サンドリア史(1)――王国の成立
サンドリアはエルヴァーンの国である。国民の8割が同一種族という国家は、ヴァナ・ディールでも他に例をみない。一方で、他国に住むエルヴァーンは数少なく、バストゥークに政治的亡命を果たした者、今はなきタブナジア侯国の残党を数えるばかりだ。 従って、こういうことが言えるだろう――王国史を語ることは、エルヴァーン史を語ることに他ならない。 「サンドリア」という語は、エルヴァーンの一氏族の名前である。エルヴァーンは大陸の出身ではなく、北方に住んでいたのだが、190年ごろからクォン大陸に移住を始めた。そのとき彼らは、いくつかの有力氏族――ガレヤン、フォシュヴェル、ビュルトラン、サンドリア、クームルド、シャティフなど――に分かれていた。これらの違いは、それぞれの生活形態に起因していたようだ。例えばシャティフ族は山岳に住んでいたし、クームルド族はパシュハウ沼を拠点としていた。従って、「エルヴァーン=森の民」というイメージは、後世になってから作られたものである。ロンフォールに生息していたのはサンドリア族だから、王国建国以後、彼らの生活形態が中心となり、全体に同化していったものだと考えられる。
クォン大陸に広がったエルヴァーンであるが、そのころミンダルシア大陸では、魔法の力を獲得したタルタル族が、勢力を拡大していた。彼らは291年、ウィンダス連邦を結成、341年にクォンに侵入する。エルヴァーンの迎撃体制は整っていなかった。彼らは敗戦と占領を経て、氏族を統合し、サンドリア王国を建国。遂にはクォンから連邦勢力を一掃する――これが同国における、魔法の時代の概要である。 ◆抗魔時代のはじまり ウィンダス連邦がノルバレンに上陸した年(342年)を、サンドリアでは抗魔時代のはじまりと称する。エルヴァーンにとって最大の難問は、タルタルの強力な魔法――未知の技術にいかに対抗するか、というものであった。 当時ノルバレンに住んでいたのは、ガレヤン族であった。彼らは単独で連邦軍にあたり、必死の抵抗を続けたが、最終的に降伏した。4年後、同地はウィンダス属州となる。ガレヤン族もウィンダスの傘下に入り、若者を中心として登用され、エルヴァーン傭兵団が編成された。 ノルバレンを制圧したウィンダスだが、クォン大陸各地への戦力拡大は、しばらく控えられていた。理由は明らかでない。その頃はオズトロヤ城でヤグードと抗戦中だったから、手が回らなかったのかもしれない。そのためか、ノルバレンの治安は安定せず、総督府が置かれた後も、エルヴァーンによる反抗が後を絶たなかった。 ◆魔戦士ルンゴ・ナンゴ 368年、戦闘魔導団団長のタルタル、ルンゴ・ナンゴが、混乱の治まらないノルバレンの属州長官に任命された。彼は獣の言葉を解し、互いに意思疎通が出来るという、不思議な能力を持っていた。生まれながらの獣使いとしても有名だが、同時にウィンダス史上に名を為す、優れた戦術家の1人でもあった。 ルンゴ・ナンゴはノルバレンを視察すると、さっそく本国に文を送り、エルヴァーン討伐の必要性を強く訴えた。元老院はこの意見を聞き入れ、彼を総大将とした征討軍――通称、ルンゴ・ナンゴ軍を派遣する(第一次エルヴァーン征討軍)。 ルンゴ・ナンゴの動きは迅速だった。ロンフォールに侵入してサンドリア族を滅すると、返す刀でザルクヘイムへ進軍した。同地では、サンドリア族の残党と、ファシュヴェル族、ビュルトラン族が共闘し、彼に立ち向かった。しかしこの連合軍は、征討軍にあえなく撃破される。 ルンゴ・ナンゴを悩ませたのは、唯一シャティフ族だけと言えよう。彼らはグスタベルグに住む山岳民族で、独自のゲリラ攻撃を実行、征討軍を苦しめた。だが373年には、最後の砦であるモルトゥーグを落とされ、降伏する羽目になった。ルンゴ・ナンゴはわずか4年でクォン大陸を制した。彼は戦後、モルフェン岬に立ち寄り、水平線を眺めながら、呆気なく戦いが終わってしまったことに不満の声を漏らしたという。
翌374年には、ロンフォールとザルクヘイムに総督府が置かれ、正式にウィンダスの属州となった。エルヴァーンは完全に制圧されたかに思えた。だが同年、ひとりの若者が、竜騎士の技を会得した。彼が後に種族を統一し、ウィンダスからクォンを奪還するのである。名はランフォル・R・ドラギーユ、後に【鉄血王】と呼ばれ、サンドリアを建国するエルヴァーンの英雄である。 ◆【鉄血王】ランフォルの挙兵 ランフォル・R・ドラギーユは、355年、ガレヤン族の子として生まれた。父は庭師であったが、ランフォルが14歳のとき、スパイの容疑を受けて処刑された。ランフォルはこの事件を受けて、サンドリア族に亡命。以後サンドリアの一員として働き、最終的に同族の名を冠した王国を建国する。 ランフォルは幼少時から才気煥発で、タルタルの書物を読んで知識を蓄えたという。英雄の資質があったことは疑いない。19歳にして竜騎士となり、そのわずか2年後、成人したばかりの若者、かつ他民族の出であるにもかかわらず、サンドリア族長に就任した。 ランフォルの挙兵は377年である。同族の若者を率いて、ロンフォール総督府を襲撃し、これを占拠した。すぐさま、討伐隊が派遣された。ウィンダスの命を受けて、ガレヤン族とビュルトラン族が訪れた。ランフォルらは彼らを撃退した――ささやかな勝利だった。しかし、後に続く歴史から見れば、ランフォルのロンフォール防衛は、全エルヴァーンの未来に大きな意味を持っていた。
