その455

キルトログ、目の院で密談をする

 手の院を退出した私は、その足で目の院へと向かった。
 アプルルと話したことを、トスカ・ポリカに率直に打ち明けた。彼は顔を真っ青にして、手に持った分厚い本の山を放り投げ、
「ムムムムム!! ……こっちへ……」
 そう言って本棚の陰に私を招き寄せたのである。

「アジド・マルジドの脱獄に力を貸せというのか!!」
 私はしゃがんで、そうです、と囁いた。
「それで、目の院の指輪を貸せと……ムムム! きっ君、私が守護戦士に通報すると言ったら、いったいどうするつもりだ!?」
「口の固さは自負しているつもりですが」
 私は背嚢を下ろし、中にある固い、四角いものを上から押さえてみせた。
「場合によっては、余計なことまで話してしまうかもしれません」

 トスカ・ポリカはひいと言い、今度は顔色を紫にした。目の院に最初に来たのは、最も手短に院長と会えるからではない。トスカ・ポリカと私は、『白き書』を通じ、一蓮托生の仲なのである。何もかもが露見すれば、彼とて責任を追及されずには済まない。少し卑怯とは思うが、そのぶんこのような秘密を話しやすくはあると言える。

「きっ君は、私を、きょ、脅迫……」
 彼は喉でぜいぜいと息をしていたが、唐突に雷に打たれたように、ぴくっと身体をふるわせた。
「いや……ちょ、ちょっと待て……何だそれは! そ、それを見せてみろ……」
「何と言って、例の本ですが」
 私は背嚢を開けた。辺りを見回してから、『白き書』を言われたままに取り出してみせる。
「違う! 星月の力を感じるのだ……『白き書』に魔力が……」

 トスカ・ポリカは気焦りした様子で、本を両手に持ったのだが、「うわっ」と悲鳴をあげてそれを取り落とした。感電でも恐れているかのように、おそるおそる手を伸ばして、再び表紙に触れ、ページの中身をめくろうとする。
 だが『白き書』は、二枚貝のようにぴったり口を閉ざして、彼がいくら「ムムムム!」と力を込めても、びくともする様子がない。

「うう……開かん……どうしたことだ」
「ウガレピ寺院で、星月の力を与えてもらったのです」
 私は正直に言った。
「古代のクリューの民……初代の神子さまに魔法を教えたという老人の霊に。微弱ではありますが、エネルギーが少し戻っているでしょう?」

「古代の民だと!!」
 トスカ・ポリカは呻き、私と本を交互に見比べた。そして『白き書』をかき抱き、ぺたんとその場に尻もちをついて、唐突にむせび泣きを始めたのである。

「おお! 『神々の書』が復活した! ……ウィンダスは滅びから救われるのだ! 何たる奇蹟! 何たる福音!」
「ですが、何が書いてあるかはわかりません。それを開いて読める者がいないのです」

 トスカ・ポリカはじっと私を睨みつけた。表紙と裏表紙に手をかけ、再び奮闘を始めたのだが、自ら意志を持って篭城しているかのように、どうしても本は開こうとしない。
「ムム! くやしいが、私では無理のようだな」
 院長は肩で息をしながら、「となると……」

 彼は顎に手をやり、考えをまとめているようだったが、やがて意を決したように、もみじのような左手の中指にはまっている、院長の指輪をするっと抜いてみせた。
 視線を逸らしたまま、私の方にそれを突き出してみせる……。私は丁寧に頭を下げて、目の院の指輪を受け取った。今回で二度目の拝領となる。
「君、肝に銘じておきたまえ。これは喜んでやるのではない。ムムム! 君にいやいや預けるのだ」
「はい」
「これだけは約束するのだ。アジド・マルジドがもし、これを開くことが出来たら、内容を真っ先に私に教えるのだ。奴の魔力が足りない場合――いろんな意味で、その可能性が高いわけだが――そのときは、指輪とともに『白き書』を持って帰るのだ、いいな?
 私はアジド・マルジドが好きではない。神子さまに逆らう意志もない。にもかかわらずこんなことをするのは……ムムム! ウィンダス連邦を滅亡から救いたい、その一心のためなのだぞ!」


 数時間後、私は降り続く雪に埋もれていた。

 鼻の院院長ルクスス――アプルルと並ぶ、連邦随一の麗人――は、ウガレピ寺院から生還するや否や、再びフェ・インへ舞い戻った。彼女は師、イル・クイル氏の霊にむくい、彼の説の正しさを証明するために、極寒の地で古代人の研究を続けているのである。

