バストゥーク史(7)――獣人軍の脅威

■ポイント■
・呪われた北方調査
・ジュノの台頭、闇の王の登場
・軍務大臣ベルナーの暗殺

◆三国合同調査隊

 849年、グスゲン鉱山で大規模な落盤、火災事故が起こった。同山では採掘量が激減してきていたが、これが引き金になって、2年後正式に閉山された。ゴールドラッシュ以降、430年も共和国を潤してきたグスゲンの歴史は、これにて終わりを告げる。

 バストゥークを支えるのはパルブロ鉱山だけとなった。共和国は、代わりのエネルギー確保を急いだようだ。854年、北の地――フォルガンディからザルカバードにかけて――において、古代ジラート人の遺跡が発見されると、政府はミスリル銃士隊の派遣を決定した。現地に偉大な力が眠っている、という言い伝えがあったからで、メンバーは、ガルカの語り部でもある隊長ラオグリム、ヒュームの女拳士コーネリア、ヒュームの戦士ウルリッヒが選ばれたが、サンドリアとウィンダスから茶々が入り、三ヶ国合同調査隊として再編成されることとなる。

 サンドリアの騎士フランマージュ、ウィンダスの推薦人、タルタルのイル・クイルとミスラの狩人ヨー・ラブンタを加え、6人となった調査隊は、同年バストゥークを進発。だが不幸にも、ラオグリムとコーネリアは現地で事故死した。ことはこれだけに終わらず、他のメンバーも帰国後次々不思議な死に方をしたので、人々は彼らが何か呪われたものを起こしてしまったのだ、と囁きあった。というのも、彼らの帰国と同時に、不穏な存在の噂が、ヴァナ・ディールを覆い始めたからである――闇の王だ。

◆闇の王

 闇の王の正体は誰も知らない。一説によると、地獄からデーモン族と契約をかわして連れてきたというが、それすら真実かどうか定かではない。確かなのは、彼が人間の滅亡を望み、そのために行動を起こしたということだ。オークを恐るべき戦力でねじ伏せると、ミンダルシア大陸にも上陸を果たし、ヅェー・シシュ率いるヤグード族を屈服させたのである。858年から、859年春にかけてのことである。

 闇の王はじきじきに北方へ赴き、巨人族族長たちに傭兵団派遣を依頼。彼らはそれに答えて、11月、バルドニアに向けて大勢の工兵を送る。翌年、ミスリル銃士隊はズヴァール城の存在を知る。このまがまがしい城は、デーモンのモラクス子爵の設計により、巨人兵たちが材料を切り出して建築したものである。子爵はエレメンタルを呼び出し、縄張りを広くバルドニアの雪原に確保していた。

 861年、闇の王は獣人指導者たちをズヴァール城へ集め、人間諸国の壊滅を宣言した。これは事実上の宣戦布告である。時の指導者プリーンは、闇の王を非難する声明を出し、非常事態宣言を発令。軍制をただちに戦時に移行した。このような対処は、他国に先駆け迅速に行われている。4月には獣人混成軍がノルバレンに上陸、サンドリアと交戦状態に入った。ヴァナ・ディール史最大の戦いとなる、クリスタル戦争が遂に始まったのである。

 シド(855〜)。現・大工房長。幼少時よりギルドに入り浸り、知識を貪欲に吸収。機艇を独力で発明、大統領から援助を受け、わずか3年で機船を完成する。その計画力、実行力が買われ、やがて大工房長へ。大戦中はジュノへ招かれ、飛空挺開発計画にも参画した。

◆大統領プリーン

 プリーンはクリスタル戦争時の大統領(第68代)である。終戦直後に教育改革を実行しようとして、貧困層の反発を買い、鉄片追放により失脚した(注1)。そのため彼の在位期間は、ほとんどがクリスタル戦争の時期と重なってしまっており、よくも悪くも「大戦時の大統領」というイメージが強い。

 プリーンは822年の生まれで、もともとは工務省職員だったが、思うことあって在野に下り、私塾を開いた。だが、「貧しい子供ほど学ぶ時間がない」という現実に失望し、政治界へ転身。鉱民議会議員を経て、大統領選へ立候補。教え子のガルカ票を集めて当選を果たす。大統領就任直後に闇の王軍が上陸、プリーン40歳のときであった。