379年、ビュルトラン族のアルフォロン・タブナジアが、手勢を率いてランフォルに合流した。翌年彼らは、ビュルトラン族とファシュヴェル族を討ち、ザルクヘイムを奪還した。ウィンダス連邦も、彼らの存在を軽視していられなくなった。というのは、ランフォル率いるサンドリア族は、クォン大陸北部一帯を制圧、一大勢力にまで成長していたからだ。 ウィンダスは382年、本格的に魔道軍を編成し、第二次エルヴァーン追討に乗り出す。だが派遣軍の中には、かつての英雄ルンゴ・ナンゴの姿は見えなかった――なぜだろうか? ◆ルンゴ・ナンゴの失脚 クォン大陸を制圧し、大魔元帥にまでのぼりつめたルンゴ・ナンゴだが、その栄光は短かった。帰国後に失脚が待っていたからである。 本国に戻る道すがら、彼は各地で熱烈な歓迎を受けたが、ウィンダスでは冷淡な扱いを受けた。彼に命じられたのは、即時の武装解除と、元老院査問委員会への出席だった。委員会は、彼の業績を評価する一方で、作戦時における数々の独断専行例を挙げ、激しくこれを糾弾した。ルンゴ・ナンゴ軍は解体された。彼自身も大魔元帥の任を解かれ、マウラに謹慎を命じられた。彼は376年、失意のうちに死亡する。死因は熱病と伝えられているが、突然の地位転落をかんがみるに、政敵によって暗殺されたという噂も説得力がある。 ルンゴ・ナンゴは不幸な最期を遂げたが、ランフォルとエルヴァーンにとっては、彼の死は幸いだった。彼を継いで大魔元帥となったのは、元老院議員のアトギ・ノクトギである。アトギ・ノクトギは大軍を率いてクォンに上陸するのだが、ランフォルもこれをただ待っていたわけではなかった。ノルバレンを基盤とするもう一つの勢力と手を組み、協力してウィンダス軍を迎撃しようとしたのである。 ◆ベドー会見 現在においては信じられないことだが、人類と獣人との共闘は、史上いくつか例が見られる。サンドリアは後年、第二次コンシュタット会戦において、ゴブリン傭兵団を雇っているが、その最初の例がベドー会見である。 ランフォルはクゥダフ王ドゥ・ダのもとを訪れ、同盟の締結を申し出た。ランフォルが彼らに何をもちかけたかは伝わっていない。ただ彼は、常人なら躊躇しそうなクゥダフ族の酒、泥酒を一息に飲み干し、にやりとひと笑いしてみせた。彼が豪胆さを示したことで、王の態度は軟化したという。条約は締結され、ウィンダス征討軍にともに立ち向かうことが約束された(注1)。 翌年、アトギ・ノクトギの率いる軍勢が、二手にわかれて上陸した。彼らはノルバレンより北上、ロンフォールの砦を目指したが、ジャグナー森林とパシュハウ沼で待ち伏せにあい、壊滅状態に陥った。第二次エルヴァーン追討軍は、ウィンダスが本格的に喫した初の敗戦である。この戦いでアトギ・ノクトギは戦死し、ランフォル率いるエルヴァーンの名声は、ますます高まることとなった。 ◆サンドリア建国 383年、ランフォルの右腕アルフォロンは、山岳民族シャティフ族を説き伏せ、彼らに恭順させることを約束した。これが決定的となった。385年、ランフォルは有力者たちをロンフォールの森へ集め、サンドリア族によるエルヴァーンの統一を宣言する。サンドリア王国の建国である。 ランフォルは諸侯の前で、エルヴァーン苦難の歴史を述べたあと、剣を抜いて自分の手を切りつけた。彼は血を鉄の王冠にふりかけ、それを頭に乗せて言った。 「サンドリア王国、常にかくあらん」 木漏れ日を浴びた王の姿は輝くばかりで、列席した騎士たちから驚嘆の声が漏れた。後年、この戴冠式は格好の絵の題材となった。ランフォルは自ら【鉄血王】を名乗り、腹心のアルフォロンに大陸西部の半島を与えた。アルフォロンの姓にちなみ、同地はタブナジアと名づけられる。アルフォロンは3年後に死亡するが、初代タブナジア侯の存在は、後のタブナジア侯国の源流となった。 注1 ドゥ・ダとランフォルの個人的交流はこの後も続いた。【鉄血王】の葬儀には、共の者数人を連れたのみで参列、サンドリア人を驚嘆させたという。 (050612)
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