サンドリア史(2)――王国勢力の拡大

■ポイント■
・連邦勢力をクォン大陸より一掃――力の時代へ
・ウィンダスとの不可侵条約の締結と、その破棄。ソロムグへの侵攻
・ランフォルの死、【祈望王】レスヴィエルの即位
・神殿騎士隊、神殿騎士団に昇格

◆連邦勢力を追放へ

 封建国家として連邦からの独立を宣言したサンドリアは、国内経済の改革に着手した。387年、それまでは部族間で異なっていたエルヴァーンの貨幣を、王国通貨ノワに統一した。勝手な貨幣鋳造が禁止されたため、国内で深刻な貨幣不足が生じた。これを打開するため、390年、ランフォルは各氏族の鍛冶師たちを王都にまねき、大量にノワ貨を作らせた。これがサンドリア鍛冶ギルドの始まりである。

 翌年、ランフォルは王立騎士団を結成。初代団長にフェンブルール・オルデールを選んだ。ランフォルはじっくり時間をかけて、戦力を整えていった。彼の悲願は、クォンから連邦勢力を追放し、大陸を支配下に置くことだった。そのためには、ノルバレンのジャビゴゴ砦を陥落させねばならない。このウィンダスの最終防衛地は、大魔元帥ダカル・ジンカル率いる、戦闘魔導団6個師団によって強固に護られていた

 398年、サンドリア王国にとって、大きな追い風が吹いた。ウィンダスの平和活動家サマリリが、魔法習得法をサンドリアに伝えたのである。彼女は、第二次エルヴァーン追討軍の敗残兵と出会ったことで、戦争の悲惨さを実感。非戦・魔法放棄・人権保護を説いて回っていた。連邦の最高機密を持ち出したのは、戦力の拮抗が平和をもたらすと考えたからだろう。だが少なくとも、彼女の活動によって、ノルバレンでの戦いが回避されることはなかった。

 399年、ランフォル率いる王立騎士団は、ジャビゴゴ砦を陥落させた。これにより、連邦勢力はクォンを追われ、サンドリアの大陸統一が為されたのである。王国建国から、実に16年後のことであった。

◆力の時代のはじまり

 連邦勢力を追放した400年を境に、サンドリアの魔法の時代は終わり、力の時代に入る。全体的に見れば、主に内政の時代だったと言っていい。大聖堂、神殿騎士団、ドラギーユ城、ファノエ運河など、サンドリアの基盤のほとんどが築かれた。もっとも、王国を揺るがすような戦もたびたび起こったのだが。意外にも王国史には、好戦的な君主は多くない――少なくとも、自ら兵を率いて他国に攻め込むような君主は。【戦王】アシュファーグや、【狼王】ルジーグらの活躍は鮮烈であるが、第一に口火を切ったのは、クォン統一で平和を手に入れたはずの、初代国王ランフォルその人だった。

◆ソロムグ侵攻とランフォルの死

 ジャビゴゴ砦を陥落させ、連邦勢力を追放したサンドリアは、しばらく安定期に入った。ランフォルは従弟であるフルミヴォン・シャーカムにノルバレンを拝領した。410年、サンドリア族の女神信仰を国教に認定、サンドリア国教会を発足させる。サンドリア式アルタナ教の歴史がここから始まるのだが、同教のシンボルである大聖堂の落成は、542年まで待たねばならない。

 ドラギーユ城。
 403年に完成しているが、増築に増築が重ねられたため、築城当時の面影はないという。

 ランフォルはウィンダスに相互不可侵条約を持ちかけ、これを締結させた。413年のことである。彼は他にも、様々な申し出をしている。連邦との共同声明により、タブナジア侯国を第三国家として容認した。また、第一次エルヴァーン追討軍の大魔元帥だった、ルンゴ・ナンゴの名誉回復を提案した。一見意外な意見のようだが、英雄が英雄をどう見ていたのかがわかって興味深い。両国の文化交流は進み、サンドリアからはチョコボの騎乗術が、ウィンダスからは天晶暦と優れた天文学が、互いの国にもたらされた。

 だが、こうした蜜月は、わずか7年で終わった。420年、ランフォルは不可侵条約を破棄し、ミンダルシア大陸に上陸した。彼はソロムグを急襲、ここに砦を築いた。真意は明らかでないが、両大陸制覇の野望を抱いていたという説が、もっとも有力であるし、説得力がある。老いた英雄は、しばしば野心を剥き出しにするものだ。彼は65歳だった。魔法の時代でなくとも、先は長くない年齢である。だが実際には、想像以上に彼の寿命は限界だったのだ。

