その475

キルトログ、アジド・マルジドに物申す

「ジョーカーを……神獣フェンリルを、殺さねばならぬ」
 アジド・マルジドは、かすれ声で言い放ったが、その後に小さく、こくり、と唾を飲む音が聞こえた。

「お前たちには、エースカーディアンたちを足止めして貰わねばならない。今回の戦いは、たとえ俺といえど、雑魚に注ぐ余力はない。カラハ・バルハですら制御しきれなかった相手だが、どうあってもとどめを刺さねばならない」

 私は、少し考えてから言った。
「カラハ・バルハを越えるおつもりですか」

「ある意味ではそうだよ、Kiltrog。なあ、なぜあの人は、フェンリルとともに死んだと思う。彼の召喚術は不完全だった……それは、彼自身が一番よくわかっていたはずだ。だが、カラハ・バルハはフェンリルを呼び出し、あやつり、獣人軍を撃退した後、聖獣を道づれに果てた。カラハ・バルハは二重の意味でウィンダスを救ったのだよ。彼はフェンリルを殺さねばならなかったのだ」

「星月の意志、ですね」
 私が言うと、アジド・マルジドは頷いた。彼の顔は見えなかったが、その力強い動作から、悲壮な決意がうかがい知れた。

「やはり、お前はよくわかっている。その通りだ。フェンリルが生きていれば、星月の意志が働いてしまう。はじまりの神子さまがご覧になったように……ウィンダスが滅亡してしまう。カラハ・バルハが最も恐れたのはそれだった。連邦の未来を守るために、あの人は自分の命すら投げ打ったのだ。
 カラハ・バルハの遺志を無駄にすることは出来ない。国を思う気持ちは、俺だって同じだ。あの人にも負けぬという自負すらある。俺はフェンリルを再び殺し、星月の意志をリセットする。そして、神子さまとともに新しいウィンダスを作るつもりだ……協力してくれるか」


 私は言った。
「僭越ながら。ウィンダスを守れるとしたら、その方法はたったひとつでしょう。それはおそらく……あなたの考えるやり方とは、違う」


 しばしの沈黙があった。

「他の5人には既に命令を伝えてある。もし、俺の方針が不服というのなら、残念だが、任務から外れて貰わねばならない」
「いえ、外れませぬ。帰れといわれても帰りませぬ」
「俺の命令を無視するのか?」

「院長、ジョーカーを決して殺してはなりませぬ。ウィンダスを守る最後の鍵が、彼なのです。よくお考えになって下さい。なぜカラハ・バルハが、あのカーディアンを遺しておいたのか……」

「臆したか、Kiltrog。お前には失望した。俺はお前を見くびっていた」
「院長!」
「口の院院長として命じる。お前を、神子さまご救出の班より解任する。ただちにウィンダスへ戻れ」
「帰りませぬ」

 互いの顔すらも見えぬ暗闇の中で、空気の色が変わったように思えた。アジド・マルジドが放つ、びりびりとした殺気が、皮膚を通じて感じられた。私は平静さを守り通した。彼の声色には、いささかの躊躇も動揺もない。それでもアジド・マルジドは、私を置き去りにしたり、ましてや打ち倒してはいかないだろう。私にはささやかな勝算があった。

「Kiltrog……そういえば、ジョーカーがお前を指定したのだったな……」
 アジド・マルジドは、喉から搾り出すように言った。
「御意」
「だが俺は、フェンリルを殺すぞ。お前が邪魔をするなら、真っ先にお前にとどめを刺す。どのみち、黒い使者を呼び出してしまえば、お前は用済みになるのだ」
「どうぞご随意に」

 アジド・マルジドは去っていった。私は少し遅れて、彼の後を追いかけた。


 広い河川敷の入り口に、人影があった。仲間たちだとわかったが、少し人数が多いように思った。大きな弓を背負った、白髪のミスラが、私を出迎えた。「遅かったな」と言ったのは、セミ・ラフィーナである。足元にはアプルルがいて、緊張と寒さからか、肩をすくめて小刻みに震えていた。傍らにある、布を被った、彼女の身体ほどの黒いかたまりは、夜を徹して実験していたという例の機械に違いない。

 川の方から、かすかに青白い光が差し込んできていたので、アジド・マルジドの顔がわかった。彼は私をちらりと見た。先刻の怒りは抑えられていた。とはいえ、不機嫌そうではあるので、仲間の目からは、私の遅刻に苛立っているように見えるかもしれない。

「冒険者たちよ。時は来た。腹をくくるのだ!」

 ほれぼれするほど堂々とした声で、アジド・マルジドは言った。私は感心してしまった。彼を院長たらしめているのは、むろん魔法の実力の高さもあろうが、彼の言動の端々にこもる、こうしたカリスマ性にあるのだろう。トスカ・ポリカあたりがいかにあがこうとも、とても代わりが務まるものではない。

「エースカーディアンが邪魔をするなら、これをすみやかに片付けよ。神子さまをお救い出し申し上げた後は、俺が直接ジョーカーと勝負をする」

 仲間たちの息の荒さと、そわそわとした衣擦れの音から、彼の鼓舞が効果を発揮しているのがわかった。アジド・マルジドの戦いぶりが見られる、という期待に、皆が興奮している様子がありありと感じられた。
「何か質問は?」
 誰も何も答えなかった。
「Kiltrog、質問は?」
 アジド・マルジドは重ねて言ったが、私は冷静に受け答えた。
「いえ、何もありません」

「それでは、Kiltrogを先頭にして進もう。姿は隠さなくていい。どうせ、隠れても無駄だ。俺とアプルルが、星月の力で障壁を張っている。これで守護戦士たちのように、不意に外へ飛ばされることもない」
 セミ・ラフィーナは無言だったが、不機嫌そうに尻尾をぱたぱたと振っていた。
「行くぞ」

 アジド・マルジドの合図とともに、我々は足を踏み出した。進むにつれ、青い光が強くなってくる。以前はなかった光だ。果たして、これはフェンリルが――星月の意志が戻ったことを意味しているのであろうか。


(07.01.30)
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