の診療所に並ぶ長蛇の列を? 貧しい人や老人たちを? それが君の認識か? 大公陛下親衛隊隊長の言葉か?」

 ウォルフガングが、表に手を振った。どかどかと足音がして、純白の鎧をまとった親衛隊が、狭い診療所になだれ込んできた。
「少年は、渡してもらわなければならん」
「主治医として断る」
「いざとなれば力づくでも……」

 モンブローは腕組みをして立ち、少年のベッドを庇った。彼の態度は毅然としている。ウォルフガングが圧倒されていることもあって、さしもの親衛隊たちも、部屋に突撃することを躊躇していた。
 さて、と私は考えた。おかしなことになった。私は明らかに部外者なのだが、だからといって、今さらごめんなさいと退出することも出来ぬ。なりゆきを見守るしかないのである。

「ひとつ聞いてもいいかな」
 モンブローが言った。
「少年を運べというのは、大公陛下のご命令なのかな」
「いや、実は……」
 ウォルフガングが答えようとしたときである。「私だ」という声が、人ごみの後ろでした。人影がひとつ、衛兵を掻き分けてきて、モンブローに対峙して立った。

「はじめてお目にかかる。医師モンブロー殿。私は、大公陛下の政治諮問組織、アルマター機関機関長ナグモラーダ。デルクフ爆破事件の重要参考人として、その少年を連行したいのだが、どうにか許可をいただけないだろうか?」


(05.04.24)
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送