その401 キルトログ、アルドを再び訪ねる(3) 「みんなで力を合わせれば、出来ないことは何もない」 我々は呆然として、そのゴブリンを見つめていた。マスクと鎧で、常に全身を覆っている種族である。人間の視点からすれば、男か女か、若者か老人かも区別が難しい。ゴブリンはみんな“彼”に似ているのだ。だから、別人であると考えるのが自然だし、論理的だろう。何故なら、“彼”はもうこの世にはいないのだから。 だが、私の目には、ゴブリンは“彼”そのものに見えた。見かけだけなら似ている者は大勢いるだろうが、声の調子、立ち振舞い……何より、こんな場末の花壇に来て、芽が出たばかりの種を愛でるようなゴブリンは、“彼”、たったひとりしか考えられない。 「フィック……?」 フェレーナが、おそるおそる名前を口にした。私には禁断の一言に思えたが、名前を呼ばれても、“彼”は消えなかった。相変わらずそこに立って、マスクの奥から、私たちに笑いかけていた(何故か私にもそのことがわかった)。 「ギーベの言う通り、芽が出たら、花も咲く。花が咲けば、幹も伸びるだろう。でもフィック、もうそれは出来ない。みんなに任せるしかない。みんななら、きっとうまくやってくれると思う。だから、心配はしてない」 不思議な光景だった。誰もがフィックを見ていた。もうずいぶんと前に、オズトロヤ城で亡くなったはずの彼を。 「……フィック、生きてたんだね?」 パヤ・サブヤが、小さな声で尋ねた。子供ながらに、否定の言葉が返ってくるのを恐れているようだった。フィックはそれには答えなかった。肯定も否定もせず、少年たちに優しい一瞥をおくった。 「大丈夫。フィック、いつでも一緒にいる」 「フェレーナ……フェレーナに、言っておきたいことがあった」 「なあに……フィック?」 「こんな気持ちになったとき、何と言うんだったかな? フェレーナ、最初に教えてくれたんだ、人間の言葉。 そう、そうだった。こう言うんだ。 アリガト、って」 フェレーナの両頬に、涙の筋がつたった。彼女は突然うつぶして、「ごめんね!」と叫び、泣きじゃくった。 「フィック、ごめんね! 私……ずっとここに来れなかった! 近ごろ、自分のことばっかりで……ずっと……」 私は背後に立って、そっと彼女の肩を支えた。 「泣かないで。フェレーナが泣くと、フィック、とても悲しい」 「ええ、そうね……そうだったわね。あなたはいつも、優しかった」 「優しかったのはみんなのほう。フィック、とても幸せだった」 彼が、私たちに向き直った。私ははっとした。フィックが私たちに、別れの言葉を言おうとしていることがわかったからだ。 場が凍りついた。 「みんな、アリガト。本当にアリガト。 これ、フィックの大好きな言葉。獣人の知らない言葉。仲間たちに教えたかった。でも、もう出来ない。だからみんなに、もう一度言いたかった」 「俺たちが教えてやるよ!」 ギーベが声を張りあげた。 「俺とパヤ・サブヤで、獣人に教えてやるよ! フィックの出来なかったこと、俺たちがやってみせるよ!」 「アリガト。みんな、とてもいい人たち」 彼はにっこりと微笑んだ。この場にいる誰もがそれを見た……アルドでさえも。 「フィック、まだまだ話したいこと、いっぱいある。言いたいこともいっぱいある。だけど、時間がない。だから……。 アリガト! アリガト! フィック、本当に幸せだった」 彼はミトンに包まれた手を、不器用に振った。 「サヨナラ」 一陣の風が吹き抜けた。私は目を瞑った。顔を上げると、ゴブリンの姿は、どこにも見当たらなくなっていた。「フィック!」「フィック!」 少年たちが彼の名前を呼び、往来に駆け抜けていった。フェレーナは身を折ったまま、しくしくと泣き続けていた。 「フィック! フィック! あなたのような勇気が、少しでも私にあれば……」 「何なんだ、あれは……」 傍らでアルドが、呆然と立ちつくしていた。 「あれは、フィックの……そっくりな誰かなのか? まるっきり本物だったが……幽霊? だって、こんな昼間っから……」 「お化けを信じるんじゃなかったのか」 私は彼に微笑んでみせた。 「さあ、風が冷たくなる。妹さんの身体にさわるかもしれない。早く下層に戻って、彼女をベッドに寝かせた方がいいだろう」 (05.09.27) |
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