 プリーンは戦中、国内産業の保全に力を注いだ。たびたび甲冑を着て戦場を訪れ、戦線の実情把握につとめ、潤沢な補給を心がけた。そのため兵士には評判がよく、彼らの士気を大いに鼓舞したようだ。だが開戦初期には、各国の連携がばらばらだったこともあって、獣人軍に後れを取ることが多かった。862年6月には、サハギンの工作隊により港を封鎖され、海軍が無力化してしまったし、防衛の最前線になると期待したセルビナも、完全中立を独断で宣言、土壇場で裏切られた格好となった。共和国軍はセルビナを包囲。大事にはいたらなかったが、数日間一触即発の緊張が続いたことがある(セルビナ騒動)。

◆ジュノ大公国とアルタナ連合軍

 獣人軍が、闇の王という首魁をいただき、デーモンによって統率されていたにも関わらず、人類側の足並みはそろわなかった。この不手際は、バストゥークとセルビナの例にも顕著である。各国は独自の対応を試み、散発的な反抗を続けていた。クリスタル戦争初期に劣勢に立たされたのは、出鼻をくじかれたという点も大きかったが、各国が連携を取り、共同戦線を張るまでに時間がかかったことが大きい。そのまとめ役を担ったのがジュノ大公国である。

 ジュノ大公国は、ヘブンズブリッジの完成とともに、橋上に成立した都市国家である(注2)。彼らが急速に経済的成長を遂げ、もはや無視できない勢力となったため、サンドリア、バストゥーク、ウィンダスの連名で統治権を与え、牽制する方策を取った。859年3月、ジュノ村の代表者であるカムラナートが、大公の位に任ぜられた。史上5番目の国家発足である。

 ジュノの成立とクリスタル戦争の勃発は、ほとんど同時期に起こっているのだが、意外なことに人類側の音頭を取ったのも、この新興国家だった。カムラナートは各国首脳(サンドリア国王デスティン星の神子、大統領プリーン)に呼びかけ、ジュノで直々に会議。人類諸国の軍指揮系統を暫定的に統合し、四ヶ国連合軍を結成して、闇の王軍に対抗することが約束された。これをル・ルデ会談(862年8月)という。なおル・ルデとは、大公の私邸があった敷地の名から取られている。

◆ベルナー暗殺

 862年9月、アルタナ連合軍が正式に発足。ようやく人類軍は、本格的に反撃を開始しようとしていた。だがその矢先、共和国の出鼻をくじく事件が起こる。軍務大臣ベルナーが、何者かによって殺害されたのだ。それも大統領邸の近く、大工房内の出来事である。

 10月。プリーンとの会談を終えたベルナーは、帰宅途中に凶刃に倒れた。鋭利な刃物で何度も胸を刺される、という凄惨な殺され方をされており、保安庁も、当初は怨恨殺人の線が濃厚とみていた。だが、サンドリアからの駐在武官によって、にわかにトンベリの暗殺説が浮上した。サンドリアでも同様の手口で、神殿騎士団団長ムシャンほか、数多くの主戦派騎士たちが殺されていたのだ。

 現在、犯人はトンベリと考えられている。この小柄だが凶暴な獣人は、通常エルシモ島のウガレピ寺院を出ることはないが、闇の王の要請により、暗殺の精鋭部隊を派遣していた。ベルナーに続き、要人が次々に殺害され、後には大統領プリーンまで狙われた。幸い未遂に終わったが、神出鬼没の暗殺者たちは、戦いの続く2年の間、首府に暗躍しつづけたのである。

注1
 古代ギリシアのアテネでは、オストラキスモス(陶片追放)が実行されていた。僭主となりそうな人物を、市民の投票に基づき国外追放(10年間)する制度で、人々は陶片にその名を刻んで投票した。同様の制度はアルゴス、メガラ、ミレトス、シラクサなどのポリス(都市国家)にもあり、シラクサではオリーブの葉が用いられたことから、特に葉片追放と呼ばれている。
 前418年、ヒペルボロスに適用されるまで、アテネでは20回ほど追放が実施された。後期の頃になると、民意の直接的な反映というよりは、政敵を追い落とす手段として画策されることが多かったようだ。鉄片追放の詳細は明らかでないが、類似したシステムであろう。少なくとも現職の大統領を罷免するだけの効力は発揮できるようである。

注2
 現在のような高層の橋となるのは、もう少し後のことである。バストゥーク職人が築いたのは橋桁ほか基盤の部分で、後に大公兄弟の設計に基づき、都市として整備された。


(06.09.24)
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