その440

キルトログ、鼻の院院長を探す(4)

 私が意識を取り戻したとき、最初に目にしたのは、心配そうに私の顔を覗きこんでいる、満月のようにうるんだルクススの瞳だった。「あ、気がつきましたね!」と彼女は言った。身を起こしたとき、打ちつけた背中に「びりっ」と衝撃が走ったので、私は思わず「いたた」と俯いてしまった。

「グラビトン・ベリサーチは?」と私は尋ねた。部屋の中に、彼女の姿はもうなかった。「いなくなってしまいました」と彼女は答えた。相変わらず一方的な婆さんである。親切なのかそうでないのか全くわからない。

 背中の痛みが引いてくると、冷静にこの場所を眺め見ることが出来た。ウガレピ寺院には、牢獄のように狭い部屋が並んでいる廊下もあるが、おおむね部屋は広めに作られている。ここも例外ではなく、先刻トンベリと戦った台所くらいの面積はあるのだった。石壁にこびりついた苔が古むし、部屋全体が――ずいぶん薄暗かったこともあって――灰とも緑ともつかぬぼやけた色に染まっていた。

 保護色になって気づきにくかったが、背の高い本棚が三つも四つも並んでいて、本がみっしりと詰め込まれていた。床に備え付けられた石の長机には、すっかり黄色くなってしまった書類が散乱している。その上に梯子が倒れていた。これを再び本棚に立てかけ、のぼり、知識の泉を手にする者ももういない。第六の院と同じだ――この部屋は、イル・クイル氏の研究室だったのに間違いない。



 ルクススの背後を眺めていると、彼女が何かを思い出したように話しかけてきた。
「そういえば、あなたは、Kiltrogさん……?」
 そうです、と私は首を振る。
「あの、闇の王を倒したという……噂には聞いていましたが、あなたがあの……」

 闇の王ばかりではない、古代の魔王子たちとも戦い、世界を二度も救ったのである。そのような英雄が、いたいいたいと背中をさすっている姿は、どう考えても格好よいものではない。オズトロヤ城での失態といい、どうも調子に乗りすぎだな、と、私は自分の軽率さを反省した。

「びっくりしました。冒険者が神々の書を持っているなんて。しかしあなたなら……神子さまがお託しになられたのでしょうか。ミッションか何かで」

「ええまあ」とあいまいな返事をした。幸いなことに、ルクススは都合のよい勘違いをしてくれた。この展開なら、彼女が特別に問い合わせでもせぬ限り、神子さまから叱責を受けることはないだろう。

 それにしても――と、手にした神々の書を見つめながら思う――私はすでに泥沼に足を踏み入れてしまったようだ。現在、大逆の意識など毛ほども持たぬにも関わらず、闇牢を意識せずに過ごせぬ日はないときている。それもこれも、院長たちの思惑に振り回されてきたせいである。ただそのおかげで、余人では決して知ることの出来ぬ、連邦の真実に肉薄しているのもまた事実である。

 そのうちの一つが、グラビトン・ベリサーチの語った、ウィンダス創生の秘密だ。何と初代の神子さまは、クリュー人に導かれたのだという。ホルトト遺跡は、月光に秘められたエネルギーを抽出する機械であった! ということは、タルタルに魔法を伝授したのも、またクリュー人であったのかもしれぬ。ウィンダスが獣の時代に隆盛を迎え、ヴァナ・ディールの覇者として勇名を馳せたのは、古代人の恩恵があったせいだろうか。グラビトン・ベリサーチの話からはそう想像できるが、なぜ彼女たちがタルタルを優遇したのか、グラビトン・ベリサーチが語らなかったせいで、納得のいく理由がまったく思いつかない。

 ルクススはしばらくおし黙ったまま、腕を組んでいた。が、どうやら私と同じことを考えていたようである。
「さっきの方が話したことが真実ならば、私たちは、驚くべき歴史の真相に触れたことになります。やはり、イル・クイル氏の仮説は正しかったのです」

「それなんですが」と私。
「イル・クイル氏とは、いったいどういう人物なのでしょう。元鼻の院の生物学者であるとは聞いてますが」

「私の……先生です」
 ルクススは寂しそうに笑った。

「はるか昔、タルタル族はクォン大陸に住んでいました。それが大移動を決意し、コルシュシュを抜け、サルタバルタに約束の地を見出しました。ウィンダス人は従来、それを星の導きと考えて来たのです。しかし、イル・クイル氏の考えは、他の人とはまったく違うものでした。

 タルタルを導いたのは、果たして何だったのか。誰だったのか。氏はそれを、古代人の一種だと解釈しました。30年前、北の調査隊に参加して、氏はその思いを強くしたようです。しかし彼の仮説は、神子さまの権威に触れる可能性もあったがゆえに、皆から疎まれました。氏は鼻の院を追放されました。北方調査から戻ると、彼は南へ向かいました……ここです。そして私は、後に本国で、イル・クイル氏が死んだということを聞かされました。