 ルクススに何と告げてよいやら、いろいろ考えてみたのだが、いいアイデアは浮かばなかった。ええい、ままよ、と思いながら、フェ・インの遺跡を降りていった。鼻の院院長は、通路の左右にうち並ぶ小部屋の一室にいた。蜂の巣状の小さな覗き窓から、「院長、院長!」と声をかけた。彼女の傍らにはゴーレムがつっ立っているが、小さなタルタルの側にいるものだから、ただでさえのっぽな自動人形が、雲をつくほどの高さにも感じられた。


 ルクススが私のところへ寄ってきた。「まあ、Kiltrogさん」と頭を下げる。私はこんばんはと挨拶をしたが、言葉が続かなかった。こちらが逡巡していると、「どうですか? 『神々の書』は」と、彼女の方から切り出してきた。私は、トスカ・ポリカが解読を試みたものの、開くことさえ出来なかった、と正直に伝えた。かくしに手を入れて目の院の指輪をさぐり、果たしてこれをルクススに見せるべきものか、指先で転がしながらしばらく思案をした。

「アジド・マルジドは、まだ闇牢に捕えられたままなの?」
「ええ」
 私は頷いた。喉がからからだった。
「神子さまはそうとうお怒りのご様子です。もはや恩赦でも待つしかありません」
「アプルルは、だいぶ参っているのじゃないですか」
「……はい。何度も神子さまに上申されていたようですが……」


「Kiltrogさん。あなたの様子からすると、偶然に立ち寄ったというわけではないようです。何か私に、言いたくないこと、言いづらいことでもあるのでしょう?」


 私は言葉を失った。ルクススは伊達に院長なのではない。
「私も、先生の異端の研究を続ける者」
 ルクススはにっこりと笑って、
「少々のことでは驚きはしません。ましてやここは誰もいない、北の地の果てじゃありませんか。遠慮なんかすることはありませんわ。そうでしょう?」


 私の迷いは、彼女の言葉で吹っ切れた。私は何もかも正直に話した。院長という要職にある彼女には、立場上の制約がある――しかし、その分別には信頼が置ける。私は信じて疑わなかった。もし道の違ったことを私が話しても、彼女はそれを、吹雪の夜の夢と忘れ、決して人に漏らすことなどしないだろう。

「アプルルが、遂にそんな覚悟を?」

 手の院院長の覚悟を聞いたルクススは、神経質そうにかりりと右手の爪を噛んだ。

「Kiltrogさんは、その決断を聞いてどう思いましたか?」

「正直、賢明とは言えない部分が残りましょう。院長の決意の背景には、どうしても大きく私情が混ざっている――だとすると、彼女が今後何を主張しても、道理が道理として通らない可能性がある。まあ肉親の愛情も一種の道理ではありますが」

「とはいえ、彼女に味方する者が多いのも事実です。ガードたちが結託していると言ったでしょう? まさか全員の意見が完全に一致しているとは思いませんが、少なくとも、大規模な根回しが出来ているのは確実のようです。この背景には、やはりアジド・マルジドがいるのですわ。アプルルの人望もなかなかのものがあるけど、長引く獄中生活で、彼の命が心配されているのが大きいと思うのです。

 少なくともみんなは、アジド・マルジドの今回の罰については、これまでの過ぎた行動に対する、ひとつの警告のように思っていたはずです。見せしめとしての効果は、数十年ぶりに闇牢に繋ぐという罰で、十分報われるはず。彼はじきに出てきて、口の院院長を引責辞任し、学者として生活を続けるだろうと。

 しかしながら、神子さまのお怒りは根が深いごようす。誰が助命をお願い申し上げても、決しておん首を縦にお振りにならない。アジド・マルジドを快く思ってなかった者たちも、このままでは、本当に彼が死んでしまうかもしれないと、だんだん不安を覚えだしたのですわ。じっさい彼以前に、闇牢に最後に繋がれた者が、そういう悲劇を辿ったものですからね。まだ私が学生のときの話ですが。

 何のかんのと言って、アジド・マルジドは頼りにされているのです。火のような性格の男ですが、のんびりとしたウィンダスには、ああいう毅然とした人間は少ないですからね。闇の王の復活や、ヤグード教団との緊張など、不穏な空気が流れ出している今、最も求められる人材のはずです。

 Kiltrogさん、手を出して下さい」

 ルクススはそっと指輪を抜き取って、私の手のひらの上にころりと転がした。鼻の院の指輪が、冷気に反応してきらりと光った。
 私は感嘆した。
「おお……院長それでは」

「私は、神子さまに背くつもりはありません。しかし、『神々の書』を読むことが出来るのは、おそらくアジド・マルジドだけ。彼を助け出したら、必ず解読してもらって下さい。そうでないと、私が指輪をあなたに託す意味が、まったく無くなってしまうのですから」


(06.07.09)
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