その458

キルトログ、口の院の指輪を手に入れる

 カカシどもの視線を集めた私は、静かに柱の陰から姿を見せた。

 策らしい策もなかったが、存在を気取られていては仕方がなかった。私は敢えて奴らに姿をさらした。ひとつには、ジョーカーにこちらの存在をアピールする意図があった。私が何者であるかわからぬ彼ではあるまい。もちろん彼は敵であるから油断はならぬ。記憶を取り戻すまでのささやかな交流など、この期に及んで役立つのかどうかもわからぬ。だが絶体絶命の危機にあってみれば、賭ける価値はあると思った。ジョーカーの出方次第では、賽の目がどのように転ぶかはわからないのだ。

 両手を挙げて敵意がないことをアピールした。セミ・ラフィーナが頭を転がして、こちらを確認した。それきり何の反応も見せないので、彼女が私を見てどう思ったのかはわからぬ。

「さあ、こっちへ来い」

 エースのひとりが手招きをした。それに応じるつもりはなかった。さすがに私も、唯一の勝機を自ら手放すほど愚かではない。

「仲間を待っているんだろうが、そうはいかん」

 他のエースが杖を取り上げ、切っ先をセミ・ラフィーナの喉笛に押し当てた。私は舌打ちをした。彼女はもはや頭を動かしもしない。体力が尽きているのは明らかだった。杖が一押しされれば、彼女の命は無残に奪われる。セミ・ラフィーナを救えるのは私だけだ。そして方法はひとつしかない。

 私は両手を挙げたまま、ゆっくりと前進した。出来るだけ時間をかけたつもりだが、仲間たちが助けに来てくれる様子はなかった。


 足音の近づきを確認したのだろう、セミ・ラフィーナが頭を起こし、「Kiltrog……」と小さく言った。彼女はぜいぜいと息をしていた。
「この馬鹿め……どうして逃げないのだ」

 私は両手を上げたまま、彼女の手前で立ち止まった。

「危急存亡の秋に、貴女を失うわけにはいかない。私の代わりはいるが、ウィンダスに貴女の代わりはいないのだ。セミ・ラフィーナ」

「これはこれは、自分を随分と過小評価しているものだ」

 私にそう言ったのは、セミ・ラフィーナではなかった。ジョーカーだった。彼の声は野太く、どこか嘲笑の響きすら感じられる。

「今、最も強き導きの星は誰か。かの小さき友たちではない。星の神子にそのような力はない……そなたも本当は理解しているのであろう」

「お前は、本当にジョーカーか?」

 声低く言い放つと、エース・カーディアンたちがぱっと散り、たちまち私の周囲を取り囲んだ。めいめいが長い杖を構え、ただちに脳天に振り下ろせる態勢をとる。このような包囲網にあって、指を動かすのですら容易にはならなくなったが、私は気に止めなかった。ジョーカー……あるいは、ジョーカーであるはずのカカシの方にだけ、全ての神経を集中していた。

「そなたと約束を交わした者かというなら、確かにそうだ。だが我は、完全な我ではない。今や我は、ふたつの身ふたつの心を持つ。魔導球で動き出しただけの、ただのカカシとは判断せぬがよいぞ」

 ジョーカーは不思議なことを言った。彼から受ける印象は、ウィンダス港の倉庫裏で別れたときのそれとは、随分と違っていた。それは、ひとつの個性がときに見せる、表裏の別々の面かもしれない。人は時に尊大にも卑屈にもなれる。私ですらそうだ。ならジョーカーがそうであってもおかしくはない。

 だが、ジョーカー自身の言葉をもってすれば、それとは少し違うようなのだった。ふたつの身ふたつの心とは、何を意味するのか? 

「時がいたればわかることよ」
 私の心を読んだかのように、ジョーカーが言った。
「Kiltrogには、まだやって貰わねばならぬことがある。ふたつに分かたれた我を戻すこと。そのためには、まだ死んで貰っては困るのだ」

「セミ・ラフィーナをどうするつもりだ」

「おお、そなたは大したものだな」
 ジョーカーはくつくつと笑った。
「自分の命が助かるとわかって、すぐさま、この者を救う交渉に頭を切り替えるとはな。頭の回転も判断も早い。そなたなら必ず我をひとつにしてくれるだろう」

 ジョーカーの言葉に、私は寒気を覚えた。心中をすべて見透かされているような気がしてならぬ。ジョーカーは確かに、単なる優秀なカカシではない。いま彼の中に宿っているのは、もっと大きな、何か別の生き物である。

「安心するがよい。この者にもふたつの役割がある」

 ジョーカーが言うと、エースがすっと杖を引いた。

「まずは、口の院の指輪をKiltogに渡すがよい。守護戦士セミ・ラフィーナ」

 心臓が止まるかと思った。なので、セミ・ラフィーナの反応に心を配る余裕がなかった。彼女のぜいぜいした声が足元で聞こえた。
「何だと……どういうことだ? きさま何を考えている?」

「Kiltrogに聞くがよい。この者はお前の持っている指輪を求め、わざわざこの遺跡までやって来たのだ」

「そうなのか……?」

 セミ・ラフィーナが、瞳を細くして私を見つめた。私は彼女をじっと見返した。彼女の視線に熱を感じたが、私は決して目を逸らさなかった。

「貴女とともに、もうひとり、連邦には替えのきかぬ人がいる」

「Kiltrog、お前は」 
 セミ・ラフィーナが顔を上げようとするのを、カーディアンが杖で顎をこづいた。気管に当たったらしく、彼女がごほ、ごほと激しく咳き込んだ。血を吐きそうな勢いである。

「さあ、指輪を渡すのだ。王の命令は絶対である」

「腰の袋に入っている」

 彼女はそれだけを言った。顔を伏せたきり動かない。私はカーディアンどもの顔色を伺いながら――奇妙な話だ! カカシののっぺりした、T字の「顔面」からは、どのような感情も読み取れるはずがない――ゆっくりと腰をかがめ、セミ・ラフィーナのベルトに結ばれている小袋をさぐった。

 指輪はすぐに見つかった。実物をこれまで見たことはないが、他の4つの指輪と見比べて、間違いなく口の院のものと思われた。彼女が精巧な偽物を持っているなら別だが。

 私が指輪を隠しにしまうと、ジョーカーは満足そうに頷いてみせた。
「セミ・ラフィーナよ。お前にはもう一つの役割がある。全ての星が集うまで、神子を黒い使者から守るのだ」

「お前……黒い使者のことを……ッ」
 だが、皆まで言うことは出来なかった。彼女は瘧(おこり)にかかったかのように、身体をびくりと震わせ、呼吸を止めた。危険な状態だ。彼女を至急手当てしなければ、おそらく本当に死んでしまう。

「やがて全て集うときが来る。真実はそのときに明らかになろう。Kiltrog……我が地と空を、眩く照らしてみるがよい。さらばだ」

 ジョーカーの姿が、闇にふっ、とかき消えた。後を追うように、エース・カーディアンたちも姿を消した。不意を突かれた私は、斧を抜いて周囲を見回した。しかし奴らの気配は既になく、ただ私と、傷つき倒れたセミ・ラフィーナが、遺跡の暗闇に取り残されているばかりだった。


(06.08.06)
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