 不可侵条約を破った翌年、サンドリア建国の英雄、【鉄血王】ランフォルは陣中で逝った。享年66歳だった。彼は氏族を統一するという偉業を成し遂げたが、ウィンダスに攻め入ったことで、後に大きな禍根を残すことになった。突然亡くなったことで、王族にちょっとした混乱――王国史最初の後継者騒動を起こしもした。第二代王として王座に就いたのは、【祈望王】として知られるレスヴィエルである。

◆【祈望王】レスヴィエル

 レスヴィエルは421年、ランフォルの逝去した年に即位した。それまでには紆余曲折があった。何しろ彼は三男だったから。にもかかわらず王座に就けたのは、サンドリア国教会の後押しがあったからである。彼は他の王位継承者たちを異端者として非難、牢に幽閉して王となったのだ。

 宗教色の濃い二つ名が示すように、レスヴィエルの主な業績は、サンドリア国教会の繁栄に繋がっている。主なものは、大聖堂の着工(422年)と、神殿騎士隊の結成(424年)である。神殿騎士隊は後に騎士団に昇格、王立騎士団と並び、以後サンドリア軍の片翼を担うことになる。

 422年、大聖堂建設が始まったが、完成は遅れに遅れ、実に120年もの年月を要した。落成は542年である。

◆神殿騎士団の成立 

 423年、サンドリアでちょっとした混乱があった。タルタルの魔道士が王都に潜伏、破壊活動を繰り返したのだ。いわゆる、連続落雷放火事件である。該当記録はウィンダス正史にも残っているが、連邦側はこの事件に、もう少しユニークな名前を残している。いわく「ボギーのプレゼント事件」。

 一連の破壊活動で悪化した治安を回復するため、神殿騎士隊が結成された。この時点では、単なる一部隊に過ぎず、規模の点で王立騎士団に大きく劣っていた。彼らは後に、治安回復に目ざましい働きをする。だが相手は放火事件の犯人ではなく、ヒューム族の鉱山労働者がメインだった。456年ごろのことである。

 遡って418年、ランフォルがソロムグに侵攻する2年前。クォン大陸の南部、ザルクヘイム地方にあるグスゲン鉱山で、金の鉱脈が見つかった。この発見を受け、ザルクヘイムやグスタベルグに、黄金を求めるヒュームの労働者が集まり始めた。これをゴールドラッシュという。

 ゴールドラッシュは、クォン南部の急激な人口増加を招いた。やがてあぶれた労働者たちは、王都にも大量に流入し始めた。もともとが一攫千金を狙う男たちである。流れ者や山師の類も多かった。必然的に王都の治安は悪化する。458年、神殿騎士隊はヒューム族追放作戦を敢行。これに一定の成果をみせたため、業績を認められ、騎士隊は2年後神殿騎士団に昇格した。同団が警察的機構を担当しているのは、以上のような歴史的経緯による。

◆ソロムグの壊走

 5世紀半ば、ヒューム族の横行は、深刻な社会問題となりつつあった。神殿騎士団もそうだが、王立騎士団も積極的に打って出て、ヒュームとガルカの集落を襲撃している。463年のことである。

 さて、この頃、ソロムグの砦はどうなっていただろうか。

 466年、ウィンダスの魔戦士が砦に夜襲をかけた。王立騎士団は、完全に不意を突かれた。彼らは圧倒的兵力を誇っていたが、主戦力は騎兵隊だった。そのため、タルタルの魔法でチョコボたちがパニックを起こすと、事態を収拾することが出来なくなった。彼らは次々とジュノ海峡に追い落とされ、惨めな敗北を迎えた。俗にいう、ソロムグの壊走である。

 このときタルタル魔戦士が、たった3人しかいなかったことが明らかになって、同事件は、王国史に残る汚点となった(注1)。サンドリアはこの壊走で、ミンダルシアの拠点を失い、再びクォンに閉じこもることになった。しかし大陸南部では、ヒュームとガルカが大量に結集しつつあった。かくしてサンドリアの標的は、海峡の向こうにある国から、グスタベルグに拠点を置く“盗賊”たちへと、次第に移り変わっていったのである。

 ソロムグの壊走があった砦と、ガルレージュ要塞とは、しばしば混同されるが、前者もガルレージュと呼ばれていたようである。
 ふたつの名前が同じなのには理由がありそうだ。要塞が築かれたとき、王立騎士団は奇襲をかけ、壊滅的な打撃を与えるつもりだった。5世紀の砦の名前が要塞につけられたのは、ソロムグの壊走の故事にあやかったものではあるまいか
 なお、ガルレージュ砦の場所はわかっていない。ソロムグに残るトーチカ群のいずれかだと思われる。

注1
 エニッド・アイアンハートは、同地の碑文において「(ソロムグの壊走は)サンドリア士官学校では必ず教わる」と記している。


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