 私がフェ・インで調査を続けていたのは、そんな先生の無念を晴らしたいという思いが強かったからです。私は確信しています。氏の考えは間違っていなかったし、その研究内容は、決して異端でも、神子さまに逆らうものでもありません。しかし、私がどれほど信じようと、連邦のみんなを納得させる証拠には乏しいのでした。ましてや、私は先生の弟子ですからね。客観的な視点に欠けていると勘ぐられても仕方がありません。ですが……しかし……。

 クリュー人の方とお話できたのは幸運でした。あなたが持っている、神々の書について聞けたことも。そのあたりの事情には触れませんが、あの老人は、魔力を戻すとか言ってましたね? ということは、年月を経るうちに、書物の力が弱くなっていたのでしょうか。あるいは何か、ホルトト遺跡の破壊と関係があるのかもしれませんね……」

 そうか、と私は心の中で合点をした。ルクススはまだ、神々の書が中身を失い、白き書になったことを知らないのだ。トスカ・ポリカは何と言っていたか。神子さまに封印をせよと承ったと(その434参照)。白き書の存在は、トスカ・ポリカ、アジド・マルジド、セミ・ラフィーナほか、ほんの数人にしか伝えられていないのかもしれぬ。

 私は本を手にし、文字が戻っているかどうか、無造作に開こうとした。「やめて!」ルクススが血相を変えて叫んだ。幸いにも本はぴったりと閉じられており、ページはびくともしなかった。ルクススが胸を撫で下ろし、大きなため息をついた。

「神々の書に下手に手を出したら、魔法で吹き飛ばされてしまいます! ただ開くだけでさえ、神子さまのまがつみの星が必要と言われています。この本は冒険者どころか、院長クラスの魔道士でさえ手に余る品なのですよ」

「でも、カラハ・バルハは開くことが出来ました」
「……第六の院のことを、知っているのですか?」
「院長がお考えより、私は物知りだと思います」
 慎重な言い方をした。
「ということは、まがつみの星がなくても、これを読めるということです。もっとも、その人の魔力の強さによるでしょうが」

「今、連邦でそんなことが出来るのは、たぶん一人だけです」
「誰です?」
「現役の院長なら、たぶん……アジド・マルジド……」

 私はかぶりを振った。フェ・インを旅していたとはいえ、彼女が口の院院長の逮捕を知らぬわけがない。闇牢の奥に神々の書を運ぶわけにはいかぬ。もしそれが出来たとしても、アジド・マルジド自身が魔力を吸い尽くされ、すっかり抜け殻のようになっているに違いない。

 ということは、これを読むことは不可能ということだ。私はため息をついた。ひとつ望みがあるとすれば、この本に秘められた魔力が、本来備わっていたものよりずっと弱いということだ。それならば、トスカ・ポリカあたりなら開くことが出来るかもしれぬ。書物に内容が戻ったとすると、彼にとっては良いニュースであるだろう。

「先ほどの老人も、アジド・マルジドクラスの魔道士なんでしょうね」
 ルクススはぶつぶつと呟いた。
「それにしても、古代人は本当に長生きなのですね! いくら何でも、何千年もこの場所で生き続けているとは、さすがに思っていませんでした」

「いえ、彼女の実体はもうないのですよ」
 私はさらりと言った。
「グラビトン・ベリサーチは残留思念に過ぎないのです」

「思念?」ルクススの顔色がさっと変わった。血色がよくつやつやしていたのが、とつぜん茄子のように青ざめてしまったのである。
「それ……それは、つまりもう、死んでいるという……」

 院長の変化をいぶかしみながら、私は頷いた。
「そうですね。世間的には、幽霊と呼ぶべき存在でしょうか」

 唐突に、ルクススがデジョン2を唱えた。「おばけ!」この世のものとも思えぬ悲鳴が、イル・クイルの研究室に響き渡った。ルクススははしたなく絶叫しながら、異空間に姿を消した。私はすっかりびっくりしてしまって、今日2度目となる尻もちをついた。転んでばっかりだ! ええい忌々しい(注1)

 鼻の院院長は、どうも霊魂が苦手だったらしい。まともそうに見えた彼女だが、半透明の人物を生身だと勘違いするとは、少し天然の気があるのかもしれぬ。世話のやける連中だなと思いながら、私は神々の書の埃をはらって、再び背嚢の中にそれをしまうのであった。

注1
 「ゴーレムのまなざし」というクエストでは、ルクススはオバケとオニオンがとても苦手、という設定になっています。

(06.04.24)
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