その341

キルトログ、タブナジアについて調べる

 読者諸氏は、タブナジアという地名を聞いたことがあるだろうか。

 地図の通り、タブナジアとは、サンドリアの西方沖に浮かぶ小さな群島である。この一帯の地名が、冒険者の人口に膾炙するようになったのは、ごく最近のことだ。我々は冒険中心の生活を送っているので、自分たちと係わりあいの薄い土地については、ほとんど知識がないことが多い。したがってタブナジアが注目され始めたのは、同地が我々の生活に無縁でなくなったことを意味している(注1)

 どういう手段でか知らないが、タブナジア群島への渡航に成功した者がいたのだ。以降ぞくぞくと冒険者が渡り、同地は冒険の舞台となった。タブナジアは活況を示し、ついにコンクエスト対象地とされるに至った。同様の状況はムバルポロスでも起きている。我々冒険者にとって、世界は常に広がり続けているのだ

 これだけなら、時々ある話である。かつてゼプウェル島やエルシモ島がそうであったように、行けないところに行けるようになったというに過ぎない。興奮することではあるにせよ、何もタブナジアだけを別格視する必要はないだろう。

 もちろん同地には、特別な理由があるのである。かつてこの群島には、タブナジア侯国という国が存在した。ガルカの古代王国のような昔の話ではない。タブナジア侯国は863年――すなわち、クリスタル戦争のさ中――に滅亡している。現在が887年であるから、わずか25年ほどの昔には、ヴァナ・ディールに5つの国家があったということなのだ(注2)

 ヴァナ・ディール第5の国! 国といえば三大国か、ジュノしか知らぬ身にとっては、何とも刺激的な話ではないか。タブナジアは「冒険者」を知らないまま滅んだ。その亡国が、表舞台に蘇り、いま再び動き出さんとしているのだ。


 タブナジアについて、文献を調べた。たいして時間が取れず、概要しかつかめなかったが、十分な収穫だったといっていいと思う。

 タブナジア侯国の起源は、4世紀にさかのぼる。同地はもとサンドリア領だった。サンドリア族の族長ランフォル・R・ドラギーユは、ビュルトラン族のアルフォロン・タブナジアの協力を受け、エルヴァーンを統一。クォン大陸からウィンダス勢力を一掃し、サンドリア王国を建国した。このとき功臣であったアルフォロンに、侯爵の位が与えられ、西部半島の一部が封じられた。385年のことである。
 28年後の413年、サンドリアとウィンダスの共同承認により、タブナジアは正式に侯国として成立した。以来タブナジアは、歴史の主役を張ることはないものの、親サンドリアの国家として、王国を補佐し続けた。サンドリアとタブナジアの姻戚関係は深い。例えば現ディスティン王の故妃ローテは、絶世の美女と謳われたタブナジアの侯女である。古くは護国の女王マレリーヌが、侯国訪問のさい、侯子フェレディナンと電撃結婚し世間を騒がせた(580年)。

 ザフムルグの真珠と言われたタブナジア侯国は、景勝の地として知られたうえ、海洋貿易、とりわけ西方諸国との取引で、巨万の富を得た。戦前では世界有数の富裕国家であり、今でいうジュノのような隆盛を誇ったようだ。

 すべてが一変したのは、863年。アルタナ連合軍が獣人軍と激突してからである。ジュノ攻防戦に敗れた獣人軍は、徐々に撤退を開始。標的を大陸西部の群島に定めた。闇の王がタブナジアを狙ったのは、同地が連合軍首脳会議の舞台だったからだ。しかし襲撃の時期がずれ、タブナジアは獣人軍の集中砲火を一身に浴びることになった。

 タブナジアは陥落した。以来、侯国の名は歴史から消えた。クリスタル戦争最大の激戦のひとつであり、多大な戦死者を出したといわれる。その魂の一部は浮かばれず、バルクルム砂丘に漂着し、亡霊となって冒険者を襲うという噂もある。時の首長アルテドール侯は、警護の者とともに脱出、バタリア丘陵まで落ち延びたが、エルディーム古墳内部で討たれたという。


 いま蘇る、伝説の亡国タブナジア。私はそこに足を踏み入れた。タブナジアにに至る道は、龍と、クリスタルと、ジュノと、謎の少年と、すべてを飲み込む闇の物語である。全貌はいまだ明らかでない。もしかしたらこれは、あまりにも異質な“敵”との戦いの、単なる始まりに過ぎないのかもしれない。

注1
 タブナジアの設定は後付けのものであり、バージョンアップが重ねられてから登場したものです。ミッション・クエストでの断片的な紹介を経て、拡張ディスク『プロマシアの呪縛』が発売され、一般冒険者にも公の情報となりました。
 Kiltrogがタブナジアに言及してこなかったのは、以上のような理由によります。彼のような人物で、しかも長命なガルカが、由緒あるタブナジアを知らないのは奇妙なことです。こうした不自然さは敢えて無視しました。一般プレイヤーが味わうであろう亡国への興味を、Kiltrogと共有していただけたら幸いです。

注2
 ヴァナ・ディールの暦は、ゲーム時間として、現実時間の24倍のスピードで進行していますが、キルトログ記においては、冒険の初期設定である884年に固定し、物語の整合性に努めてきました。
 しかしながら、キルトログ記の世界においても、長い時間が流れています。ハロウィンの記述も2度に渡り、これらすべてを単年のこととして記録すると、別のかたちでの矛盾を招きます。
 したがって、以下のように天晶暦の記述を修正することにしました。
 西暦2002年=884年
 西暦2003年=885年
 西暦2004年=886年
 西暦2005年=887年
 これに合わせ、イベントに登場する数字(年号表記にからみ、時間に矛盾を生じるもの)は、キルトログ記での整合性を優先し、変更して記載します。暦の問題に関しては、これでほぼ対処できるでしょう。


注3
「バストゥーク共和国の成立が494年。ジュノ大公国は859年である。したがってタブナジアを“第5の国”と呼ぶのは、歴史的には正しくない」
(Kiltrog談)


(05.04.23)
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