その485

キルトログ、天の塔を訪ねる

 天の塔の入り口で、ゾキマ・ロキマ隊長が待っていた。「おお、Kiltrog!」と、私に小さな手を振った。
「遅かったじゃないか。もうみんなお待ちかねだ」
 すいません、と私は素直に謝った。
「星の大樹が、あまりに美しかったもので、ぐるりと周囲を散歩しておりました」

「とても綺麗だろう。根っ子をスターマイトにやられて、枯れかかっているという報告があったが、近ごろは持ち直してるんだそうだ。冒険者が虫を退治してくれた結果らしいがね。
 ほら、ここからの眺め」

 入り口の石段の最上段に立って、ゾキマ・ロキマは背伸びをした。澄んだ水を湛えた堀が、眼下に広がっている。さわやかな朝の日差しを浴びて、森も、水も、きらきらと美しく輝いていた。

「24年前も、私はこうやって石の区を見下ろしたのだ。母に連れられ、天の塔へ逃げ込んだときのことを、昨日のように思い出す。時が過ぎ、私はガードになり、ここへ配属された。星の大樹の枝葉を優しく揺らす風、清水のせせらぎ、私はそんなウィンダスのすべてが愛しい。この気持ちは、君にも持っていてほしいと思う」
「はい」
「おっと、余計な話をしてしまったな。中へ急ぐがいい。君に何を言おうと迷っていたが、全く、たった一言でよかったんだ……ありがとう、とな」


 せわしなくクピピが書類作業に従事している。挨拶しようと思っていたが、彼女は顔を上げもせぬ。
「あー、邪魔なのです」
 さもうるさそうに、しっしっと手を振る。目の前に立っているのが、私であると気づかないのだろうか。
「誰かさんがランク10に上がるとかで、作業に大わらわなの。必要書類を揃えるだけで大変なの。まったく、面倒くさいったらありゃしないのなの。
 わかったら、とっとと行けなのです」


 2階に上った。女たちは落ち着いて作業中のようである。邪魔せぬよう通り過ぎようとしたところ、ひとりがこちらに気づいた。「Kiltrogさま!」と名前を呼ばれたのが運の尽き、侍女たちがかん高く歓声を上げながら、鼠のように群がってきた。

「Kiltrogさま!」 
「Kiltrogさま!」
「Kiltrogさま!」
「Kiltrogさま!」

 私はもみくちゃにされた。冗談ぬきで死ぬと思った。侍女たちはおとなしく、もっと秩序だっていると思っていたが、とんだお転婆どもである。ズババ侍女長の苦労が偲ばれるというものだ。

「黒い使者が退治されたって本当ですか?」
「神子さまのお顔が拝見でき、嬉しゅうございました!」
「まがつみの玉が、力を失ったそうですね……」
「ズババさまのお元気も戻りましたよ」
「サインを下さい、サイン。家宝にします」
「私たちの祈りが届いたのでしょうか。アアア!」

 そのとき、「うるさいうるさい!」と、ズババが手を叩きながら現れた。侍女たちはたちまちさっと散り、皆どこへ消えたのだろう、ひとりも見えなくなってしまった。
 ズババは満面の笑みを浮かべていた。
「私が鬼って呼ばれるほど、厳しくしている理由がわかったかい?」
 よくわかりました、と言って私は感服した。
「まあ、あの子たちは、黒い使者の騒ぎのときから、さんざん不安を覚えていたからね。それを考えると、強く注意も出来ないね。行きすぎなのは別だけどさ」
 さっきのはどうなんですか、と私は問うた。
「運がよかったね。本当ならバラバラになってるよ」
 ありがたい話だ。
「ともあれ、あんたは約束を守ってくれた……」

 ズババは私の手を取り、握った。私の手のひらは広く、彼女の両手では包みきれなかった。ズババは私を見上げた。その涙の浮いた微笑みだけで、私はすべて許せる気になった。これまで彼女に叱責され、嫌な気分になったことも。侍女たちのいささか行き過ぎた振る舞いも。

「神子さまは、先刻から伏せっておられる。まだお休みだと思う」
 むべなるかな。あの状況で月詠みを強行したのだ。
「アジド・マルジドが話をすると言っていたよ。セミ・ラフィーナたちは、まだヤグードとの会議中だ。おそらく、もう少したったら帰ってくるんじゃないかねえ」


 さらに階を上り、天文泉の前で、守護戦士と話をした。
 ヴァナ・パイニーシャやシャズ・ノレムたちは、神子さまをお守りする立場である。満月の泉の出来事であるとはいえ、神子さまを奪われただけでも面目まる潰れであるのに、奪還にも参加できなかったので、屈辱を感じている様子だった。黒い使者に手も足も出なかったのは事実であるが、そのことでかえって、彼女たちの鍛錬熱は高まっているようだ。そこまでタフでなければ、おそらく守護戦士などにはなれないのだろう。

「いつか、もっと腕をあげて、あんたと勝負をしてみたいもんだ」
 ヴァン・パイニーシャは、私の胸を軽く拳で突いた。私は微笑んだ。
「都合が合えば、いつでも」
「街の方も大変だったらしいな」とシャズ・ノレム。
「ヤグードと市民が喧嘩した、と聞いたぞ。よりによってこんな時に、政治問題にまで発展するかも、と元老院は頭を抱えていたが……」

 それは初耳だ。詳しく聞きたかったが、彼女たちもそれ以上は知らないようだった。終日、天の塔に詰めているのだから仕方がない。それに、現在進行中の話題でもある。影響が出るのはもう少し先になるかもしれない。
 アジド・マルジドが詳細を教えてくれるだろう。


 そのアジド・マルジドは、神子さまの部屋の中央に正座していた。目を閉じているが、背筋はきっと伸びている。一瞬、声をかけるかどうか迷ったものの、彼の方が先に口を開いた。

「来たか、Kiltrog」
 私は後ろ手に扉を閉めた。「ええ」

 彼の近くへ行ってあぐらをかいた。「神子さまは?」と最も気になる質問をした。アジド・マルジドは「うん」と顎をさすり、「疲労が貯まっていらっしゃっただけだ」と言った。それに、もうお目覚めであるとも。大事がなくて幸い、ひとまずご挨拶をしておこうと、私は腰を浮かした。
 私の手甲を、アジド・マルジドが引っ張った。

「お客人がいらしている。我々はあとで……」

 この状況で、誰が挨拶に来ているのだろう。それを問おうとしたときである。せわしいノックがあり、頬を上気させたセミ・ラフィーナが、靴音も高く部屋の中へ入ってきた。


(07.02.21)
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